終わらせないよ、この世界を
西口改札を出たら、やっぱり雨だった。
歩道橋から見下ろした新宿の街は、そこここにひしめくように傘の花が咲いていた。
広げたビニール傘越しに高いビルを見上げる。
薄い膜に透かしてみた街は、色とりどりの雫がきらきら光ってすごく綺麗。
あなたを待っている時間は、こうして瞳に映る美しいものが、探してもないのに向こうからやってくるから不思議。
普段見ているようで見ていない、視界の端を流れていくだけの、のっぺりとしたグレーの景色に突然色がついて流れ込んできて、わたしは眩しくなって瞼を閉じた。
ひとりの部屋で過ごすより、寒くてもこうしている方が心が満たされるような気がするから、金曜の夜はつい祈るような気持ちで、左手の中のあなたへと繋がるあの小さな窓を開いて、緑のボタンをタップしてしまう。
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また、雨だな。日頃の行いが悪いせいかな。
ふいに視界を遮るように、見慣れた濃紺の傘が差し掛けられた。
見上げると、眉間に皺を寄せながら、今しがたの不用意な言葉をちょっと悔やんでいるような、あなたの顔があった。
ねえ。それ、ぜんぜん洒落になってないけど。
気にしないよ。
笑って嘘をまたひとつ、吐いた。
ほんとは結構気にしてる。
あなたの、その無意識に少し息を潜めるようにして足早に歩く癖も。
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雨は好き。
堂々と肩が触れ合う距離で、あなたと同じ傘の下を歩けるから。
でも視界がほとんど遮られる程に傘を翳すそのわけは、ふたりが濡れないために、じゃない。
あなたが大きめの傘でそうやって隠したいのは、わたしの存在?
それとも背中に張り付いて離れない、微かな後ろめたさ?
湧き上がってくるネイビーな気持ちを呑み込んで、黙ってわたしは歩き出す。
いつもの街並みへと。何かを振り切るように。
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ホテルの空調はいつだって過剰に効き過ぎるから、夜中に目が覚めてしまう。
ベッドに浅く腰掛けて、煙草を咥えたままぼうっと窓の外を眺めるあなたのことを、斜め後ろからそっと見つめてみる。
街の灯りが少しずつ、消えていくのを見るのが好きなんだ。
いつだったか、そんなことを言っていたね。
眠らない街で、人知れず消えていく窓の灯りを数えるあなたは、いったいどんな気持ちで此処にいるのだろう。
傍らに無造作に置かれた左手の、指に僅かに残された仄白い跡の方がそこにある筈のものよりもずっと、わたしの胸を締め付けることにあなたは気付いているのかな。
ミルクをぽつんと落としたマキアートの染みみたいな影が心にこのまま広がらないよう、思考をべろりと引き剥がすようにして、勢いよく起き上がる。
丁寧にハンガーに掛けられたあなたのシャツを、わざと乱雑に引き抜いて肩からぱさりと羽織ってみた。
あなたのために纏ってきたわたしの香りよ、1ミリでもいいから移ってしまえ。
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起こしちゃった?ごめん。
驚いたように、あなたが振り返る。
ううん、大丈夫。
眠りたくないの。朝が来るのが、惜しいから。
ねえ。
お願いだからそんな、世界の終わりみたいな顔を、しないで。
纏ったシャツごとあなたの背中におぶさるようにして、何も言えないように首を回して口づけた。
もう少しだけ、暗くなればいいのに。
あと、もう少し。
この部屋の明かりは、見たくないものまで映し出してしまうから、わたしはそっと右手を伸ばしてスタンドのスイッチをオフにした。
好きだよ。
あなたにしか聞こえないように、そっとつぶやく。
何も言わなくて、いいよ。
ただこのままその微かな苦味で唇を塞いで、これ以上何も言葉にしなくてもいいようにわたしを満たして。
あなたを奪えなくても、構わない。
雨よ、降り止むな。
どうか、その傘を閉じないで。
このまま、あと少しだけ、この世界にふたりだけの気分でいさせて。
わたしはこの世界をまだ、生きている。
この、閉じた世界の中で。
この傘で、雨からふたりを。
全てを、世界を、守りたい。
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☆INSPIRED BY☆
『The End of the World』 槇原敬之