Paradise in myself
昨夜、THE PRESENTSをはじめて観た。
2020.2.14 @5th Street
ずっと心待ちにしていたライブ。
この日のチケットには、特別な想いがあった。
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2019.11.22 Agape@5th Street
このライブが終わった翌日、わたしは坂爪圭吾さん以外のAgapeメンバーの6人と神戸にいた。
大好きな場所をAgapeのみんなに見てもらいたくて、この街に招待していたのだ。ようやくライブが終わって緊張や使命から解き放たれた彼らは、歳相応の個性的な男の子たち、でそれぞれの一日をそこで思い思いに過ごしてくれた。音楽やひとに対する彼らの想いを聴くことができて、静かに流れる時間がとても心地よかった。
その日の終わりに、みんなで摩耶山まで夜景を観に出かけた。
友人や知人が神戸を訪れてくれるとよく案内する場所、掬星台。1000万ドルの夜景と呼ばれるだけのことはある、見慣れたはずの神戸港と大阪湾の景色。
いつものように案内しようと展望台へと足を踏み出したわたしは、眼下に広がる景色に息をのんだ。
もう数え切れないくらいそこを訪れているわたしでも、こんな絶景は一度も観たことがないと断言できるくらい、その日はつめたく透き通った空気にきらめく街明かりが、本当に、本当に美しかった。
瞳で捉えることができる限界、写真なんかには到底うつしきれない輝きを、目の前に広がる世界全体がきらきらと放っていて、ああこの時間をいまここでこうして過ごせてよかったと心から天に感謝した。
それから数日後、Agapeは解散してこの世から消えた。
あの日あの時間を、みんなと一緒に過ごせたことだけが、私の心に残っている。
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そうしてAgapeがなくなってすぐ、THE PRESENTSがうまれた。
Guitar,Vocal 坂爪圭吾。
Bass 保科亮太。
Drums,Piano 樋田隆佑。
本気でそこにすべてを賭けている3人に削ぎ落とされたTHE PRESENTSの音は、世界は、いったいどんなだろう。
THE PRESENTSのライブ日程が決まってすぐ、Bassの保科さんから連絡をもらった。
いつも相手の側にことばをそっと置くように話す彼は、その日珍しく「次のライブのチケット、良かったら保科からぜひ!」と語った。そんな感じの彼ははじめてで、「お、本気のホッシーきたな。いいな!」そう思って、わたしは彼からチケットを受け取ることにした。
THE PRESENTS LIVE
2020.2.14 @5th Street
手渡された赤いカードに印刷された文字。感慨深かった。
この日は彼らにとって、特別な日。
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THE PRESENTSの、Agapeの、すべてのはじまりはここからだった。
一年前、坂爪圭吾というひとが、遠くヴェネツィアの地で、音楽と共に生きていく、と決めたまさにその日。
彼のはじまりの引力に引き寄せられた周りのひとたちが、それぞれにいろいろなことをはじめて、小さな渦が生まれて、さらにそれに引き寄せられたひとたちが集まって、波にもまれて泡が静かに消えて、そうしてこの世界にTHE PRESENTSというバンドが誕生した。
その記念すべき一周年を迎える日のチケットを早々に手に入れたわたしは、それから慌ただしく年末年始を過ごし、自分の生活を回していくことで精一杯だった。
そして新しい年を迎えるにあたって自分に向き合わざるを得なくなり、いろんなことを取捨しつつ新しい自分を確立する方へと意識を向けていたため、その後の彼らの動きは追えていない。
彼らがYouTubeで発信をはじめたことは知っていたけれど、もう中途半端に情報を追うのはやめよう、当日の彼らをこの目で確かめればいいと思った。
まっさらな気持ちでその日を迎えよう。そう決めていた。
前日に坂爪圭吾さんが書いたnoteは読んでいたのだけれど、今振り返ってみるとなにも頭に入っていなかった。俺を見ろ、とタイトルで述べていた彼の言葉すら。
わたしはGi(ジャイ)と改名した保科亮太、そのひとを観るために、この日ライブ会場へ足を運ぶのだ、と決めていたから。
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Ryusukeのピアノが澄んだメロディーを静かに奏ではじめる。
一音目で、一気にすべてを、もっていかれた。
もう目を開けていることができなかった。
