つながるいのちの環と大地の祈り~1/17新長田でカンタ!ティモール上映会をやりたい!
カンタ!ティモールとの出逢い
東ティモール民主共和国。
初めて聞いたのはいつだったか、もう思い出すこともできないけれど、その名前だけは聞いたことがあって、おぼろげな知識で「長く続いた戦争から独立を果たした国だ」くらいの認識でいたわたし。
ある日、友人のSNS投稿でその名前をまた目にした。
内容を読んで少しは東ティモールについて知ることができたあとも、まだあんまりピンと来ていなかった。
ただ、その想いを友人へ伝えてきてくれた中学生のお手伝いができるのなら、と東ティモールの珈琲豆を分けてもらい、それを自分が活動しているレンタルスペースで提供することにした。その中学生の子が書いて送ってくれたお手紙のコピーもいただき、誰でも見られるように珈琲豆と一緒に展示して、毎週の『いちまいごはん』で出し続けていた。
どちらかというとそれは、東ティモールの人々のことに想いを馳せるというよりも、なにかを伝えようとする若い力に引き寄せられて、なんとなく彼女を応援したいという気持ちだけだったような気がしている。
ある日、ランチにいつも来てくれる友人がその手紙に目を留め、「ヒトミさん、カンタ!ティモールって知ってる?わたしその映画をずっと観たくって探しているんだけど、なかなか上映されてないの。」と教えてくれた。
確かに、探してみても過去の上映についての情報ばかりで、近日中に開催される上映会はどこにもなかった。
それから数か月が経って、いつも東ティモールの珈琲豆を分けてもらっている西川昌徳さんがついに『カンタ!ティモール』の自主上映をされるという知らせをくださった。
これはずっと観たがっていた友人に教えてあげなくては!とさっそく連絡を取ったけれど、残念ながら予定が合わず彼女は行けないとのこと。
わたしもその上映会には参加できなかったのだけれど、来れなかった人のために再上映してくださることになり、幸運なことにほぼ貸し切りに近い状態で観ることができた。
映画の内容については多くを語るつもりはないが、観終わったあと感じることがたくさんあり、この映画との出逢いは確実にわたしを大きく変えた。
いろんなメッセージを受け取ったような気がしているけれど、なによりも一番に感じたことは、今わたしや周りにいてくれる人々がやっていることに対して、天から「それでいいんだよ」と言われたような不思議な気持ち。
そして、この映画を多くのひとに観てもらいたい!という強烈な祈りにも似た願いが湧き起こってきた。
いま、わたしのやりたいことはただひとつ。
この映画を新長田のまちで上映したい!
それもこのまちにとって特別な日、そう、1月17日に。
なぜ新長田なの?
1995年1月17日、高校生だったわたしは新長田のまちに立っていた。
寝ている間にがれきと化したまちを前に、ただ呆然と。
この経験は、確実にわたしの人生において大きな転換点となっていて、いまのわたしをかたちづくる重要なピースになっていることは間違いない。そして当時はまだ知らなかった『満月の夕』という曲との出逢いが、ここから先のわたしの人生を大きく左右するような気がしている。
2022年1月17日。
『いちまいごはん』をやらせてもらっている六間道のr3に集う人々と、その日に新長田のまちで炊き出しをしたいね、という話を秋頃からしていた。
そして、このところ自然発生的にはじまったウクレレを演奏する催しで、ひょんなことから出逢った『満月の夕』を唄いたいという声もあがっていた。
まだなにも具体的には決まっていなかったのだけれど、ご縁があったひとたちと協力しあって、なんとなくr3界隈で阪神淡路大震災にちなんだイベントをやることになりそうな気がしていた。
そうしてあの日『カンタ!ティモール』を観終えた時、なぜだかこの映画は絶対に、新長田のまちで暮らす人々に観てもらいたい!と強く想った。
東ティモールのこどもたちや、語り部となってくれている人々の生きる姿が、なんとなく新長田のひとたちと重なって見えたのだ。
