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わたしのお気に入り☆1/17 神戸ルミナリエ

神戸ルミナリエ、というイベントの認知度はどの程度なんだろう。

わたしが関東に住んでいた頃、周りのひとたちに聞いてみたところ、意外とルミナリエなんて知らないというひとが多くてびっくりした。東京ミレナリオとかいう、神戸人からしたら完全に後追いやん!っていうイベントの方が知られていたりして、がっかりしたことを覚えている。

西日本において、ルミナリエの知名度はかなり高いと思う。

近隣県に住むひとたちからは、神戸在住で毎年空いている時を見計らって見ていると言うと、とてもうらやましがられたものだ。わざわざ何時間もかけてこのためだけに旅してきて、恐ろしく混み合う週末にしか訪れることができないひとたちからしたら、恵まれた環境にいたことは確かだ。

1/17(金) 本日の一品

神戸ルミナリエ

2019年の来場者数は346万9千人だったそう。


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第一回目の開催は、1995年12月。

まさに震災の起きたその年から、このイベントは、鎮魂と追悼、そして街の復興を祈念して神戸で開催されることとなった。


最初の年、まだ誰も見たことのない灯りがともされた瞬間。

一斉にひかりを放ちはじめる無数の電球をはじめて見上げた時のあの気持ちを、なんと言えばいいのだろう。

白熱電球のやわらかいひかりが、一様に天を仰いで歩くみんなの顔を、まばゆくオレンジ色に照らしていた。ひとびとは口々に、そのひかりの温かさと荘厳さをたたえあった。

そうして誰もが、あのひかりを見上げながらこの街にいなくなったひとびとのことを想い、胸の中でそれぞれの祈りを唱えているように見えた。

鎮魂。

追悼。

単なることばだけではない本物の気持ちが、確かにあの瞬間、あの場所で、空を見上げるすべてのひとびとに共有されていた。


天国というものがあるとしたら、こういう光景のことを言うのかもしれない。

そんなことまで思わせるような、厳かな空気がただそこには、あった。

この年、わたしはこの目で地獄と天国の両方を見たような気がする。


長らく暗い気持ちで過ごしてきた神戸のひとびとの希望のともしびとして、それまでに聞いたこともない異国の伝統行事だという無数の電球たちが、夜空をしっかりと照らしてくれていた。

わたしはあの灯りを見た日の感動を、今でも忘れることができない。

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それから毎年12月に開催されるようになったルミナリエは、復興してゆく神戸の街を代表するような『冬の風物詩』と呼ばれるようになり、地元のひとたちにとっても、だんだんカップルたちが行き交う単なるクリスマスのイルミネーションのうちのひとつ、みたいな位置づけになっていった。

街が復興をとげ、観光業に力を再び入れはじめた神戸では、客足の戻りというようないわゆる『商業的な成功』だけが注目されるようになり、ルミナリエの本来の意味はすっかり失われてしまったように見えた。

開催地付近で働いていたわたしにとっても、ルミナリエの来場者数がピークを迎えた頃には、集客とそれに伴う徒労のわりにまったく収益につながらず、愛する街をただただ混沌と猥雑をきわめる場所へと変えてしまう、迷惑な存在に思えることすらあった。

そして神戸を離れることになってからは、年末の帰省に合わせるにしても中途半端な開催時期のルミナリエに、わざわざスケジュールを合わせて足を運ぶことはなくなっていた。

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関東での暮らしの中で忘れかけていたルミナリエを、ある年、急に娘が見てみたいというので初めて一緒に連れて行くことにした。

まばゆく煌めく青白いひかり。カラフルな電球と豪奢なデザインに生まれ変わったイルミネーション。

LED電球になってしまったルミナリエの灯りは、わたしの知っているあのオレンジ色にぼうっと照らされた、見上げると本当に頬が熱くなってくるような温もりのあるものではなくなっていた。

正直なところ、少しがっかりした気持ちと同時に、やっぱりな、という思いがこみ上げてきた。

予想はしていたのだけれど、単に電球が変わってしまったということだけでなく、それを見上げる自分の気持ちもいつしか変わってしまっていたのだ、ということを、わたしは認めざるを得なかった。


けれど、初めてそのひかりを見た娘は、感激している様子だった。

そうか、この震災を知らない子たちにとっても、なにか特別な意味を持つ灯りとして、その瞳にしっかりと映ってくれているのか。

やはり、その灯りは見る者の心を打つのだ。


震災まっただなかに生きていたわたしたちと、いまを生きるこどもたちとの間にどれだけの時間が流れて、どんな想いがあるにせよ、その灯りをこうしてつないでいくことに、必ず意味はあるのだと思えた。

形を変えてもつながる想いは、知っているわたしが伝えなければならないこと。

そのことに、気づかされた灯りだった。

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ひとはどうしても、つい善し悪しを決めたがる。

「白熱電球の方がよかった」
「燃える前の昔の神戸の街は良かった」
「LED電球にはあたたかみがない」
「復興後の神戸にはひとの温かさが減ってしまった」


どこかでよく聞くようなことば。

つい言ってしまいそうになることば。

確かに事実はそうなのかもしれない。


だけど、勝手に善し悪しを決めつけて、都合のいいところしか見ないで、いつしかすっかり変わってしまったのは、他ならぬ自分ではないだろうか。

善い悪いですべてを決めるような時代に、わたしがしてしまってはいないだろうか。

そのことを、常に問える自分でありたいと思う。


わたしはいつも自分を見つめながら、置かれた環境のせいにしながら生きてはいないだろうか、と自分に問い続けていたい。

あの日いったんは死を覚悟しながらも、ただがむしゃらに生きるしかなかった日々のことを忘れてはいないだろうかと、いつも、いつも、自分に問い続けていたい。

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25年目の1/17を迎えたこの街で、今日のわたしは珍しくシリアスに、そんなことを想っていた。



さあて、明日は何を愛でようかな。


食いしん坊の毎日はこうしてつづく。

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明日からはまた、心を満たしてくれる美味しいなにかについて、あっけらかんと話したくなったりするのかな。

お楽しみに。






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