たたかうタマシイ
自分の人生を振り返ってみて器用貧乏だと書いたが、まったくもってそれはほんとのことで。
そうでもなければ、こんなおおしけの玄界灘をゆく!みたいな人生、とうてい乗りこなせてへんやろな。
こんな木の葉みたいなちっぽけな小舟で、まあよう渡ってきたな、と自分でも思う。
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大人になるにつれ、いろんな場面で自分の声で発信する機会が増えてきた。
接客業が長く、職場を転々として対人経験が多いわたしは、どうやっても目立つみたい。
目上の人に問題提起したり、環境改善のために意見が必要な場面で矢面にたつのは、たいていそういう人間。
声がデカいから。あのひとやったら言える。
そう思われてるのは知ってる。
でも、わたし声そんなデカないで?
ただちょっと声が通るだけ。
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そんなわたしだから、どのように自分の声を届けるか、はわりと戦略的に考える。
ここは、おまえの出るべき場か?
おまえのゆくべき道が、その先にあるか?
いつも心に問う。
従うのは、己の本能。
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自らの生命に危機が迫ろうとしている時は、その手で鏃を研ぐ。
身体を、こころを、滅そうとするものがあれば、一撃で仕留めることに躊躇はない。
自らのみならず、愛するものすべてに対して。
けれど、たとえ子であろうとも、身を挺して護ることはきっとない。
誰かに成り代わってたたかうことは、いのちに対して失礼だ。
己の本能を、磨きぬけ。
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ひと、も動物であるからして、生きるうえで常に、たたかう、ということからは逃げられまい。
皆、一様になにかと、たたかって生きてゆく。
違いは、たたかう、のスタンス。
戦う、こと。闘う、ひと。
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わたしは、戦うことを選ばない。
あの夏、戦っても得られるものはなにもないと、身を持って知ったから。
けれどわたしは、わたしの愛するもののためになら、いつでも共に闘う。
どれだけ負けいくさに見えても、おまえの拳など届かぬと笑われても、闘うことを怖れはしない。
闘わない奴らが戦いを仕掛けてきても、相手にする必要はない。
はじめから土俵が違うのだから。
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戦いはなにも産まない。
戦いのあとに残るものは、荒廃と、絶望、無力感だ。
すべてを燃やし尽くし、新たな戦場を求めてさまよう屍を見たら、静かに身を潜め、闘いに備えて己を磨き、奴らがいずれ自滅するのを待てばよい。
消えゆく陽炎に怯えることなく、陽のひかりに照らされた、自らの足を信じて進めばよい。
その闘いは、必ず自分の核を大きくする。
研ぎ澄まされた本能だけが、自らを護ってくれる武器になる。
己との闘い、それだけが、人間の真価なのだと思う。
闘いに挑むことのない者は、淘汰されゆく運命にある。
傷つき、血を流し、闘い続けて。
疵を癒やし、自らを護る武器をさらに磨いて。
そうして闘いながら進む先に、いのちの喜びがある。
生涯をかけて闘うひとと、わたしは共に歩いていきたい。
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未知の世界へ!
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