café3.キャラメルラテの第一歩
今の生活になにか不自由していることがあるわけではない。求められることに応えるのは慣れているし、得意でもある。
住むところも申し分ないし、自分でなければならない理由は特になさそうだけれどもそこそこの給料がもらえる仕事と、声をかければ来週の食事に付き合ってもらえるくらいには広くも狭くもない範囲の交友関係をもち、友達の紹介で知り合った彼とは付き合って2年半。いまのところ結婚も同棲も話は出てこないので、賃貸契約を更新したばかり。別にこれといって結婚願望があるわけでも、彼でないとということもないので何の焦りもない。まだ独身を謳歌したい彼が「物分かりの良い彼女で助かるよ」と言って回っているのを、奏は知っていた。別に嫌な気分になることもなく、それが求めらている「理想の彼女」であることも理解しているので無理しているわけではない。それに応えている方が、自分の意見を通すよりもずっと楽だった。相手や状況に合わせて、求められるものを提供することに何の疑いも苦もないのだ。
ただ、心はいつもどこかぽつんと空いている。
「満たされない」というほどの渇望感ではないが、ただ、なんとなくこのままでいいのかなという漠然とした虚無のような場所がある。よく活発な友人たちが探し求めている「自分らしさ」を問われると、言葉に詰まる理由はきっとこの場所のせいだ。
日常生活の中ではさほど感じないで済むのだが、それはある日突然ぽんっと目の前に出てきて、安らかな入眠を妨げようとする。
今日がまさに久しぶりのそれだ。せっかくいつも通り入念にマッサージをして読書とキャンドルで心を落ち着けたというのに、これでは寝付けそうにない。
どうせ明日は休みだし、こうなったら夜更かししてやろうと腹を決めた奏は、こういうときいつも映画を見ることにしている。小さなスマホひとつで世界中のアニメからドキュメンタリーが視聴できるだなんて、便利な時代になったものだ。寝落ちするもよし、気に入ったら感想文なんかを書いたりするなどして、無理やり寝ようとしたりせず、空虚に焦点をあてることもなく、身体の限界までをやり過ごす。
たまたまおすすめに表示された、ニュースで聞いた程度の知識しかない国・レバノンの映画だという「キャラメル」を観ることにする。なんだか名前が甘やかな感じがするので、きっと穏やかに心地よく観終えるだろうと思いながら、再生ボタンを押す。思っていた内容とは違う96分という長いようで短い時間、奏はそのストーリーにどんどん引き込まれていった。
ベイルートの小さなエステサロンを舞台に繰り広げられる、20〜60代の独身女性たちによる群像劇。結婚、同性愛、不倫、更年期、老人介護など盛りだくさんな内容の中、登場人物たちがそれぞれの秘密や思いを抱えながら人生を展開させていくストーリーに、奏の心がどんどん翻弄されていく。中東の紛争や難民などが絶えず不安定な国、というニュースから得た浅い知識しか持っていなかったレバノンという場所で、こんな素敵な映画が作られたんだ。
タイトルになっていたキャラメルは中東で脱毛処理のためにも使用するらしく、砂糖・レモン汁・水を煮詰めて水飴状にしたそれを皮膚に接着してムダ毛と一緒に剥がすのだそうだ(ブラジリアンワックスに近いのかもしれない)出来立てのキャラメルを肌に乗せて勢いよく剥がすなんてなんだか熱くてヤケドしてしまいそうだし、施術されている客はちいさな悲鳴を上げたりもしていたので痛みもあるのだろう。いつもの家庭用光脱毛の方がずっと安心安全で熱くも痛くもないので、日本の技術の進歩には感謝しかない。
美容のための道具にも使えるがもちろん食べることもできるキャラメルを、主演のナディーン・ラバキーが慣れた手つきで練って口へと運ぶ姿を見ていたら、ふとキャラメルが食べたくなってきた。とはいえ普段料理をしない奏の家に木ベラなどないし、甘い物を控えているのでお菓子のストックもない。そもそもキャラメルは歯にまとわりつくので、そんなに好きでもなかった。明日買いにいこっと。そう思いながら、うつらうつらしてきた奏はそっと眼を閉じ、崩れるようにしてソファに埋もれていっった。
翌朝(といっても11時を回っていたのでほぼ昼どきと言っていい)、ゆるゆると支度をして整えた軽いメイクと可もなく不可もないような薄手のニットにデニムとスニーカーという格好で、奏は徒歩15分のところにある少し大きなショッピングモールへ向かった。初秋の今にはこのくらいがちょうどいい。昨晩のキャラメル熱はまだ冷めておらず、口の中はいまだあのほろ苦い甘みを欲している。
目当ての輸入食品を扱うショップの2つ手前に、カフェがあった。店頭の黒板に「季節のおすすめ キャラメルラテ」という文字を見つけ、吸い寄せられるように店に入る。ねちねちした本物のキャラメルよりも、こちらの方が好みだ。その選択肢はなかった!と思いながら、たまたまおすすめしてくれていた黒板とそれを見つけ出した自分の左目に感謝しつつ、普段ならどんな店でも迷わずにオーダーするクセで「カフェオレ」と言いそうになりながら、もごもごとキャラメルラテを注文する。
提供されたカップに、こんもりと乗ったフォームミルクの上に描かれた格子柄の薄い茶色の甘い香りを放つ魅惑のソースを見つめて、たまにはこんなのもいいよねと思う。
猫舌なので注意しながら口をつけると、ふわふわで優しいミルクと熱くほろ苦くも少しキャラメルの甘みを感じるカフェラテ、ほんのりかかったソースの濃厚な香りがなんとも言えない絶妙なバランスで混ざり合う。芸術的なセンスはあまり持ち合わせていない奏でも「ハーモニー」という表現がしっくりきそうな、複雑でありながらも整った調和を感じる大人の味わい。ふわっと広がるほろ苦さと甘みが交互に押し寄せる。口の中が複雑で、新しい味わいを堪能しながらちょっと感動さえする。こんなものが世界にはあったんだ。はじめにこれを考えた人は天才かもしれない。ミルクの多いカフェオレに砂糖を2つも投入する甘党の奏には、少し苦味が強く感じられたが、不思議と嫌な感じはまったくしない。濃厚なキャラメルの煮詰まった甘みのせいだろうか。一口ずつ丁寧にじんわりと味わいながら、昨日のぽっかり空いた自分の穴と、なんとなく観た映画が少しずつリンクしていく不思議な感覚があった。
きっとこれ以上を求めず、なんとなくで人生を続けながらたまにやってくる眠れない夜をやり過ごしながら生きていくことだってできる。多分そっちの方が楽なのだ。慣れ親しんだカフェオレを注文するように、何も躊躇することも挑戦することもない。もちろん失敗だってない。でも、それは同時に新しい味との出会いや複雑で言い表せないようななんとも言えない感動もないことにもつながる。私、そうやって生きていていいんだっけ?
