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そんな単純なもんじゃないんだ~未完成のコンソメ・いまはまだただのごった煮~
7歳。
はじめての恋をした。
幼き日の、それでもれっきとした恋だった。
同級生のなかでもひときわ秀でて麗しく、優しく、侠気があって、誰もが知らず知らずに瞳で追いかけてしまうような、とびきり輝くひとだった。
その横顔を遠くからそっと見つめているだけで、よかった。
8歳。
世の中のこと、なんてなにも知らなかった。
すみずみまで自転車でまわれるくらいの、狭い箱庭のような町のなかを、我が物顔で走り回っていた。
オトナ、と呼ばれる人々の話をこっそりと聞きながら、その内容をほとんど理解しているつもりだった。
早熟だという自覚も、あった。
◯◯◯。
ある日突然、わたしの聞いたことのない単語が耳に飛び込んできた。
それを言われたあの彼は耳まで朱くなり、怒りを身体中で昇華させようとただ、黙っていた。
どういうことだろう。
わからなかったけれど、彼には聞けなかった。
友達にも誰にも話せず、うちに帰ってそっと母親に聞いた。
◯◯◯って、どういう意味?
淡々とただことばの意味について教えてくれた母は、最後にため息をついた。
そういうことばを、こどもに教える親がいるからなくならない。
そうか。確かに。
わたしだって母親に聞かなければ、その意味を知ることはなかっただろう。
そして、誰もがそのことばに出合わなければ、いつかそのことばは消滅する。
けれど。
幼いわたしはそのときに思った。
ことばだけの問題なのだろうか。
ことばがなくなっても、それを使おうとする醜いこころは、きっとなくなりはしまい。
違う。
解決策は、そんなんじゃない。
それをなくすことで物事が善くなる、と信じていそうな母親には、伝えなかった。
善と悪とに世の中を二分することしか知らないあのひとには、とうてい理解しえないだろう。
わたしははじめて生まれた感情をそっと、グツグツと煮たちはじめたばかりの、心の鍋のなかに入れた。
ーーーーー
9歳。
引っ越しをした。
遠い遠い、南の方の海に囲まれた島へ。
そこは、箱庭どころか小さな壺のような町だった。
なんにもない。ほんとうに、なんにも。
そこに住む人々は代々その壺から出たことも、出ようとすることもなく、ただ粛々と自分の家を守り、狭い半径のなかだけを見て暮らしていた。
異端者。
端的に言って彼らからみたわたしたちは、そうだった。事実だから仕方がない。単に、異物なのだ。
たとえ同じニホンジンでも。
わたしたちのような者を指すことばを持たなかった彼らは、ただ遠巻きにこちらを観察し、話す際にはそれぞれの表現であらわし、好奇心を隠すことなく常に不躾にこちらを見つめてきた。
いつか出てゆく異物、としてあつかわれていることをわたしはとっくに知っていた。
ときどき、あの時の彼の、朱色に染まった耳たぶを思い出した。
離れていても、ずっと彼が好きだった。
ーーーーー
12歳。
わたしたちはまた、あの箱庭のような町へ戻った。
引っ越し初日から、多くの旧友が近くのお寺に集まってこちらを見ていた。
大丈夫。
見世物になるのは、もう慣れっこだ。
好奇心、という名のペンキを塗った、錆びたこころを持つ人間たち。
それは、責められるべきものでも、憎むべきものでもなく、飲み込んで消化するしかないもの、のような気がしていた。
諦めなのかもしれない。
けれど、その頃にはもうなんでも、ごった煮の鍋に放り込むしか術を知らなかった。
幼い身体にはあまりにたくさんの、ことばであらわすことができない複雑な味の具材を、わたしは持ちすぎていた。
5年ぶりに会った彼は、やっぱり輝いていた。
ちょっともう手の届きそうもないところで。
けれど懸命にわずかな細い糸を手繰り、わたしは彼のこころを少しだけ引き寄せることに成功した。
13歳。
淡い淡い、恋だった。
煮込んだりしないで、綺麗な箱に並べて、ずっと眺めていたいような、お砂糖菓子みたいな、そんな恋。
幸運なことにごった煮にならずに美しく昇華されたその恋を、わたしは胸の中の箱に大事にしまった。
ーーーーー
だけど、現実、はそう甘くはなかった。
14歳にもなると、これからの行く先、を考えざるを得ない。
わたしは、そこから自分の力で大きな海へ漕ぎ出してゆくつもりだった。甘いお菓子のような恋をしている場合では、なかった。
進路、という大事な局面で、わたしはあの町の現実、をあらためて知ったのだ。
そこは、世の中の見えない階段を登ってゆくには荷が重く、深い闇を背負わされた場所だった。
それに気づかず、ただただ箱庭のなかで走り回っていた日々が、なんだか切なくて哀しくて、でもやっぱり美しくて、なんとも言えない気持ちになった。
とにかくわたしは、ここを、出てゆく。
それだけを強く、心に誓った。
そしていよいよわたしには手の届かないところへ行ってしまった彼も、自分の道を走り出していた。
聞いた話によると、彼の行く先はとても狭められた道のようだった。
わたしたちの、この先交わることのないであろう、遠い遠い行く末。
ーーーーー
そう、彼は、在日外国人、だった。
あえて外国人、としておく。
韓国人、なのか朝鮮人、なのか、そこまで詳しく聞けるほどの仲にはならなかったから、わたしにはわからない。
あの町には、ナニジンだかわからないひとが、たくさん住んでいた。
友達にも、たくさんの在日外国人の子がいる。
彼らがナニジンなのか、わたしは聞いたことがない。
