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ヌック管水腫物語後編・日本のはやさ

前回のオランダでの経緯はこちら

そもそもヌック管は誰にでもあり、悪さをしないものなので放置しても特に問題はない。
しかし年齢が上がるつれだんだんとお腹の筋肉が緩んだりしてヌック管に穴が空いて袋状に水が溜まるということはあるらしい。これから歳をとる時にまた要注意ということか。

さて、夏に帰った際に日本のお医者様に診てもらう時、ヌック管はここぞとばかりにいい仕事をしてくれた。
めちゃくちゃ腫れてお医者が診断で触るとそれだけで痛く、さらに大きさを診るためかグッと少し押してくるものだから絶叫した。
でも腫れてくれたおかげでエコーにはバッチリ映り診断が早く進んだ。
オランダはその診断の段階すらいけてないのが前回のお話。

もうオランダには見込みがなさすぎるので、真夜中3時に起きて日本のお医者とテレビ電話で手術の予定を組む話し合いをした。母には申し訳ないが、そのあともまたさらに出向いてもらい手術日の最終決定など調整をお願いした。
手術前検査というのが12月12日に入り再診が13日。手術日はこの検査結果次第で決まるためこの日にやるというのは直前までわからないのだ。
ということで検査日が決まった以上飛行機も早々に取らないといけない。

帰国日は仕事もギリギリまでやってからということでオランダを12月9日に出て日本には翌日に着く便を取った。普段は絶対に高すぎて取らないのだが今回は術後に帰ることやすでに痛みがあるということでKLM直行便を予約。チケット代が高すぎてやっぱり経由にしようかと何度か迷った。

痛みがないと過ぎていく日々が早く感じられるのだが、一旦痛み始めると帰国まであと1ヶ月というのが物凄く長く感じられた。痛くない時はほんとにヌック管などないと思わせるほど全く痛くないから不思議。
そんな日々をなんとか越えて帰国の日が迫ってきた。

久しぶりのアムスー成田の直行便。

でかい


ウクライナ戦争で地理が詳しくなって出てくる地名がわかるのがちょっと嬉しい反面、この近さを飛んで大丈夫なのかという不安がものすごくある地域を飛行する

飛行時間約11:30時間で日本へ到着。
長年乗り換えを使っていた分ものすごく早く着いた気がした。飛行機はまだシーズン前なのにほぼ満席。パリから来てアムスで経由して日本へ初めて行くというレズビアンカップルと隣同士になったが、パリー日本よりこの経由の方が安いと聞きその謎がいまだにわからない。
というのもアムスーパリー日本の経由の方が安いから、パリー日本がアムスー日本より安いと思っていたからだ。
そんなこんなでお隣には恵まれて平和なフライトで11時間を快適に過ごすことができた。
ちなみにオランダへ帰る便は友人と同じ便にして隣同士を予約したためかなり安心。

日本に夏に帰っているので全く久しぶりという感覚はなかった。そして暖冬のせいでめちゃ暑くてシャツ一枚にならないと汗が吹き出た。
私の皮膚はもうオランダ仕様になっていると何年感じる。
両親が迎えに来てくれ、母がたっての希望で成田空港内にある鰻屋で到着早々に朝食をとった。

もうこういうのを食べるだけで手術のために日本帰ってきて良かったと思う。
実家では母の美味い手料理を毎日たらふく食べられ幸せ満杯で手術の日が迫ってくることを忘れそうになるが、帰国してからの一週間はほぼ毎日病院通いとなった。


12月12日
手術前検査
血液検査、心電図、ヌック管の超音波検査、一般撮影
この一般撮影とはなんだろうと思っていたらX線だった。カルテ用に顔とか全体写真撮るのかと思ってた。
この日は予約していた検査を終わらせるのみなので1時間30分で全て終了。

12月13日
再診
それぞれの検査結果が出て担当医と話すのだが、まずその担当医と会うまでの待ち時間がなんと予約時間から1時間も待たされた。これは全くの予定外だがそのあと何か予定があるわけでもなかったので特に問題はない。
やっと順番がまわってきて担当医から結果を聞かされるやいなや、血液検査は異常に白血球の数値が高く風邪を最近引いたかと聞かれたり、心電図に小さいが少し異常の線があるから負荷検査とエコーを撮るよう言われ、さらにヌック管がヘルニアと合併していないか念のためCTを撮ることになった。
それがお昼の段階で検査も混んでいたことからお昼抜きで全てが終わって気づけばもう午後16時、病院に6時間も滞在していた。
その間ずっと付き添ってくれた母には頭が上がらないので病院前にあるカフェでお茶とケーキをご馳走した。