さまざまなことに思いを巡らせながらもこれといった明確な答えが出ないままゆっくりと飲み進めていたら、気が付けばいつの間にか1時間ほど経っていた。ちょっとお腹も空いてきたしそろそろ出ようかな。
最後の一口を飲み干そうとした時、下にたまったカフェラテとキャラメルの濃い部分、カスカスになってほのかに残っていたフォームミルクの一部がぐっと一気に流れ込んできて、奏ははたと目が覚めたような気がした。いや、このままじゃだめだ。私、ワクワクしながら自分を生きたい。求められる姿もいいけれど、私が求める私を探してみたい。あの映画の登場人物たちのように、争いや制約の多い地にありながらも自分にしかわからない悩みや秘め事や葛藤を抱えて、それでも明るく生きて行こうとする女性がもつしなやかさや艶やかさを備えた大人になりたいと思いながら、奏は店を後にした。
最初の一口はやはり熱すぎたようで、ちょっと舌がヒリヒリしている。きっと、今の状況を変えるだけでもとてつもなく大きな負荷がかかるだろう。キラキラ輝く夢のような「自分らしい自分」になるには、一度すべてをリセットしたい。住むところも、仕事も、友達や彼氏だって清算してみよう。物分かりのいい、相手に合わせるだけの自分はここに置いていく。そうだ、思い切ってずっと行ってみたかった沖縄に引っ越そうかな。
いつも通りの日常を過ごしていくような楽さはきっとないだろう。「自分らしく生きる」なんて、甘いだけではないはずだ。
まずは職場と彼に離れることを伝えると考えただけでもハレーションが起きそうな予感。それでも、何かを終わらせ、新しくはじめる時には痛みが伴うもの。いまあるものを手放すときにはほろ苦さを感じることもあるだろう。時には声が出てしまうほど、ピリッとした痛みを感じることもあるかもしれない。
でも、合わせ飲んで初めて得られる感動があることも奏は知っている。思いもよらない出会いで、ふと思い立ったように舵を切る方向が急に変わる。そんなことがあってもいいんじゃないか。今は今しかないし、自分の人生も一度しか生きられない。そして、その方向を変えることはいつだってできる。
ぬるっと楽をして判断の手間も考える必要もなかった甘やかな生活から、新しいものに出会う感動とキラキラ輝く自分自身を探し求める決意を固めながら、奏はきた道を戻る。午後からはいそがしくなるぞ。引越し先や時期の選定、逆算した退職日の決定と彼への巣立ち宣告。やることが多い。でも不思議と億劫な感覚はなく、あのぽっかり空いていた穴をふさぐほどの大きさをしたワクワクが心の中で踊っている。
半年後、奏は大きな家具や家電はすべて処分し、トランクと大きなボストン1つにおさまる程度の好きなものだけを詰め込んで、搭乗ゲートへ向かっていた。
旅立ちを伝えたら職場の人も彼も引き止めることもなかったが、みな一様に「なんで?」とポカンとしていた。理由を説明するつもりもその必要もない。この人たちにとっては「使い勝手のいい人」「物分かりの良い人」が奏らしさだった。いつものカフェラテを迷わず頼むような、冒険をしない堅実さと可もなく不可もない姿が、奏そのものだった。それはそれで悪くはなかった。ただ、それはなりたい自分、ありたい姿ではない。楽だったからそうしてきただけ。窮屈というほどでもなかったが、特別楽しく充実していたとも言い難い。
フライト前に空港内のカフェに立ち寄り、久しぶりにキャラメルラテをオーダーした。自分を見つめ直すきっかけをくれた一杯をゆっくり味わいながら、新たな人生へと踏み出す自分を応援してあげようと思いながら口をつける。やっぱり一口目は熱くて、少しヒリヒリした。