会場の最前列、メンバーに手を伸ばせば届きそうなくらい近く。
見慣れたベースを構えるGiがすぐ目の前にいるのに、彼の姿を見ることができなかった。
瞼を閉じて、音の渦に巻き込まれる自分の身体を感じているのが精一杯で、2曲目の「海へ 〜end of the journey〜」が始まった時にはすでに、その身体すら溶けて空へ昇っていくような感覚を覚えていた。
唄っているKeigoの声と音の粒たちだけが頭の中に直接響いてくる。
耳が熱い。
熱くて熱くて、わたしが『わたし』として意識できるのは耳だけだ。
ひかりの粒と音の粒に360°すべてぐるりと囲まれて、わたしと世界の境界線が溶けてなくなる。
ピアノと一体となっているRyusuke、震えるカホンから音を取り出してあげようとしているHaruka、そして揺るぎない魂でそのすべてを受け止めるベースのGi、みんながそこにいるけど、わたしに目はいらない。視る必要がない。
かたちはなくてすべてが溶け合って、わたしも含めたみんながひとつのひかりの渦の中にいる、そんな感覚だった。
閉じた瞼ごしに照明のひかりを感じる。それを反射して、きらり、きらりと光るGiのベースに、ときおり自分の顔が照らされるのを感じながら、わたしは最後の音の粒が消えるまで、ずっと涙を止めることができないでいた。
この一曲でわたしは死んで、生まれ変わったのだと感じた。
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そのあとの数曲は、唄いながらどんどん死相が漂っていくKeigoの姿を静かに見ながら、ただ『失う』ということについてしか考えられなかった。
もしこのひとが死んだら。
彼はすでにもう半分以上、ここではない世界にいるように見えて、なぜだか明日にはもういなくなるような気がした。
けれど。不思議と怖くも悲しくもなかった。
ああ、わたしは今日のKeigoを目撃した、という真実だけを胸に生きていけばいい。そう思った。
※さっきこれを読んで驚いた。彼はあの時、やはり死を意識しながら唄っていた。
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そしてこの日、わたしがその姿を見届けるために来たGiは、これまでに見たどのステージよりもどっしりと厚みのある音と響きをこちら側へ放っていた。今までの不完全燃焼感、はきっと機材のせいでも、技量のせいでもなく、彼の中の眠れる獅子は目覚める場所をずっと探していたのかもしれない、そう思った。
Giとして新しく生まれた彼は、誰よりも自分の音を楽しんでいるように見えた。小さくうなずきながら、時にうっすらと笑みさえ浮かべて。そんな表情の彼を見たのははじめてで、わたしはそれをこの日誰よりも近くで見ることができた、という事実が何よりも嬉しかった。
自らの指で、一弦一弦確かめるように音を響かせて、バンド全体から生まれてくる渦を受け止めて、また世界へと投げ返す。
彼本人は何というか知れないが、確かにGiというベーシストがTHE PRESENTSの要であると証明されたように思った。
もしKeigoがいなくなっても、彼がいれば大丈夫。
そんな安心感を覚えるほどに。
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Ryusukeはずっと、ひとりで音と向き合っていた。
ピアノを弾く横顔、観客席からはその表情を伺い知ることができない。
その顔にかかる長い髪のせいではない。
彼はピアノと一体となって、音そのものになろうとしているように見えた。
観客にどう見えるとか、その音が届いているか、なんてことは彼には一切関係がないのだと思った。
生まれてくる音をいかにしてつかまえるか、身体まるごとそのことしか感じていないようなRyusukeの奏でるピアノは、聴いていると張り詰めすぎて心が痛くなってくるような感覚をわたしに覚えさせる。
このひとは音楽をやる、とかそういう次元では語れない。
存在そのものが音となるために生まれてきたひとなのだ、と思った。
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THE PRESENTSとしての真髄は、メンバー3人での演奏が始まった「overdosed」と「クリムゾン」の2曲に尽きる。
いつもなら、ボルテージが上がっていくにつれ、その音しか聞こえないほどに爆発するRyusukeのドラム。けれど、この日は違っていた。
空気を切り裂くように突っ込んでいくドラムの音を追いかけて、Giのベースが『俺はここにいるぞ』とRyusukeに応えるように鳴っている。そのふたりを遥か上から、まるごと包み込むように、Keigoの声がさらに遠くまでみんなをさらって連れていく。
