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人生で初めて自分でガッツリ選んだこと

こんなこと自分で言いたくは無いが、自他ともに認める気が強めの女のため、色んなことを自分で決めてきた。

進学先、就職先、結婚相手、転職、子どもを産むこと…

なかには反対の声が出たこともあった。

でも決めた以上はやる。というかムキになって頑張ってみたりして、なんとかなってきた。

中でもどこまでも自分の選択を貫き通してやり切ったのは大学受験。

そもそも、私は医学部医学科志望だった。
親に頼んでお金を払って医学科受験に必要な科目の補習まで受けていたのだけど、

ふと、ほんとに医師になりたいんだっけ、医学部進学率が高い学校で、行けそうな成績ランクにいるから流されているだけでは?

一旦そう思うともう、体調が悪くなるほど悩んでしまい、思いきって補習も塾もやめた、やめて文化祭を楽しんだ。

文化祭も終わって燃え尽きて、そうしたら勉強したいなと思うようになった。

好きな分野が学べるところ、その中からまずは関西で1番難しいところを目標にすれば誰も文句言わんやろ、と思った。

現実は甘くなく、学年主任に呼び出されるわ、担任に諭されるわ、親は「そんな難しい大学行けるの?」と心配するわ。

それでも毎日毎日勉強して、センター試験は少し失敗したけど、だからやはり第一志望は諦めたら、と心配する親を、同じ大学出身の先生が「なんとか行ける」と説得してくれ、

浪人はダメ、私大もダメという背水の陣で臨んだら、合格してしまった。

これだけ見れば単に頑張ったらできたの、良かったねって話だけど、私は3日間ほとんど食事も取れず何かおかしいと親に病院に連れていかれるほど悩んで医学部受験を辞めたし、

センター失敗後は顎関節症になって、僅かにしか開かない口の隙間からご飯を流し込んでいた。

繊細とかそういうことが言いたいんではなく、自分で選ぶ、ということはここまで追い詰められて、追い込まれて、それでも自分で何とかするということか、と学んだ日々だった。

逃げることは簡単だが逃げたくは無い、いや、他人から見れば医学部受験から逃げたかもしれないが、一応同等に難しい大学を受けようとして、結局受験勉強自体からは逃げない、そんな選択だった。

結局、逃げたら楽になる訳でもないし、今逃げたら後でしんどいだけかもしれないし、そういうことも含めて、人生がかかっていることほど自分で選ばなくてはならないのだ。

なぜなら他人は、他人の人生をかけた選択に責任を負えないから。
口だけのアドバイスはたくさんの人がくれるけど、結果を出すまで伴走してくれるわけではない。代わりに何かしてくれる訳でもない。もちろん失敗の責任もとってくれない。

自分で選んだからやるしかない、失敗できない、失敗したら自分のせい…それがいいガソリンになって、最後まで走り切っただけだと思う。

自分で選ぶことはしんどい、とにかく受験はしんどかった、でもやってよかった、あれから10年以上たっても、あれだけできたから出来るだろという謎の自信がある。

それは過去の自分が選んで、努力の経緯や結果を含めて、単純な学歴や試験結果だけではなく、自信や経験を今の私に与えてくれたということだ。

自分で選んで本当に良かった、そして、体に支障が出るほど悩み散らかしながら選んでくれた過去の自分に、本当に感謝したいと思う。


#自分で選んでよかったこと