朝食から何も食べていない私達は味など堪能することなく腹の足しのごとく貪り食った。
まさか検査だけでこんなにも時間がかかるとは思っていなかったが、予約をせずに当日そうやって急遽入る場合は予約が優先されるため時間がかかってしまうのだ。
ちなみに心電図の異常だが、これは負荷をかけても特に異常はなく息がすぐに爆あがりするわけではないので問題ないとのこと。ただ、私の心臓は普通ー異常の真ん中にあると言われた。
それっていいの悪いの?という曖昧な疑問と不安だけを残して手術に挑むこととなった。

12月15日
麻酔科と面談
いよいよ麻酔科と面談して手術の日を告知されることに。全身麻酔一択なので面談前に待合い席で手術前〜手術後の行程をまとめた15分ほどのDVDを見させられた。
母も全身麻酔を何度か経験しているのだが、こんな動画は見たことないと言っており、最近関西の方の先生が作った動画らしく、患者さんの不安を少しでも解消できるようにという計らいであり私は見たことでのちのち緊張することなく手術を受けられた。
麻酔科の先生から色々身体的な質問や手術の行程などが話され、手術当日はどうしたらよいかという手順表なども渡された。
クセなのかわからないが自分はこういう行程表とか手順とか渡されるとなぜか覚えなきゃと思い頭に全部入れてしまうクセがある。
そのため、手術前にバッチリ髪の毛をまとめて準備していたら看護師さんに髪の毛のゴムも取るよう言われ、麻酔科の手順では長い髪は一つか二つに結べとありましたがと聞くと、え?そうでしたか?ちょっと聞いてきます💦と書いてあることと実際が違って確認ができることもしばしば。結局は片方に一つ結びで良かった、なんてことがあった。でも実際はそんな全部覚えら必要などなく看護師さんが来るたびに言うことを聞いていれば問題ないのだ。

12月17日
入院
手術日前日の入院。
入院時に身長体重を測り、そしてへそのゴマを看護師に綺麗にされた。これは手術箇所がお腹にちかくゴマというゴミから感染しないようにするためと言っていた。へそからゴマ、目からウロコである。あと血流を促進させるためやたらきつい長靴下タイツをはかされる。長い時間横になるため足が浮腫んでしまい、いざ歩く時にそれが頭に急に流れたりして危険なのでそれを防ぐためだとか。このタイツは持って帰ったので飛行機乗る時にでも履こうかと思っている。
この日は夜24時まで食事制限なし。
健康体なので病院食では足らず下のコンビニで杏仁豆腐とかスナックを買って一人モリモリ食べる。夜も21時消灯だか寝れるはずもなく22時頃まで本を読んでから寝た。
6人部屋で3人しかおらず、さらに窓際といつラッキーな位置でテンション上がったが、夜になると一人はいびき、もう一人は具合が良くないのか定期的に看護師さんがやってきてそのたびに私も起きた。

12月18日
手術当日
病院の朝は日早い。
6時起床、そんな早くに起きられないため検温やら血圧やら測りに来た看護師さんに起こされた。
朝8時までは飲水オッケー、しかし絶食が始まり1日なにも食べられない。ゴミ箱を清掃に来たおばちゃんが「絶食中」の札を見て、あらーこんなことになってるのーかわいそうに!でも悪いものが無くなったらまた元気になるから頑張ってね、と優しい応援をしてくれた。
それにしても絶食中って響きと見た目のインパクトが強い。

手術は12:30と言われ、その間にお腹は空くし暇なので本や漫画を読んでいたが夜あまり寝れなかったせいか寝落ちした。また看護師に起こされ手術の準備をされた。
手術着に着替えさせられるといよいよ手術という気持ちになってくる。今まで着たことのないどこからでも剥がせる不思議な洋服だ。
しかし手術時間が医師の都合で遅れ、五分袖の薄い一枚着では窓際のベッドは寒くて待っている間に身体が冷えてしまった。

看護師に呼ばれていざ出陣。
手術室エリアに入って初めて執刀医と対面。自分より若めの女医さんで、他に麻酔科や助手など合計4名の医者がチームみーみーだ。
手術室は入り手術台へ自分で乗る。
ブラックジャックとか医療系ドラマで見るような部屋で手術台が自分の身体ほどの狭さで寝返りなんて打たないほど狭い。腕さえ横に置けない。
実際腕は点滴などで違う台に乗せられるのだが。

