あの日のわたしからの贈りもの
noteにはじめてことばを記したのは、ちょうど一年前の6月だった。書くことがこわいと思い込んでいたわたしの、大きな一歩目。
はじめての投稿は恥ずかしくてとても見れない。
けれど、大事な大事な、わたしのあしあと。
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今日、とっても嬉しいお知らせをもらった。
誰かのためでなく、自分のためだけに書き続けてきたわたしからわたしへの大きなプレゼント。
あの頃は、大好きなひとにただ大好きだって素直に言うことが、こんなにも自分の世界を広げてくれるなんて、思いもよらなかった。
誰かの作品を読んで、いいなと思ったら傍らのハートをぽんと押して、ああそれわたしもわかる!って思わずコメントを残して。
はじめてコメントをくれたひとのことは、一生忘れないだろう。
知らない誰かから、スキ!がたくさん、もらえた。
わたしの書いたものを見てくれているひとが、いるんだ。
はじめてそう実感できた時、ここはわたしにとって大事な、ひとつの居場所となった。
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あれからわたしの書いたものを読んでくれるひとがたくさん増えて。
まるで親しい友達の部屋に遊びに行くように、いろんなひとの作品を読ませてもらって、気軽にコメントができるようにもなった。
だけど、サポートというものは、わたしにとってさらに一段ハードルが高いように感じられた。
心を揺さぶられた、誰かの書いた作品にスキだけでなく、サポートをする。100円から気軽にできるとはいえ、なんだか誰かの書いたものに値段をつけるようで、どうしても気がひけた。
最低金額の100円だけなんて、かえって失礼に思われるんじゃないか…とか、サポートしても少額すぎて相手の方が引き出せなかったらなんだかモヤモヤするな…とか、そんな風に思っていた。
時々、これは!と心をうちぬかれた作品には、ちょっと無理して文庫本くらいのお値段をつけてサポートを贈ってみた。だけど、そうしていると、どんどんそういう作品に出逢うのに、際限なく何人にも送るわけにはいかなくて、そんな自分がなんだかケチくさい人間のようで嫌になってきたり。
今こうして書いていると、ずいぶんめんどくさいやつだなぁ、わたし、って笑ってしまう。
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はじめてわたしがサポートをいただいたのは、このnoteだった。
これは『被災者』について語った、ちょっと特殊な投稿。読んでくださったみなさんが一様に、この時に被災者となってしまった友人を心配してくれて、本当にたくさんのサポートをいただいた。
けれど、これはあくまで友人へ向けた支援の気持ちのかたまりで、わたしがわたしのことばでもらったサポートだとはどうしても思えなかった。
そのあとしばらくして、わたしの書いたものに本当の意味ではじめてサポートをくださった方がいた。
この作品に『1人がオススメしています』という文とともにアイコンが点った時、わたしは本当に嬉しかった。なぜなら、サポートをくださった方はわたしがとても尊敬していたnoterさんだったから。
彼は、めったにコメントなどは残さない。ただいいと思った作品にぽんっとサポートをくれて、風のように去ってゆく。カッコよすぎ。
彼を慕っているのはわたしだけではない。書き手さんをあえて敬意を込めた呼び捨てにし、交流があろうがなかろうがいいと思った作品にはサポートをするという行動で、この街にいるたくさんのひとたちに尊敬されていた。彼がどんなに慕われているか、ちょっとこの投稿のコメント欄を読んでみてほしい。
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それから、書いた作品にちょくちょくサポートをいただくようになった。自分でも心を動かされたnoteを見つけたらコメントだけでなく、積極的にサポートを入れてオススメボタンを押すようにした。
たとえ100円でも『これはわたしが特にスキだと思うnoteだよ!みんな読んでみてね!』という気持ちの表れだから、細かいことは気にせず、読んだ瞬間の自分の衝動を大切にしようと思った。
そうしていくうちに、不思議と自分の書いたものにサポートをいただくことがどんどん増えてきた。びっくりしたけど、世の中ってそういうもんだって不思議と納得できた。
これを、仲間内でただお金を回しあっているだけ、とか、あえて過激な言い方をすれば『ただの仲良しごっこ』みたいに思うひとがいるかもしれないけど、サポートってただのお金、なんかじゃ全然ない。
サポートはそのひとの気持ちなんだ。
読んだひとの、書いたひとへの共感や応援の気持ち。
気持ちは、勇気を持って表せば、必ず相手に伝わる。なにかを、誰かを、大好きだよ!ってまっすぐに言えるひとのところには、優しい気持ちがまわりまわって還ってくる。
だからサポートは誰かへの愛のしるし。
あと、いつも安全に泳がせてくれるnoteという海への恩返しも込めて。
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わたしはいつもnoteは海みたいだって思っている。
海で泳ぐのにたいていお金はいらない。開放された海水浴場に出かけて、砂浜でくつろいだり、思う存分泳いだりして、楽しい時間を過ごす。
無料だとはいえ、いつも砂浜をきれいにしてくれたり、おぼれているひとがいないかパトロールしたり、そうやってしっかり運営してくれている母体があるからこそ、わたしたちはnoteという海で楽しむことができている。
これから先もずっとこの海で楽しく過ごすために、自分がサポートをすることで少しでも役に立てるとしたら。
海の家(企画)を利用してみたり、駐車場(有料マガジン)を利用することで、来年も楽しく海水浴場で遊べるための助けになるのかもしれない。
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海は広いから、そこで食べたり飲んだりして、好き放題に散らかして、そのまま帰るひとって、たまにいる。
「海の家の焼きそばってなんでこんなにまずいんだ!」なんて悪態をついてみたり、「駐車場一回1000円ってぼったくりかよ!」なんて捨て台詞を吐くようなひとたち。
でもね、あなたが無料で利用しているその海はみんなのもので、誰かが管理してくれているから、そうやって遊べているんだよ。そんなに文句を言うならカリブ海に浮かぶ豪華リゾート島へでも行ったらいいのに。
貸し切りで、美味しいものだけ味わって、静かにセレブみたいに過ごしたい方はどうぞ、それなりの対価を払ってそちらにお行きなさい。
わたしは、この海で楽しく遊んでいたい。
たくさんの生き物たちが思い思いに過ごしている、noteという雑多な海で。
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これからもずっとここで泳ぎ続けるために、わたしはわたしにできることをしていきたい。
キナリ杯という大きなフェスの舞台を最前列で見ていたわたしへ、今日思いがけず岸田奈美さんからもらったビッグなプレゼント。この嬉しい気持ちはやっぱり、大好きなnoteの海へ、いいかたちで還元したいな。
自分にできることがなんなのか、まだはっきりとはわからないけど。
とにかく。
もっともっと、読み続けていこう。
もっともっと、書き続けていこう。
さあ明日も、海へ。