祖母のこと。
4年前の、2018年の2月14日。父方の祖母が亡くなった。
実の両親は離婚していて、本来であれば父方の祖父母とは関わりを持つこともなかったはずだが、あまりにも私が祖父母に懐いていたから、母はやむを得なし、と私は祖父母に会うことができた。
おじいちゃんとおばあちゃんが暮らしていた家は、奈良にある一軒家で、なにかが変わっていたようなわけではなかったけれど、お昼間にあったかな陽がさすリビングが私のお気に入りで特等席だった。
春は祖父母の家にいる犬と一緒にぽかぽかのカーペットの上で寝て、
冬になればコタツを出してきて、一緒にウトウトして。
「そんなところで寝ると風邪ひいちゃうぞ〜」と優しくて少し厳しいおじいちゃんの声、までが1セットだった。
よく寝てよく食べる、健康優良児の代表!みたいなわたしは朝に弱く、いつも11時くらいに起きてリビングに行けば、おばあちゃんからの「お寝坊さんだねえ」。
おばあちゃんはそんな私のために、必ず俵型のおにぎりとお味噌汁を作ってくれていた。私が今もお味噌汁が好物の一つなのはきっとこれが理由だと思う。和食っていいよね。
私が小学生の時、おばあちゃんちに行くと、
「よくきたねえ、美味しい牛肉買ってカレー作っておいたよ。」と祖母が駅まで迎えにきてくれた車内でよく言っていたのが印象的。実は、カレーライスってあまり好きではなかった。給食だと少しがっかりするくらい、だけどおばあちゃんの作るカレーだけは何故だかとても美味しかった。
おばあちゃんちに行くと、おばあちゃんがビデオに録画してくれていたセーラームーンを何度も何度も見返した。
途中、うまく再生されなくてワンワン泣く私を慰めて、おばあちゃんは器用にくるくるっとフィルムを巻いて直してくれた。もう15年ほど前のことになるが、今でもその時のことを思い出せる。
(亡くなった後に知ったのだが、祖母は編み物が得意で、冬場はセーターを編んで祖父にプレゼントしていたらしい、すごい。)
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祖母の亡くなる予兆、というか"死"を初めて意識したのは高校2年生の夏だった。
当時、ニュージーランドに一人留学をしていた私は、マメに祖父から届く手紙に返事をする、所謂文通をしていた。毎回、便箋3〜5枚くらい近況報告や私の体調を慮る内容がぎっしり書かれていたのを覚えてる、懐かしい。
祖父から届く手紙を読みながら、毎日頑張ろう!と日々奮闘していた。ある日届いた手紙には、いつもの手紙には似つかない内容が書かれていた。
祖母が膵臓癌になったこと
手術をして今は問題ないこと
自分の身の回りの人に、死が迫っていたこと、それが大好きな祖母であること、突然それを知らされたこと、いろんなことが重なってショックで何も考えられなかった。
少し、時間が経ってから涙が溢れた。訳の分からない、何か大きくて怖いものが迫ってきているように感じたのだ。自分ではどうしようもない、そんな何かが。
祖母は、私が留学から帰ってくるまで私を待っていてくれた。その頃には祖母は入院と退院を繰り返していて、あんなにふっくらして気持ちよかった祖母の体は、すっかり痩せて、枯れ木のようになっていた。
そんな祖母をみて、また、私は逃げた。
祖母が亡くなる、祖母の死から目を背けた。
両親が離婚した時のように、何もなかったかのように、自分の心が傷つかないように、無関心を装った。
会える時に会いに行けばよかったのに、
"いま会いにいかなくても、また今度会えばいい"
時間が有限であることを知っていたのに、
会うことを先延ばしにしていた。
祖父は私と祖母の別れのために、祖母が寝ていると起こそうとしてくれたのに、
「眠い時は寝かせたったらええやん」
何もわかっていなかった。もう、次に会ったときは話すことができないかもしれないのに。苦い顔をする祖父の意味が、ようやくわかったのは亡くなってから数年経った今だ。
死に向かっていく祖母を、目の当たりにして泣かない自信がなかった。事実、一度祖父の前で泣いた。
人前で泣くことをとても嫌っていた私は、祖母の前で泣きたくなくて、より一層祖母と会うことを好まなかった。
会えばよかった。
格好なんてつけず、会えばよかった。ワンワンと泣いて、祖母に抱きしめて貰えばよかった。抱きしめたかった。私がどんなに祖母のことが大好きなのか、伝えればよかった。祖母はどんな人生を送ってきたのか、話してもらいたかった、話を聞きたかった。もっと祖母と話をしたかった。
縋りついて、置いていかないで、死なないで、私のウェディングドレス姿を見てよ、と情けなく泣きつけばよかった。祖母を引き留める行為がどれだけ悪どいものであったとしても、そんな綺麗事は吐き捨てればよかった。
「勉強ができてええなぁ、おばあちゃんが小学生の時は戦争やったから、できひんかってん。」
母に叱られ、泣きながら勉強する私は素直にその言葉の意味を理解できなかった。でも今ならわかる、どれだけ学びが尊いものか。
あの日に戻れるなら、「おばあちゃんの分まで勉強頑張るわ!」か「おばあちゃんも一緒に勉強し