仰向けに寝るとすぐに心電図用の線が貼り付けられ、点滴用に血管をさぐられる。
最初は左手でやろうとしていたが血管が出てこなかったのか右手に変更された。待ち時間で身体が冷えたことで手も冷たくなってしまい、点滴前に手を握られ温めてくれ、浮き出た血管に刺されたがものすごく痛くて「いたーーーい」と笑いながら言うとやり直されて今度は痛みもなく点滴は入っていった。

実はこの準備をしている間、執刀医とオランダの話になっていた。彼女は夏にオランダに遊びに行っていたらしく私がオランダに住んでいると知って飛行機でどれくらいかかるのか、オランダは住みやすいかなど他のお医者達共オランダ話で盛り上がった。
心電図を見ていたお医者は「緊張しないタイプですか?全部変化ないです笑」と聞かれ、自分的には緊張はしてるけどなぁと笑った。まぁ数々の本番と譜めくりでピンチを乗り越えただけあって自分が手術する方じゃないから緊張はしなかった。
そうこうするうちに身体がぼーっとする薬を入れられてその確認を医者とすると、麻酔入れますねーと言われたあとすぐに意識は無くなった。


なにか夢を見ていた気がする

でも目を開けるとそこは見たことがない場所で人が忙しなく動いている。

あ、そうか、手術してたんだっけ

それが意識が戻って最初の意識だ。
次の瞬間には息が出来ず苦しくてパニックになった。きっとまだ呼吸器が入っていたのだろうか。
喉が焼けるように痛く呼吸も出来ず更にヌック管の取られた場所が痛くて泣いた。
でも夢から泣いてた気もして頭は少し混乱気味だがそれでも半分冷静な頭は泣きながらも執刀医に、「どれくらいのサイズでしたか」と聞き「こんな小さかったよ!」と言われ、そんな小さくても毎日痛みを生み出していたことに驚く。
何か励まされたような気がするが痛みと麻酔切れでボーッとしてあまり覚えていない。

手術台から自分のベッドへスライドされ、されるがままに入院している部屋へあっという間に運ばれた。点滴に痛み止めを入れてもらい痛みが引くまで少し寝た。
全身麻酔以外に神経ブロック注射というものもやっており、これは術後の痛みを軽減させるものでこれやってなかったらどんだけ痛いんだろうと思うほどすでに手術直後は痛かった。

手術後
あまり眠れず、寝ようにも今度は急な尿意が遅い寝るどころでは無くなってきた。
術後三時間は安静に横になり動いてはいけないのだ。
どうする
動いてはいけないどころか動けない
でも三時間経ったら歩行練習が強制的にはじまる。しかしそれまで待てない。
切羽詰まってきたためナースコールをするとベッドで寝たままできる便器を持って来てくれた。
へーこんなのがあるのか
しかし腰を浮かすだけでも大事だ。なんとか尻の下に入れて下半身露出で無様な仰向けのまま排尿を試みる。
人間の体はよくできていて、普段と違う姿勢や環境では簡単に排泄できないようになっている。
どんなに膀胱が悲鳴をあげて、どんなに身体にいつでもGOサインを出しても筋肉はゆるめようとしない。そんな一人葛藤が1時間半続いてほとんど歩行練習の時間になろうとしている時、諦めて身体を少し動かすと急に膀胱が緩んだ。

無様な状態から脱し、看護師さんと一緒に歩行練習を始めた。
たった三時間前に終わったばかりで本来なら痛いからーと嫌がりたいものだが、今の自分はもうトイレに行ける!という一心で牛歩の歩みでもトイレという希望へ向かって痛みを堪えて歩き、たどり着いた時の感動は今までのどんなトイレ危機的状況より勝っていた。

12月19日
退院
絶食から解放。朝も手術後でかなり疲れていたようで7:00過ぎても寝ていたためまた看護師さんに起こされる。朝食が嬉しく完食。
術後あった微熱も引いて平熱へ戻り血圧も正常値へ。しかし痛みはかなり大きく一つ一つの何でもない動作がもの凄く時間がかかる。
それでも退院の支度を整え看護師さんや担当医さんらと色んな術後チェックをして無事帰宅することができた。


手術をしてから今日で六日。
実家は家を出てすぐ坂だが近所を少し歩くことができるほどになっている。
痛み止めも1日3錠のところ今日は一つしか飲んでいない。動きもだいぶ良くなり明日のクリスマスには自分に良いプレゼントとなった気がする。

両親が色々と手伝ってくれ至れり尽くせりと世話を焼いてくれ本当に感謝している。
今は年甲斐もなく思いっきり甘えてストレスフリーで回復のみに一点集中。日本で年内に手術が出来て本当によかった。終わってみればあっという間の手術行程だったな。
年始には少し離れて住む96の祖母に会いに行けるよう頑張りたい。

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