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学費を出してもらえなかった娘の恨みは一生消えない。

高校卒業後以降2年間、私はとにかくお金に困った。

短大2年間、お金のことを考えない日は1日もなかった。
学費、生活費を一円も親からお金を出してもらえなかったからだ。


ド田舎から都会へ進学するということへの辛さ。

実家はド田舎だ。あんな田舎、不便すぎて二度と住みたくない。
高校以降の学校はどんなに近くても実家から電車で片道1時間以上はかかる。
20年以上前に一度旦那を連れて実家へ帰ったことがあるが、旦那はひどく驚いて、何もなさすぎてこんな田舎でどうやって生活しているんだと言われたほどだ。
何をするにも車がないと何もできないのに母親は運転できない、父親は運転が嫌いだからといって、とにかく車を出してくれない、だから私は何をするにも自転車か徒歩だった。徒歩1時間かけて歩いて目的地に行くことはざらにあった。

実家から私が選んだ短大まで片道2時間半かかるため、
学校から比較的近い祖父母の家に一部屋空きがあり、その部屋を借りた。

昔の古い家のため、風呂のない家だった。祖父母は毎日近くの風呂屋へ通っていた。
風呂代と食費、携帯代、交友費、毎月必要になった。食事はたまに祖母が作ってくれたが、毎日は食べられなかった。

祖父母からは、「お前の親からは部屋を貸してやってるのに、一円も金が支払われない、無礼な親だ」と散々罵られた。
祖父母のいうことはあってる。両親はとにかくテイカー。
貰えるものはもらうがお返しを一切しない人たちだった。

私の両親は、私が高校を卒業後以降、教習所代以外は、一円も出していない。私に対して使ったお金はたった40万だ。

なぜ、これほどまでして親は私に金を出さなかったのか。
父親自身も親から金の支援がなかったし、アメリカの子供は18歳以降は大人とみなされ、学費は自身で工面するからうちも出さない、といきなりアメリカ論みたいなことを言い出したためだ。

そのくせ、いつも口癖のように言っていたのが、
「親のスネをかじって生きるな、親のスネをかじって生きている奴はろくな大人にならない。」
「十分お膳立てをしてやったから高校卒業したら一円も出さない」だった

でも、私の両親は親のスネを十分かじっていた。生活費に困り、米も親からもらい、私の小遣いは両親が払えないため、祖母が毎月渡していたからだ。

短大在学中、どうやってお金の工面をしたのか。


私は短大の2年間の約200万を奨学金をとり、全額学費に当てた。(現在返済済み)

そして奨学金を返済するためにフリーターになることはできない、両親からは「就職は絶対に失敗できないぞ、奨学金払えなくなるぞ。」
口酸っぱく言われていて、当時は就職氷河期。就職浪人が出てくる時代にも関わらず無責任なことを口走った。
そんなこともあり、私は実家から出て祖父母の家に住むようになってから、実家に帰ったのは2年間でたった3回のみだ。
私は死ぬ気で就活に挑み、2社内定を出して1社は上場企業の東京勤務だったので、即座に上京を決意した。
今思えばこの判断は後々大正解だったことになる。

親に学費を出してもらえなかった娘は一生親を恨むことになる。


先日、ノンフィクションライターの中村淳彦さんが学費を出してもらえない娘はオヤジの餌食になるとおっしゃっていた。20年以上前と変わらないと感じた。


夜職を避けたが、とにかく時給のいいバイトをした学生時代

短大に入った瞬間、学費に苦しんでいる学生が私の周りに数名いた。

私もその一人だ。同じ環境の子達は何故か仲良くなる。
祖父母の家に住んでいたことで、門限が与えられた。23時だ。
夜職ができない状況だった。門限がなかったらすぐ夜職へ駆け込んでいたと思う。
バイトは、2年間の中で3回変わった。
最初はホテルの高級店のウェートレス、大手外資系ホテルの婚礼、配膳スタッフ、最後はクレカの督促客への取立て業務だった。いずれも時給は1,200円以上あった。クレカの督促客への取り立て業務は電話と電報で対応するが、回収率が上がり、途中から税金が取られるようになる程時給がアップした。

それでも毎月ギリギリでお金に苦しんだ。

友達の大半は夜職をしていた。
風俗をしていた子は一人だけいたが、学校がばかばかしくなったとやめてしまった。
その他の子は夜職を割り切ってやりながら卒業した。

夜職をしている友達に紹介してもらった。
今でいうパパ活というものもした。
ただオヤジの話を聞き、飲み食いしただけで1万円〜2万円お小遣いがもらえるとのこと。
肉体関係は求められないものだった。
肉体関係を求められるものは、当時はもっと高額になるようだった。
風俗と変わらないことはよく理解していたので、そこまではさすがに踏み込めなかった。何かの弾みで誰かに知られたらとんでもないからだ。
何人かと対応したが、いずれもとても親切な男性たちだった。
ただ彼らの話を聞いて相槌を打って、たまに褒めたりして、飲み食いするだけで帰りも車で家の近くまで送ってくれてという感じだった。
一度、ブランド物をプレゼントされたこともあったが、翌日にすぐ質屋でお金に変えた。
10回程度会ったが、そのうち就活や遊びなどが入ってきて、自然にやめていった気がする。

金に困った娘は必ずエロス資本を使う。

どうして親はこれがわからなかったのか。
自分の娘たちにはとにかくお金に困らないように考えた。
だから私は社会人になって一度も仕事をやめていない。学校に行っているのに勉強した記憶がないほどバイトと多少の遊びと就活に明け暮れた2年間だった。何をしに進学したのか訳がわからない。
体力があったから色々休むことなくできたと思う。

先日、娘の大学合格をネットで見た瞬間、即座に1年分の学費をネットで振り込んだ。

なんだか親への積年の恨みがはらせたような、なんとも言えない達成感があり、胸がスッとした。
娘たちに金の不自由をさせる親は親失格だ。 恨みは一生消えない。