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あなたの見つめる世界のその先を

会いたいひとに会いに行くことにした。

そのひとは今、歌を唄っている。バンドでも、ひとりでも、いろんなところで。


旅のお供はハミングバード。裸足にビーサンで、リュックにギターを抱えて、世界中呼ばれたところへどこへでも出かけて、自分の作った歌を唄いながら、たくさんの観客の前でも、たったひとりだけのためでも、変わらない熱量で全力を出し切って、そうしてサラッとまた雑踏へ消えていく。

不思議なひとだ。


私がnoteをはじめるきっかけをくれたひと、坂爪圭吾さん。

彼との出逢いは、いばや通信というブログだった。

最初は『とにかくやばいことをやる』というコンセプトだけで会社を立ち上げて、思いついたことを片っ端からやってみているひとなのかな…程度の認識しかなかった。

やっていることはよくわからないけど、彼の独特の世界観と文章の力に引き込まれて、過去の記事まで遡って夢中で読んだ。

ホームレス生活を続けるうち、読者の方になんと熱海に家を買ってもらった!にもかかわらず、そのおうちには住み着かず相変わらずあちこち旅をしたり、誰でもいつでも遊びに来てもいいおうちをもう一軒作りたい!とクラウドファンディングで実現してしまったり、とにかく読んでいるだけでこちらまでワクワクしてきちゃうような生き方をしているひとだった。


ちょうどその頃、私はそれまでの『いろんなことを我慢して、なにかのせいにしている自分』が嫌になって、やりたいことをやろう!と踏み出そうとしていた。

『母親なんだから』という無意識の窮屈な枠から抜け出そうとしていた私は、とりあえず気になるものや、会ってみたいひとには、片っぱしから会いに行くことに決めた。

坂爪圭吾さんも、そのひとりだった。


ある時、勇気を出して彼に連絡してみた。そしてずっと行ってみたかった『ごちゃまぜの家』というところで、はじめてお会いすることができた。そのおうちは主と同じくとても静かで穏やかな雰囲気だけど、絶えず自分になにかを問われているような、不思議な空間だった。

それからごちゃまぜの家に何度かお邪魔させてもらったり、旅先でお会いしたりして、少しずつ会話を交わすことが増えたけど、私は自分の立ち位置みたいなものがいまひとつわからなかった。

その頃まだ音楽をされていなかった坂爪さんのイベントは、主にお話会というのが多かったのだけれど、いざお会いしてみたら、これを聞きたい!とか、こんなことを話してみたい、というのがあまりなく、私はいったい何しに来たんだろう…と自分でも思うくらいで、そういうお話会には特に参加する理由が見つからなかった。

そんなある日、ヨーロッパを回っていた坂爪さんが急にバンドをやる!と言い出し、Agapeという名のバンドが、本当にあっという間に結成されてしまった。最初はギターとベースのたった2人からはじまったAgapeには、今ではもう7人ものメンバーがいる。

音楽をはじめてからすぐにあちこちでライブをやるようになった彼らは、私にとってとても身近で目が離せない存在となった。ほとんど音楽経験のないメンバーたちが、それぞれ必死に楽器を練習しては『坂爪圭吾の曲の世界』に食らいついていく。その過程が、はたから見ているだけで面白くて、毎日ワクワクをくれて、そして最高にみんな格好良かった。

そうやってなんとなく立ち位置が定まらなかった私に、坂爪さんの唄を聴きに行く、という目的ができ、ライブに足を運び、メンバーそれぞれの活動もチェックしたりして、『Agapeのファン』というわかりやすい肩書きができた。


ライブは生ものだから、同じ曲を聴いてもその都度印象が変わる。ステージの上にいるひとも、聴いているひとも、その瞬間の音の波に身体を預けて、それぞれが想うことをただ、感じる。

演じるひとは聴くひとがいなければその音は出せなかっただろうし、聴くひとは演じるひとがいなければそこにいることはなかっただろう。何度も音を重ねてステージをつくり、聴くひとと演じるひとのためにその場を準備するひとたちもいる。

その一瞬のために、それぞれができることをやってきて、その時その場に集うことができた。ただそれだけのことが、とても贅沢で稀有な時間だと思うから、私はいつでも音楽を生で聴きたいし感じたい。


彼のすごいところは『一日一曲』というテーマで本当に毎日毎日新しい曲をつくって、それを生まれたてのまんま配信しているということ。完成されていないものを世に出す怖さ、を考えたらそういうことをやりたくてもできない人が多いはず。それを彼は来る日も来る日もひとりでやり切って、今では146曲(9/20現在)にもなる作品を生み出している。

経験とか観念とかそういうものを飛び越えて、ただやるだけ、なのだけれど、その『ただ、やる』ということを本当にし続けることができる人がどれだけいるだろう。

坂爪さんを見ているといつも『お前にはそれができるのか』と、なにか突きつけられるような気持ちになる。内省、ということばをよくバンドメンバーの彼らは使うが、自らを省みる、そのために私は彼に会いに行くのかもしれない、と思う。


そんな坂爪さんはどんなステージでも堂々と唄うのにも関わらず、唄っている時に観客の方をほとんど見ない。恥ずかしくてお客さんの方を見れない、と言う彼はきっと、いつも自分の内面を見つめながら唄っているのだと思う。

自分の中にあるものを見つめて、見つめて、いまこの瞬間にすべて出し切って、顔をあげたときその視線はすでに少しだけ先にある。いつも、いつも、いまより少しだけ先の、彼にしか見えない世界を見つめながら唄っているのだろう。

だからいつもそこには追いつけなくて、私はそれをまた見たくなって、つい追いかけてしまうのかもしれない。


今日も彼は唄うのだろう。

聴くひとと唄いたい気持ちがあれば、どこででも。


彼に出逢えて、私の世界はぐんと広くなった。

どこへでも出かけよう。また、きっと、彼に会いたくなるから。


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もし、これを読んで坂爪圭吾さんを知りたいと思った人がいたら、ぜひ直接会って、声を聴いて、生で感じてみてほしいです。全国どこへでも呼ばれたところへ飛び回っているひとなので、案外近くで会えるかも!?



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タダノヒトミ
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