彼は彼、彼女は彼女であり、それ以上のレッテルを必要としなかったからだ。
ただし、わたしがそれ以上深く踏み込むことをしなかったから、という見方もできる。
わたしはこれまでこのことについて、言語化しようとしてこなかった。
それが善いことなのか、悪いことなのか、決めるつもりはないし、このことについて議論したいわけでもない。
単に、片っぱしから鍋に放り込んで煮込んでしまった感情をもう一度なぞって、その味をちゃんと確かめたいだけなのだ。
ーーーーー
18歳。
計画どおりにあの町を、出た。
自分の力で。
新しく住むことにしたのは、少し大きめの港町だった。
わくわくした。
たくさんの人々が行き交い、モノや想いがあふれた、輝くような港。
わたしは、魔女の宅急便のキキのように、魔法のほうきに乗った気持ちで、その街を飛び回っていた。
なんでもできるような気がしていた。
その頃、また新しい恋をしていた。
箱庭で出会っていた別の彼と。
結婚も視野に入れながら、わたしたちはそれぞれの世界でオトナになろうとしていた。
彼は優しくて、家族想いで、温かい家庭に憧れを持っているようだった。
先に彼のお姉さんが結婚して、こどもが産まれて、わたしたちはみんな家族ぐるみで仲良くしていて、すでにもうほとんど家族みたいなものだった。
けれど。
ある日お姉さんはこどもと一緒に、ふたりで彼の家へ戻ってきた。
よくわからなかったけれど、複雑な事情があるみたいだった。
彼のお母さんはため息をつきながら、わたしにいろんな昔の話をしてくれた。
彼が昔失った父親のこと。お母さんの気持ち。
結婚という枠。ほどけない鎖。
世の中の見えない階段について。
彼もまた、初恋のあの彼と似たルーツを持っていた。
なんだかわからないけど、世の中の不条理さ、みたいなことを想った。
ことばでどんなに取り繕ってもなくすことのできない鎖、は存在するのだとすでに知っていた。
それについて個人としてわたしがどうしたらいいのか、なんて永遠にわからないような気がした。
ーーーー
いろんなことをその港で知りはじめた。
箱庭だったあの狭い町のことも。
文字通りの広い外の世界のことも。
仕事で、旅で、世界の国々を飛び回った。
ヨーロッパとアジアのいくつかの国、わたしがこの目で見てきたものなんて、たったそれだけ。
けれどそれだけで十分だった。
世界は広くて、たくさんの人間がいて、箱庭みたいなのは日本もそうだった。
ちっぽけな箱庭のなかでわかったような顔をして、同じ人間どうしにつまらないレッテルをこっそり貼って、傷つけようとする人々。
伝統、とか言う名前の錆び付いた鎖でお互いを縛り付けて、息がどんどん苦しくなってくるのに、見て見ないふりをする人々。
あの庭はとても窮屈だ、と感じた。
世界はとても魅力的で、その時のわたしなら、どこへでも行けるような気がした。
と同時に、世界は広すぎて、大きすぎて、自分の居場所なんて、とうてい選びきれないような気もした。
その頃、また新しい恋がはじまった。
彼の行くところが、わたしの居場所のような気がしていた。なぜだか。
そんな想いは、はじめてだった。
わたしはやっぱり、ニッポンというこの哀しく美しい箱庭でしか生きられないのだろう。
そこから出られない人間にできることは、箱庭での暮らしをちゃんと上から俯瞰して観ることを忘れず、自分の居場所を心地よく整えることしかないのかもしれない。
24歳。
わけもなくそんな気が、していた。
ーーーーー
どんなに狭い箱庭だって、外から見ないとわからないのだ。
なぜ見えないのか?
なぜ知ろうとしないのか?
箱庭の中の人々は、知らないということを、知らない。
見ている視界そのものが、そのひとにとっての世界すべてなのだ。
知る術を持たない人々がいること。
知ろうとする意志すら摘み取られた人々がいること。
視点の切り替え。
視野の拡張。
気づいた者が語るべきこと。
声をあげることができる者のすべきこと。
ーーーーー
わたしの心でまだ消化も昇華もされていない想いが、鍋のなかでぐるぐると回り続けている。
かき回しつづけているのは、他でもないわたし。
永遠に、答えなんて出ないかもしれない。
それでも。
煮込んで、溶けあって、グダグダと境目がなくなってしまう前に、おたまですくって取り出して、もう一度その味を確かめておきたくて。
結局最後は煮込まれて姿も形も見えなくなってしまったとしても、その味を忘れない。
ひとつひとつの具材を、確かめて味わって、この舌で覚えておこう。
わたしをかたちづくる、たくさんの感情。
たくさんの素材。
たくさんの味を。
わたしはわたしの舌を、信じ続ける。
わたしなりの、答えを見つけようともがくこと。
無駄に見えても、徒労に終わっても、それでも味わうことは決して諦めない。
それが、わたしにとっての生きること。
ーーーーー
この記事を読んで感じたことを、こころのままに、書きました。
胸を張ってテーブルにお出しできるようなものではないけど。まだまだ未完成の、ごった煮のまかないみたいな、わたしの一皿。
こういうのも、ちゃんと書いていきたい。
そんな風に思った朝でした。
できたら元の記事で引用されているたくさんの記事たちにも、目を通してみてほしい。
そしてあなたなりの味をちゃんと確かめてみてほしい。
ことふりさん、大切なきっかけをありがとう。
心より感謝します。
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