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小学校教員のこれまで〜1校目〜

前回書いた時よりもだいぶ間空いてしまいました💦
たくさんの方がいいね?くださりびっくりです。ありがたいです。
とりあえずこれまでを振り返りたいと思います。

正規採用前

大都会の学校で補助の教員を1学期、下町で算数専科を2、3学期にする。正規採用前に担任ではない仕事をできたのはよかったかも。

初任者時代

1年生担任になる。子どもの対応上手くない、仕事遅いとどうしようもない初任者だった。毎日21時ぐらいまで終わらないと発狂してた。周りの先生方に恵まれて、学年主任の先生が異動されると聞いた時は大泣きした。

2〜3年目

初任時のクラスが上手くいかなかったから、相当配慮して頂いたクラスを受け持つことになる。大人との関係に悩む。子どもとは好き勝手やる(今思うとと本当にひどい)。当時は若かったから好き放題言うし、悪口も言い合ってて学年の雰囲気(大人)は最悪だった。3年目から学校の仕事がぽつほつ増えてくる。

4年目

転機。前の年とは打って変わり、ベテランの先生方の中にポツッと入れられた学年に配属される。学年の先生方にかなりよくして頂き、学年で動くとはを学ぶ。子どもはちょっと大変だったけど、それで大人は団結してた。今でも年に一度集まるぐらい、学年の雰囲気がよかった。
分掌の長を初めてやり、研究授業も引き受け…と今では考えられないぐらい働いてた。

5年目

何だかんだでこの年も初めてづくし。
初めての中学年(それまで低学年)、初めての40人学級。
4年目からの分掌の長も引き続きやり、クラスの事務に忙殺され、初めての理科社会にてんてこ舞いになる。
とにかく40人対応が上手くいかなくて、子どもともあまりうまくいってなかったかも。何度も学年主任の先生に相談に乗って頂いた。

6年目

次の年異動…ということで気が重かったうえに、
かなりクラスも大変で、とにかく一年ダメだった。
異動の心配がストレスになり、クラスも崩れてきて、体調も崩して、全てが重なって、学級崩壊した。それでも学校からはサポートして頂いていた。
喘息も適応障害?もこの年から。薬が手放せなくなり、すぐに体調崩すようになり、年休を使い切った。
コ●ナショックで2月末に休校になり、逃げるように異動した。

振り返ると、本当に酷い若手だったと思う。たくさんの子どもたちや先生方に迷惑をかけ、助けて頂いた。どのぐらい生かせてるかは自信ないけど、たくさんのことを教えて頂き、今の働き方の根幹?になってるところがたくさんある。今もしんどいけど、それでも初任校の先生方に返せるようになりたいという思いだけで、何とかやれてるのかもです。
コンパクトにしたかったのにこんなに長くなってしまいました💦
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました😊

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