よ!」か、なんでもいい、返事をやり直したい。
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最後の面会は、祖母が亡くなった20分後だった。祖母は眠るように亡くなっていた。きっと、お医者さんの計らいで、痛みを感じさせずにおくってくれたんだろうと思う。横で眠る祖母は、やっぱり前と比べて痩せてしまってはいるものの、いつもと変わらなかった。本当に死んでいるのか、と思う私の横で祖父が「いまは混んでるらしくて火葬は4日後って言われちゃったよ。」と言ったのを聞いてこれが現実なんだと理解した。
亡くなった直後、人はまだ暖かいことを知った。
祖母が亡くなった後も、私は特にショックを受けたわけではなかった。
たまたま祖母が亡くなった日が、高校の最後の学術祭の日で、心の体調的に行けないわけではないけど「めんどくさいから行かなくて済むじゃん、ラッキー。」と思ってたくらいだった。
まあ人はいつか死ぬものだしなと達観したように、私の心は穏やかだった。
それが一変、お葬式が始まった瞬間、急に涙がこぼれた。お葬式が始まる前は、久しぶりに会う兄と談笑したくらいにはいつもと変わらなかったのに、なぜか、涙が溢れて止まらなかった。幼い頃から泣き虫だった私は絶対泣くだろうな、とは思っていたが予想以上に泣いていた。声を殺して、肩と呼吸を震わせ、出来るだけ静かに、お経の邪魔にならないように泣き続けた。不思議だった。早く泣き止まなければ、と思って涙となんとか止めても、5秒もすればまた出てしまう。泣きたいわけじゃないのに、涙が溢れて止まない。あれが理性と感情の不一致だったのだろうか。
頭の中では、もうおばあちゃんには会えない、おばあちゃんの作るカレーが食べれない、おばあちゃんがいるあの家には行けない、おばあちゃんと話せない、もうおばあちゃんは○○ちゃんと私のことを呼んでくれない、おばあちゃんにはもう私の孫も、結婚相手も、結婚式も見てもらえない、そんな当たり前のことがぐるぐると巡っていた。
ようやく、わたしは人が死ぬということを理解した。
人は死ねばもう笑うことも怒ることも、抱きしめることもできない。そんな当たり前のことに、祖母が亡くなってから初めて気づいた。大馬鹿者だった。
その日の夜、ようやく本当の自分の心に気がついた私は祖母へ最初で最後の手紙を書いた。生前、祖母には手紙すら書いたことがなかったことを今になって思い出した。だけど、手紙というにはあまりにも身勝手すぎる、後悔と謝罪だった。
案の定、火葬式も泣いた。泣いて、泣いて、泣いて。どれだけ泣いても、涙を止めようとしても溢れるものは止まらなかった。焼却炉に運ばれていく祖母を引き止めようかとも思ったのを覚えている。
よく見かけるシーン、あんなのドラマの中だけだと思っていた、案外当事者になればそんなこともなかったのだと知った。
そして、不思議なことに、一旦祖母が視界からいなくなれば涙はひっこむのに、祖母を思い出せばまた涙がこぼれた。どういう原理なんだろう。冷静にいるよう、努めていたのかもしれない。祖母を目の前にすれば、理性で抑えることは出来なかったのかもしれない。
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祖母との別れから今年で4年になる。恋愛では、キズは時間が癒してくれるという。まあそれは本当だと思う。本当だとは思っているが、"大切な人をなくす"ということにはあまり当てはまらないように思う。いまだに祖母を思い出しては夜に泣いてしまう日があるから。
現に今も、文字に起こせばこの気持ちが昇華できるのはではないか、と思っていたのにむしろ募るばかり。
ねえ、おばあちゃん。もう私22歳になるんだよ。大学を卒業して、来年から社会人になるんだよ。公務員になるの。偉いね、○○ちゃんすごいね、頑張ったねって言ってよ。中学受験の時みたいに、応援してほしかった、褒めてほしかった、自慢の孫だって言ってほしかった。
年々、祖母を思い出して泣く日は少なくなってきている。きっとあと1〜2年くらいすれば思い出して泣くことはなくなるのかもしれない。いや、私は涙もろいから多分無理だな、泣くだろうな。でも泣いたっていいでしょ、だって大切な人にもう2度と会えないんだよ。
早く祖母に会いたい。なんて言えば祖母は叱るだろうか。呆れるだろうか、それとも「仕方ないね」と笑ってくれるだろうか。いや、きっと「そんなこと言ったらあかんよう。勿体ない!」と叱るだろうな、だっておばあちゃんだもん。
おばあちゃん、ありがとう。
おばあちゃんの孫になれたことが嬉しい。
小学生の私に、たくさんの思い出を作ってくれてありがとう。
私にたくさんの愛を伝えてくれてありがとう。
私に安心する居場所をくれてありがとう。
私に幸せを教えてくれてありがとう。
私に後悔を教えてくれてありがとう。
ありがとう。たくさんたくさん、ありがとう。
頑張って生きていくね、でも時々死にたくなってもゆるしてね。ありがとう、ずっと忘れないよ。