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古巣

先日、元居た児童養護施設にお邪魔してきた。
前回は社会人2年目?くらいの時に訪ねたので、5年振り位だろうか。実に楽しかった。

私が入所していた当時は児童の定員が100名ほどだったのだが(多い時は120人くらいいたような気がする)、現在は定員70名で、55人くらいが入所しているらしい。
昔より里親制度が進んでいる背景があったり、あとは単純に児童保護が大変だかららしい。昔馴染みの先生が今は里親関係の担当をされていて、日本の児童養護の発展、みたいなのを素人目でも感じた。

施設長もこの前の10月で85歳になったらしい。全然老いを感じさせられなくて凄い。髪を黒染めするのはやめたんだなー、とは思ったけど、目の輝きとか、頭のキレは全然変わってなかった。やはり覚悟とか護るものがある人は衰えないんだろうな、と感じた。ミュージシャン衰えない理論と同じである。

気づけば職員室でべらべら喋ってる自分がいた。笑
なんか沢山話したけど、結局何度かある区切りでは「だから感謝の気持ちを伝えたいと思って来ました」と伝えた。皆さん受け止めてくださって嬉しかった。

本当は14時に伺う予定にしていたのだが、急遽私に抜けられない用事が入って16時くらいに行った。施設同志の同い年の子と一緒に行ったのだが、「赤が好きじゃなかったっけー」「これ○○先生ぽくない?」とか言いながら花束を選ぶのは楽しかった。施設長、糖尿病(しかも聞けばまあまあデータ悪い)なのに、菓子折りも押し付けてきた。悪くなりませんように。笑

聞きそびれたのだが、旦那さんである理事長先生はご健在なのだろうか。施設長が理事長兼任になってて、少し心配である。施設にいた時、理事長先生の白髪オールバックがハリーポッターのマルフォイに似ていたので、食堂などに理事長先生が現れた時に「マルフォイ来た!」「ふぉいふぉーい!」などと子供間で陰で茶化して遊んでごめん、と思った。

当施設は18時から夕食の時間なのだが、何となく流れで「千代先生のおにぎりが忘れられなくて」という話になった。卒業生が、頻度に差こそあれ先生方に会いに時々帰って来ているそうなのだが、皆、施設長が握ってくれたおにぎりが忘れられない、また食べたいと口を揃えて言うらしい。
私も、一緒に行ってた同志も、実は大分狙ってこの話題を口にしたのだが、なんと本当に施設長がおにぎりを握ってくださることになった。わーい🙌🏻

千代先生のおにぎりは、絶妙な塩加減に、ちゃんとまとまってるのにほわっとほぐれるあの感じが唯一無二だなと思う。今回、一応客人として扱ってくれたのか、コロナなどを経て衛生面を気にするようになったのか、手袋をして握ってくれたのだが、一緒に行った同志は私より3年ほど入所歴が長いので「昔は素手で握ってたよ、手を真っ赤っかにしながら。あの唯一無二感は千代先生の手の出汁やったんかもしれん。笑」と言っていた。

一応、糖質は摂り過ぎたらあかん…!と思っている私だが(出来てるかはさておき)、気づけば美味しすぎて8個平らげていた。朝から碌に食べていなかったというのもあるが、やっぱり愛情のスパイスが効いていたのだろうか、するする食べ進めてしまい、同志にはめちゃくちゃ笑われた。笑

おにぎりでべたべたの手を食堂の手洗い場で洗っていると、おちびさんに「きてー!」と呼ばれた。後を付いて行くと、その子はどうやら5歳で、幼児室に連れられて行った。幼児さんは夕食前にお風呂を済ませているらしく、何人かが普段着からパジャマに着替えかけた状態で群がって来た。
よっし、おにぎりの分消費するぞー、と思ったのもあり、代わる代わるだっこして走り回り、くるくる回ってジェットコースターみたいにする遊びが始まった。みんな簡単にキャーキャー言ってくれて嬉しい。笑
そういえばタマキとよく幼児室でこうやって幼児さんと遊んでたな、とか思いながら、ちょっと息切れした。おにぎり、出そう。そういえば私アラサーなんやったわ。中身小学生なんやけど。

そうこうしていると夕食が終わって食堂か
ら幼児室に帰ってくる子が増え、先生達もぱらぱらと幼児室に帰って来た。

すると、1人の先生に「分かる?」と話しかけられた。しばし顔を凝視した後、え!♡♡ちゃんやん!と湧き、えーなんでここにいるの、幼児室で働いてるの、などと質問攻めにした。昔私が懐いていた3個上のお姉さんだった。実は食堂ですれ違っていたそうなのだが、思い返せば私は心の隅で綺麗な人だな、くらいにしか思っておらず、♡♡ちゃんは「全然気づかんやん」と思っていたらしい。まじまじ見ると、黒髪がストレートになっている以外は何も変わっておらず、昔のように華奢で肌も綺麗だったので、あろうことか垢抜けている年上の女性に「年確されるやろ?」とかちょっと失礼な事を言っていた。
♡♡ちゃんは、今日私の事を久々に見た時はすごく変わったな、と思ったらしいが、笑うと全く変わってないのが分かったと言ってくれた。嬉しかった。彼女は仕事中だったので、少し話し、また遊ぼー、と約束した。

