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いつだって人生は(仮)カッコカリ★はっぴーの家ろっけん③
あなたにとって死生観とはなんですか。
って誰かに聞かれたら。
え?急になに??って思うよね。
なんでこんな話をするのかって?
はっぴーの家ろっけんのこのオンラインイベントに参加することになってからというもの、なぜかそれ以外のところでもやたらと、死生観ということばや概念に出くわすようになった。
なんやろ、不思議。
これはまったくもってド勝手な持論やけど、死生観なんて考えたことがないっていうひとは、本人は無自覚やろうけどとっても幸せなことやと思うねん。
だって考える必要がないくらい、フツウに、生きて来れた証だから。
わたしの死生観はとっても偏っている、と自覚はしている。
なぜなら生育環境にツッコミどころありすぎ、やから。
死生観っていうことばなんて知らん頃から、常にそれについて考えざるを得ない状況にあったから。
死ぬってなんや?生きるってなんや?
自分の力で生きていくためにどうすればいい?
常に、生きる、と死ぬ、はセットで、ずうっとそれはわたしの身近にぴたりと寄り添っていた。
ーーーーー
これまでの人生でわたしは少なくとも3回、死んでいる。
1度目は小学校6年生のとき。
ここらへんについてはまだうまく言い表わせない胸のつかえ、みたいなものがあって詳細は書けていないけれど、わたしの死生観の大きな部分を占めるのは、確実に幼少期に培った経験と味わった感情のすべて、なんだろう。
物心ついた頃から抱えていたもやもやにケリをつけ、おっしゃこれから死ぬぞ!って決めて、バンジージャンプみたいに世界の果てから飛び降りた。
もちろん精神的に、ね。
ひとつしかないと感じていた生命線を、自分の手で握りしめたナイフで切り離して飛び出したから、あとはまっさらな道をひたすら進めば良かった。自分の好きな方向へ。
爽快だった。
苦しくても、自分の思うところへ歩ける幸せがあれば、あとはどうでもいいやって思えた。それが良いか悪いか、は別として。
そうして12歳からはまるで別人として、第二の人生を生きはじめることができた。
わたしの無敵の自己肯定感がここから来ていることは、間違いない。
ーーーーー
それから、人生で二度も出くわすことになるとは夢にも思わなかった震災。
大きな厄災は、確実にわたしの人生を変えた。
生きるだとか、死ぬだとか、人間がいくら頭でごちゃごちゃ考えてみたって、自然の力に抗ってなにかを成すなんてことは到底できっこないんだ。
ということを、身体全部で感じさせられるのが天災だ。
そう、それはもう有無を言わさず迫ってくる圧倒的な体感で。
台風や地震や疫病というものは、なにかを成し得たという人類の勘違いを正すためにあるような気がしている。
天変地異を否応なく不定期に味わうことで、人間はなにかリセットされているのではないかな。そして、それを乗り越えて生き抜いた者には、自らの生き方で死生観を体現することが赦されているのではないかな、そんな気がしている。
ーーーーー
現代の人間たちは抱えるものが多すぎ、だとかなんとか。生きることが難しくなった、なんて言われるけれど。
勝手に複雑にしてきたのは人間の方だろう。
シンプルな生、へ戻せるのも、人間の力なんじゃないのかな。
動物や草木と同じように、ただ生まれて、枯れていくだけ。
生も死も、特別なことでもなんでもなくって。
ただ、そこに在る。
生を、受けたから。
死は終わりではなく、再生への扉。
春夏秋冬の繰り返し。
だからわたしにとって、死ぬこと、は悪なんかじゃない。
ただの、現象だ。
風とか空気とか、光、みたいな。ただそこにある現象。
その時が来たら、みんな死ぬんだもの。
いまを、ただ生きようよ。
ーーーーー
今夜、死生観についての動画を見ながら、オンラインで数人のひととそれについて語り合った。
それぞれに、それぞれの死生観があって、それを好きに語り合える場がある。とても興味深かった。
わたしは、死生観なんて考えても考えなくてもいいし、誰かの話を聞いて「そっかあ!そんな考え方もあるんだ!」ってブレまくればいいと思うし、ひととひととが触れ合って、人生が交じり合ってこその発見があるから面白いんやんって思ってる。
誰でも、ただ生きてるだけで充分、はたから見たら死生観を体現している。
その人ならではの、オリジナルの死生観。
同じものはふたつとないし、生きているあいだにどんどん更新されてく。
昨日思ってたことが今日ひっくり返る。
え?そんなん、あり!?
ありあり。
それが、人生。
じゃない??
いつだって人生は(仮)カッコカリ、なんだ。
あなたの死生観を、聴かせてよ。
ーーーーー
はっぴーの家ろっけんでは、毎日いろんなカオスが生まれていて。
時々のぞいてチェックして、思わずくすっと笑ってしまう日常。
画面越しに見ているだけでも、こんなに面白くって、知らない誰かの暮らしの温度が、まるで掌に伝わってくるみたい。
神戸の片隅のこんな小さな街に、全国からひとがやってくる理由がそこにはたくさんあった。
そして、現代ならではの利点として、いつでも画面の向こうとつながれるオンラインのイベントがあって。
すでにこのオンライン、という手段は、はっぴーの家の核を成しているような気がしている。
コロナ禍、すらも隠し味として、ごった煮にしてしまえる懐の深さったら。
震災直後の寒空の下、あのぐつぐつと校庭で煮込まれてた炊き出しのことをなぜか、思い出した。
ええやん。炊き出し。
わたしにも、手伝わせてほしい。
どんな出来事も、でっかい鍋に放り込んで煮込んでしまえば、溶け込んでひとつになって、いつしか全てはうまみに変わる。
それを知っているわたしだからこそ、きっとできることがあるんだろう。
なぜだか、そんな気がした。
ーーーーー
最後に。
こんなのも、あるよ。
全国どこからでも参加OKだそう。
興味がある方はぜひ!
※追記
さらにオモロそうなイベント続々!
わたしの一番好きなエピソード、はっぴーの家のじーじのお葬式。
なんと一周忌はオンラインで、ワンカップ片手に!やって。
最高!!
おはなしはつづく。
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