血のつながりなど関係なく関わり合ったみんなで大きな家族みたいに暮らす人々の姿、壊れたまちが大地とつながって自然と音楽が生まれて再び芽吹いてゆく様子。
非情にも壊れてしまったまちとひととの行く末が描かれたこの映画は、あの震災を生き抜いてきた新長田でこそ上映されて、広くたくさんの人々に観てもらいたいと思った。
『満月の夕』と東ティモール
この映画ではとにかく、全編を通して絶えず音楽が溢れているのだけれど、中でも主題歌として唄われていた曲が強く印象に残った。
映画の終盤で日本語バージョンになったその曲を聴いたとき、唄っている声がとっても懐かしい気がして、なんだろう、この不思議な気持ち。
最後まで観終わって、エンドロールに流れてきたのは、中川敬さんの名前だった。
それはあの『満月の夕』の作者であり、震災直後に長田のまちを訪れて演奏してくれていたソウルフラワーユニオンの中川さんで、奇しくも彼がこの映画の音楽監修をされており日本語版の主題歌を唄っていらしたのだ。
わたしは震災前から『満月の夕』が生まれたとされるその地、南駒栄公園でいつも遊んでいた。震災の日もその後も、自分の住むまちがいったいどうなってしまったのか知りたくて、友人と自転車で走りながらあちこち見て回った。そこは震災直後からテント村の集まった避難所となり、そのあとは仮設住宅が建ち、なじみの公園は遊ぶ場所ではなくなっていた。
その南駒栄公園にあった避難所を、中川さん率いるソウルフラワーモノノケサミットが訪れたことがきっかけで『満月の夕』ができ、その後も各地の避難所を回ってくれていたらしいのだが、わたしは彼らに一度も遭遇することはなく、『満月の夕』という曲に出逢ったのもずいぶん後になってからだった。
https://www.youtube.com/watch?v=NNaQS3KF3TI
はじめてその曲を聴いたとき、震災の日と同じように赤く見える大きな満月に怯えていた人々の声、燃え盛るまちの温度や匂い、そして凍てつくような空気のつめたさが鮮明に浮かび上がって、その歌詞が思い出させるあまりのあの日、のリアルさが怖かった。
こんな歌はわたしにはとても唄えない、と思ったし、一緒に映し出される震災の日の映像を見ることもしんどかった。
けれど、月日が流れ、一度は捨てたはずのそのまちで過ごすことが増え、そこに住むひとたちとの交流がどんどん生まれて、わたしはようやくここ長田にいてもいいんだ、と思えるようになった。
そして最近、新長田のまちで出逢ったひとたちとウクレレをはじめてから、ふとしたきっかけで『満月の夕』を唄うことになり、聴いてくれたひとたちもみんなでこの曲を唄いたい!と言ってくれたので、来年の1月17日に一緒に演奏しようね、ということになっていた。
まさか、このタイミングで、あの中川さんが出てくるとは。
この映画をもし新長田で上映できるとしたら、それはもう1月17日しかないのでは。
そう確信したわたしは、気になって『カンタ!ティモール』と中川さんの関係を調べてみることにした。
そうしたらなんと、この映画のできるきっかけのどまんなかに中川さんと『満月の夕』がいた。
東ティモールの独立記念式典に中川さんが招かれ、現地で『満月の夕』を唄ったときに、監督が映画に出てくる唄う青年アレックスと出逢い、やがてこの映画が生まれたという。
なんという偶然。
ここでも不思議なご縁がつながった気がした。
映画の上映会を実現したい!
さて、ここまで来たら。
もうなんとしても、新長田の地で『カンタ!ティモール』の上映会を開催したい。そしてひとりでも多くのひとに、この映画を観てもらいたい。
2022年1月17日。
この日に、このまちで。
どんな規模でもいい、かたちにしたい。
これからやろうとしていることに関わるすべての方に届くように、いまわたしはこの文章を書いている。
どこまでやれるか。
どこまで叶うか。
わからないけれど、とにかくやりたい!
その一心で、1月17日まで突き進む。
どうぞ、届きますよう。
どうぞ、叶いますよう。
ただただ、空に、祈る。