余談だが、私が施設にいた当時、推しの男性の先生が居たのだが、その先生は今幼児室担当になっていた。まあ、当時既に先生には妻子がいて、本気でどうのこうのなる気はなく、何かしら好きな対象を作りたい思春期のアレである。なんなら私の推し、昔から「えー、○○先生?おじさんやん!」「頭薄なってきてるやん!」とか言われていた。失敬な。確かに久々に会ったら薄くなっていたが、職員室に居る時「もう○○先生にときめいたりせーへんてー」とか言ってたくせに、会えばしっかりツーショを4枚撮り、超満面の笑みの私がカメラロールにいる。あれぇ。
ちなみにいつも遊ぶ親友、あの子も同じ施設出身なのだが、その子の推しの先生も変わらず落ち着きのある良い人のままだったので、施設を出て親友と合流し3人で飲みに行った時、あ!□□先生と写真撮り忘れた!前髪高橋一生みたいで爆イケしてた!などと伝えたところ、なんかとても責められた。一緒に来たら良かったのに。
なんなら親友と同志は今、あるメイドカフェにはまっており、それぞれに大層好きなメイドさんが居るのだが、2人して「□□先生のコレチェキゲットせな!」とか、「オプション付ける!?付けさしてくれるかな!?」「近めで。って言う。(  ˙-˙  )」とか口々に言ってて怖かった。オタク怖い(おま言う)。2人共旦那さんに怒られろ。笑

人気のレギュラーメンバーの先生は、定年退職の方以外は大体残ってて嬉しかった。私、割と内弁慶で、学校ではそんなにだが施設ではテンションが高い人だったと思う。どういう経緯かは知らないが、卒業して10年経ったのに、先生から子供達に卒業生の話をすることがあるらしく、わらわら集まってきた知らん子達に「ひぇーい!の人どっち!?」と聞かれた。私が懐いてた女の先生に「こっちやでー」と指さされ、なんか納得された。心外である。
助け舟のように、施設長の娘さんのゆみ先生が、高校生の私が描いた絵が印刷されたノボリを持ってきて、けど賢かったしこんな絵も描けるねんでー、と言ってくれた。実際はそんな賢くなかったし、美術の先生の手助けが無ければ絵とか花器も当選しなかったのだろうけど、子供達が色々頑張る助けになればいいかー、と思い、「いやいや…」とか言いながら苦笑いしていた。ただこれだけは言っときたいなと思い、「学生さんの頃は不真面目な方がかっこいいとか思われるかもしれんけど、大人になったら賢い人や真面目な人がかっこいいって評価されるからね。勉強はしといた方がいいよ、まあ私もそんなに出来てなかったけどね!」みたいな事は言っておいた。でも本当にその通りだと思う。社会は厳しい。
詳しくないけど、今は利子の無い奨学金も増えているみたいだし、出来るだけあの子たちが沢山のことを学べますように。

実際、私がべらべら楽しく話し終わった後だが、もうこの世には居ない子の話になった。
千代先生はタマキの事も把握していて、もちろん少し話したのだが、半年から1年前くらいに、1個歳下だった優しくて穏やかな女の子が精神を病み、橋から飛び降りて亡くなっていたと聞き、ショックだった。
私がべらべら話している時に、同時期に施設にいた子たちの事も話題に上がっていたのだが、そういえば5年くらい前にその子とばったり三宮で会って、また会おうよ!って言ったけどなんやかんや会えてない、元気かな?とか話した時、確かにうやむやにされていた。千代先生がその子について淡々と、でも優しく語っている間、ぼろぼろ涙が出た。

今が令和なのもあるのだろうか、児童の定員が少なくなったからだろうか、なんとなく主に中高生のヒエラルキーが緩んでいる気がした。私たちが居た時は、髪の毛ツンツン、ちょい不良がモテる、みたいなムーブもあったのだが(ちなみに私は図書館にいる落ち着きのある賢いタイプが好きだった)、今の子の方が元気で素朴な子が多い気がした。
今はスマホを持ったりできているのだろうか?2010年頃の当時はウィルコムさえ持ってることがばれたら没収されていたが。
主に2人1部屋で使っていた部屋は、今では1人1部屋使えているらしい。良かった。
あ、クーラーは常につけといたげて。まあ時々夜中に本体いじって勝手につけたりもしてたけど。笑
光熱費だけで月に何百万円単位でかかるので、あまり良くないのだけど。

私達が暮らしていた時、途中で施設が新しい綺麗な建物に建て代わり、前の建物の1部は倉庫として残された。久々に古い棟を見るととても懐かしかった。新棟に住んでいた頃は、ベランダから見えるそれが怖かったのだが。
おばけがいる説もあった。しかも本当にいる気がする。霊感強い人、一晩寝てみるといい。
前の古い建物には増築された部分があり、その繋ぎ目で境界線を作って段上・段下、という風に呼び、掃除当番を決めていたり…。当時を知る人と話すのは感慨深かった。

もう4000字。わー。明日、てか今日は遠出するからはよ寝なきゃ。

その後名残惜しみながら「次来る時は米背負って来ます」とか冗談言いながら施設を後にし、通学路エモー、てかさむー、とか言いながら駅まで歩いた。

私が幼児室で楽しく遊んでいた間、同志は私が一向に帰ってこないので、千代先生や周りの先生達に「りょうこちゃんが帰ってこなくなりましたー」とぼやいていたらしい。
それに対する先生たちの返しはこうだ。

千代先生「あの子はいつもや」
懐いてた女の先生「いつもやろ」
食堂の栄養士の先生「みよちゃんはそうやな」
等々。

うん、ごめんなさい。笑
でもちゃんと帰ってくるでしょう?

結局ゆみ先生が幼児室に声掛けに来てくれて、ようやくちびっこ達とバイバイした。子ども、体温たかー。ほっぺむちむちもちもちー。また遊びに行こう。次はお土産を持って。

帰りの電車で、次いつ行こうかなーとか言いながら日本橋で親友と合流し、3人でちょっと飲み、解散した。

とても楽しい1日だった。



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