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人間の器が試されるとき

「いじめられた被害者はその加害者が許せない」

この言葉を聞いて皆さんは
何を思い浮かべますか

私は最近
昔私がいじめていた被害者に再会し
自分の器が試されるときが来たように感じています

あれから何年経つんでしょうかね…

今日は人間失格なスケルトンの話をしたいと思います

実はつい最近
小学校のころに私がいじめてしまった被害者のA君が
同じ職場にやって来ました

彼はいまどう思っているのでしょうか

そう考えずにはいられなくなるときが私は最近よくあります

なぜなら
私は、いじめの被害者の立場も経験するようになってから
当時の彼に少なからず共感してしまうことがあったからです

「どんな理由があってもいじめはいけない」と
今までブログで説いてきたわけですが
どんなに反省しても被害者のA君は救われません

そこで今日は
私がいじめの加害者になってしまったときの経緯を思い返します

その上で今一度同じ過ちは「絶対にしない」と
このブログで誓います

小学校の頃私とA君は
4年間同じクラスでした

最初に一緒になったのは1、2年生の頃の2年間でした

その頃は分かりやすい
先生にも怒られるいじめを
私は彼にしていました

その時A君をいじめてるのは私一人でした

そのためか
A君はいじめられているだけでなく、私に仕返しをしてくることもありました

例えばその頃も、彼は誰にも気づかないように口パクでバカにするなどの行為を私に対してしてくることがありました

ただし
A君の仕返しはそれだけでは終わりませんでした

私がまた彼をいじめてしまったからです

私は5年生になると、クラス替えでまたA君と一緒になりました

このとき私はまた彼をいじめてしまったのです

理由は、経済的な事情により学用品を先生方に用意してもらっているにも関わらず、娯楽品は家庭で買ってもらえるという環境にあった彼のことを私が特に好きになれなかったからです

当時の私は経済的に貧しい家庭のため、学用品は買ってもらえるけど、ゲームなどの娯楽品を買ってもらえない状況にあり、彼に対して「なんで」という不満を強く抱いていました

そんな理由から
再び彼をいじめてしまった私は
今度はA君から大きな仕返しを受けることになりました

実は当時彼をいじめていたのは私だけではなかったのですが
彼は前回の2年間があったため
「私が主犯格」と親御さんに言っていたと
当時の先生から聞きました

6年生になると
A君は無視というかたちでさらに仕返しをしてきたのですが

「それだけじゃまだだ!」とでも言わんばかりに
新しく来た担任の先生に私のしたことを伝え
先生から再び呼び出された私は
彼の目の前で先生から指導を受けたうえに
A君に泣かれてしまい
さらに先生から指導を受けるという経験をしました

上記の通りこれだけ彼をいじめてきた私は
その経験がネックとなり、罪悪感から
「自分は死んだ方がよいのではないか」という考えが捨てきれずにいます

そんな過去の経験にとらわれている私にとって
ここの仲間たちは
本当に器が大きいなと
尊敬の気持ちを抱かせてくれる存在です

ごきさんの「嫌われても相手のことは好きでいよう」と言う表現や茶子くんさんの「いじめられたら自分が成長できるチャンス」と言う表現を見て私はいつもそう感じています

この二人は一切恨みごとを言っていません

それどころかプラスになるような考えをもっていて
噐の大きさが違うと私は感じてしまうのです

私は自分の経験を振り返り
憎しみは復讐の連鎖だと
気づきました

その悪い連鎖は誰かが止めないと
続きます

そこで私も
過去に私がいじめたことにより
大きな仕返しをしてきたA君に対して
私自身が受けた仕返しのようなことをするのではなく
「ありがとう」と言う気持ちで
向き合おうと思います

この瞬間が私の器の大きさが試されるときに
なることでしょう

この記事は2015年4月29日に下記のサイトで投稿した記事の転載です
https://izimedarake.hatenablog.com/entry/20150429

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