言葉にいったい何の意味がある ~満月の夕~
今年もまた、この日がやってきた。
3.11
やわらかな緑の芝生の丘で、裸足になって、風と太陽と、そして雨にうたれながら、空と木々と唄と踊りに囲まれて、うららかな一日を過ごした。
なぜだか時計は一度も見なかった。
14:46
いつだったか正確にはわからないけれど、突然の雨に降られて大きな木々の下で雨宿りをしたのが、ちょうどその頃だったような気がする。
時はいつでも静かに流れる。すべての生きている人々を包んで。
鎮魂や祈りや喜びや悲しみ、たくさんの気持ちが天へのぼっていっただろう。
今日、この日を、ここで、このひとたちと過ごせたことに、きっと意味はある。
わたしの大切なひとたち。
笑って、泣いて、走って、転がって、登って、跳んで。
みんなが足の裏を土で真っ黒にしながら、大地とつながっていた。
めぐる日々、刻む時を、それぞれの心に。
ありがとう。今日逢えたすべてのひとたち。
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目まぐるしい一日を終えて、ひとりで車を走らせていたら、大きな大きな月が見えた。
ああ、やっぱり今夜も、満月だ。
正確には今日は満月ではないのだけど、その大きなまるいひかりは、わたしにあの日のことを想い出させる。
何度聴いてもこのうたは、わたしのまぶたにあの日の瓦礫の海を、そして鼻先に遠い炎の臭いを運んでくる。
きっと同じように、こんな風に誰かのうたを聞くたびに、今日という日に想いを馳せているひとが、どこかにいる。
潮の香りや波の音、水面にきらめくひかりにすら、胸を痛める小さな鼓動。
失ったなにかを浮かべて、立ち止まるこころ。
それでもわたしたちは、それぞれが、胸の振り子を鳴らしながら、それぞれの道を歩いてゆく。
その歩みに意味がないように思えても、無力な自分に心が折れそうでも、ただただ、生きてゆく。
波は果てず、日々は続く。
わたしたちにできることは、ただ生きて、色を、匂いを、音を、感じることだけ。
でも、できることなら、その感じたものを、自分なりのやり方で、表そう。
外へ、ひとへ、世界へ。
自分を、解き放て。
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『満月の夕』は、たくさんのひとに愛され、唄い継がれている。
まさに神戸のあの日、を唄ったソウルフラワーユニオンのものに比べて、山口洋さんの唄うこの曲は、わたしにとっては3.11のことを想い出させる。
遠く離れた地で、わたしにできることなどあるのだろうか、と無力感に襲われたあの日々。
小さないのちを抱えて、守ることだけで精一杯だった自分。
大切なものに優先順位などつけようがないのに、それでも選ばざるを得なかったあの日の自分。
守りたいもの、譲れないもの。
ひとと、自分と。家族とは。
答えは、未だに出ない。
そんな風に堂々巡りをしているわたしのそばで、守るべきいのちはいつのまにかぐんぐん育ち、たくましく空へとその枝葉を伸ばしている。
どうか、そのまま、健やかに、伸びやかに。
空と海と大地と風とを味方にして、健やかであれ。
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満月の夕/山口洋(HEAT WAVE)
風が吹く 港の方から 焼けあとを包むようにおどす風
悲しくてすべてを笑う 乾く冬の夕(ゆうべ)
夕暮れが悲しみの街を包む 見渡すながめに言葉もなく
行くあてのない怒りだけが 胸をあつくする
声のない叫びは煙となり 風に吹かれ空へと舞い上がる
言葉にいったい何の意味がある 乾く冬の夕
ヤサホーヤ うたが聞こえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕
絶え間なくつき動かされて 誰もがこの時代に走らされた
すべてを失くした人はどこへ行けばいいのだろう
それでも人はまた汗を流して 何度でも出会いと別れを繰り返し
過ぎた日々の痛みを胸に いつかみた夢を探すだろう
ヤサホーヤ うたが聞こえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕
サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。