あの日のゲームセンター
私は幼少期(といっても小学校卒業までだが)、毎週末に父とゲームセンターへ行くことが日々の楽しみだった。
誰もが一度は訪れたことがあるであろう、モー〇ーファンタジー。
私は保育園からほぼ毎週末欠かさず訪れていた、まさにヘビーユーザーといっても過言ではない(だろう)。
することはいつも決まっていた。
父は奥にある、100円玉専用のスロット。そして私に「これで遊んでおいで」と渡される200円。
いつもこの2枚の硬貨で何をしようか、胸を躍らせていた。
定番は太鼓の達人、そしてアイスのクレーンゲーム(笑)
時々もう1回だけ、クレーンゲームがしたくなって「あと100円だけ!!」とねだっていたのが懐かしい。
時には私も父と同じように、スロットをすることもあった。当たる快感、目押しの楽しさに気付いてしまったのはここだろう、と思う。
父のスロットが落ち着いたころには二人で一緒にメダルゲームにいそしんだ。ジャックポットを狙って二人で戦略ゲーをしながら、まだかまだかと夢中になっていた。
兎にも角にも、かけがえのない、楽しい思い出だった。
メダルゲームもそれなりにしていたので、毎回メダルを預けていて、時には2,3000枚になることもあった。
絶対に無くさないように、二人で増やそう!!と意気込んでいたメダル。
だけど、私は1600枚程度あるメダルを全て使い切った。
いつもなら、父は許さないはずなのに
その日、父は「使い切っていいよ」といったのだ。
その違和感には気付かなかった、気づけなかったのかもしれない。
数年越しに、私はあの日の答えにたどり着いた。
私が小学校6年生の時に両親は離婚した。
あの日、父はいつものゲームセンターで、ここに私とくるのは最後、と決めたのだろう。いや、向かう前から決めていたのかもしれない。
父が家を出ていったあの日から、
もう一緒にゲームセンターにも、どこにも、行くことはないとわかっていたけれど、
私だけが気づかないまま、最後を迎えていた。
私はあの日、使い切ったメダルに、父と去るゲームセンターに何を感じていたのか、もう思い出せない。
あの日の父は、どんな表情をしていたのだろうか。