ずっと、ここにたどり着くために、彼らは自らの存在の輪郭ぎりぎりまで、すべてのものを削ぎ落とし続けてきたのだと思った。もしかしたら人間が生きていくのに必要なものでさえも。そうでなければあんな表現はできまい。
あれほど観に来るべきだと彼ら自身が語っていた理由が、あのステージを目撃したひとだけにはわかるだろう。
そこまでしても彼らが伝えたかったこと。
「ロックンロールとキリスト教」という曲の中にその答えがあった、とあの時のわたしは感じた。
そして10年前の坂爪圭吾、音楽と共に生きていきたいという思いを抱きはじめた頃の彼が作った曲、「snows」でライブが終わる。
Keigoが静かに唄い終えて、ステージから音の余韻が消える。
アンコールの手拍子がはじまろうとするその前に、Giが観客に告げる。
「アンコールの曲はありません。本当にこれで全部、出し尽くしました!」
なんの過不足もなかった。
もっと、とか、もう少し、なんていう気持ちが生まれる隙が一ミリもないくらいに、彼らが本当に空っぽになったことは、誰の目にも明らかだった。
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こんな風に音楽を奏でるひとたちをわたしは他に知らない。
これまで、たくさんのひとのライブに足を運んだ。
大好きなミュージシャンのライブを観ることができる幸せ、については、わたしはこれまでの人生で十分に感じてきたつもりだ。
けれど、こんな風に観る側にも演じる側にも余力なんてものを残すことを許さず、最後の一滴まで振り絞って出し尽くして、死すらも感じさせるようなアーティストを目の当たりにしたことはない。
本当の意味での『ライブ』というものを、わたしは観たことがなかったのではないか。すべてが終わった時、そう感じた。
これは、ことばであらわすことが非常に困難な、ひとの生きざまという名のむきだしの魂だ。こんなものを見せられてしまったら、どんな人間だって自分の生きざまについて考えざるを得ないだろう。
彼らのライブは、まさに生きること、そのもの。
生きるために産まれてきたのに、本当の意味で生きることを考えなくても生きていられる社会。考えないようにあえてさせられているのかもしれない現代人の矛盾を、むきだしの彼らの魂が揺さぶる。お前はそれでいいのか、と。
2020.2.14
THE PRESENTSの、おわりはじまり。
おわらないうちに観ることができたものだけが、そのことばの意味を知る。
ちゃんと死ななきゃ
ちゃんと生まれてこねえ
その産声よ 天まで届け
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最後に、わたしが死んだと感じたあの曲の歌詞をここに載せておく。
聴いている時にはわからなかった歌詞が、こうしてみるとことばとして目から入ってくる。あの時身体で感じた感覚を、怖いくらいにそのまんまあらわしたことばたち。
耳で聴いたものと目で観ることができるもの、そのどちらも使わずして意味が身体に直接入ってくる、ということ。こんなにもぴったりと一致してひとつになった世界を、わたしは生まれて初めて、こんな風に感じることができた。
この感覚は、もう後にも先にもないかもしれない。
わたしからわたしへ。
お前はこの日また、生まれ変わった。
ひとは何度でも、生まれ変われる。
記憶に残して忘れないように。
「海へ 〜end of the journey〜」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume
また 新しい光が 昇り堕ちていく
自分も他人もない 狭間で空を飛ぶ
It's the end of wonderful world
生きてることがひとつの夢だとして
目覚めるときぼくらはどこにいる?
It's the end of wonderful world
紅く焼けた空に 視界は奪われて
黄金色の中 境界線は溶けていく
海へ
この乗り物は重いから 連れてかえる場所もない
自由は怖れがないこと 愛も 同じことだろう?
海へ
また 新しい光が 昇り堕ちていく
自分も他人もない 狭間で空を飛ぶ
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直近のライブ予定
2月17日(月)19時50分 THE PRESENTS@東京都吉祥寺「曼荼羅」
行けるとか行けないとか、考えている場合じゃない。
足を運んで、感じろ。
おわりはじまりおわり、を。
サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。