【日記】友達付き合いの断捨離

断捨離といえば、物の断捨離の話がほとんどだ。しかし、私はそれ以外の、不可視の財産についても断捨離しなくてはならないと感じている。
それは過去にブログでも記事を書いた「3つの無駄をなくす」でも触れている。
この記事でいう「心の無駄」にあたるものの一つが、広すぎる人間関係だ。

▼無駄を減らそう!3種類の無駄について解説
https://hanayama-school.com/useless/

人間は多くのコミュニティに属し、そこで多くの人間と関わる。「顔が広い」という言葉があるように、できるだけ広い人間関係を構築したいと思うのが人間の常だろう。
しかし、その広がりの中に、少なからずあなたの悩みの種になる人はいないだろうか?

記憶と思考は脳のリソースを食う。特に不快な人間関係なら、スパッとゴミ箱に捨ててしまうのが一番だ。

こう言い切れるのは、私にも人間関係をキッパリ捨てた経験があるからだ。
私は一昨年──大学1年の春、高校からの付き合いだった友人との縁を切った。
彼女の存在は、私のブログ「放課後はなやまスクール」が立ち上がるきっかけの一つにもなっている。彼女はそれほどに大きな存在であり、それを失うことになったあの事件は、今でも私の脳の片隅で私を苦しめ続ける。

彼女には大変申し訳ないが、これを読む皆様への教訓としても、この事件の一部始終を描かせていただきたい。
そしてもし、彼女がこの文章を見る機会があるのなら──これを読むことで、彼女が新しい自分へと、生まれ変われることを祈りたい。そう思っている。

この話をする前に、高校時代の花山がどのような人間だったか、少し述べておきたい。

高校時代の花山は、スマホゲーム廃人だった。
当時の私は、某スマホゲームを毎日7時間ほどプレイしていた。リア友を誘ってはチームを組み、よく遊んだものだった。
このゲームを一緒にやっていた仲間の1人が、今回の話題となる友人P(仮)だ。

友人Pは、私とよく似た存在だった。
リアルより、ネットの人間関係の方が大事なもの。それが私たちだった。その証拠に、私は彼女のハンドルネームは知っていたが、彼女の本名を今に至るまで思い出すことができない。
似た者同士だったからか、私たちは出会ってすぐに打ち解け、よく遊ぶ仲になった。

しかし、私がゲーム内でトラブルを起こし、ゲームを引退。
高校を卒業してからしばらくは、彼女のその後を知ることはなかった。


そうして大学生活が始まり、私は新しい日常を満喫していた。
そんなある日、その友人Pから連絡が来た。どこか遊びに行かないか、と。
私は快諾し、数日後カラオケに行く約束をした。

そして、約束の日が来た。
店の前で集合した私たちは、大学生活についてゆるく会話しながらカラオケボックスへ。
ここまでは特に問題はなかった。しかし、そのゲームの話題になった途端、彼女の「おかしな」部分が現れ始めたのだった。

「私、今とあるグループにお世話になってて」
「そこが楽しくて、毎日通話しながら遊んでるんだ」

そうか、楽しそうでなによりだ。そんな風に返した気がする。
実際、私には得られなかったものを彼女は得ている。当時の私は、そんな彼女をうらやましいと思っていたのかもしれない。…それだけで済めばよかったのだが。

私の言葉に触発されてか、友人Pはスマホを取り出し、そのグループの面々とチャットで話し始めたのである。
最初はただのテキストチャットだったのだが、

「えっ、あいつらもカラオケ行ってるの!? 偶然じゃん!」

彼女は次第に楽しくなってきたのか、イヤホンを装着してボイスチャットに参加し始めた。

「あの、私…」
「大丈夫、聞き専だから☆」

…なんというか。
私が目の前にいるのに、友人Pにとっては私より彼らの方が大事なんだなあ、と。寂しい気持ちだった。

彼女と会わなかった短い間で、私は「リアルの関係を大事にしたい」という考え方になっていた。
「ネットの関係のほうが大事」という友人Pの考え方は、すでに私の中では過去のものとなっていたのだ。

さすがに腹が立った私は、近くのレストランで食事を摂ることを提案した。
レストランでなら、ネットの関係を一旦置いておいて、落ち着いて話ができるのではないか。私はそう考えていたのだ。

しかし、甘かった。…というより、彼女の行動が斜め上だった。
なんと客のいるレストランで、例のボイスチャットのミュートを解除して、会話に参加し始めたのだ。
聞き専でもだいぶ頭にきていたのだが、ついに「目の前に私がいるのに、別の人とボイスチャットで話し始める inレストラン」という最悪の状況に、私は内心ガチギレ。
私に対しても、他のお客さんに対しても、マナー違反な行為である。

ブチギレた私は、「今日は疲れた」とかなんとか言って、さっさとレストランから出て、帰った。

帰宅してから、彼女との今後を考えてみた。
高校生の私にとって、価値観の近い友達だった友人P。でも、今は違う。
今回の件を彼女に伝えてまで、維持したい人間関係だったか? 答えはNOだった。
当時の私は、ゲームの時間を制限し、自分磨きを始めたばかりだった。私と同じように、自分を良い方向に変えていこうとする、そんな仲間を欲していた。
その仲間に、彼女は適さなかった。よってそれ以来、関係を完全に断絶することになった。

しかし、私は彼女の行動に憤慨しつつも、どこか私の過去の行いを見ているようで、苦しさも感じていた。
私もやっていたのだ。大事な人が横にいるのに、ネットの友達とゲームをしたりとか。相手のことを考えないで、自分の話ばかりするとか。
…思い出すだけで、申し訳なさに涙が出そうなぐらい、彼女は昔の私にそっくりだった。それなのに、どうして彼女を責められよう?

私は、全て失ってから初めて気づくことができた。
今だからこそ、私のこれまでの行いがいかに人を傷つけてきたのか、理解することができた。
彼女は、それでもいいと思っているのかもしれない。実際、ボイスチャットを楽しむ友人Pはさぞ楽しそうだった。
でも。いつか彼女も、全て失う日が来るのではないだろうか。私には、そのような気がしてならない。

さて、つい最近、この話を書くきっかけになることがあった。
これも、私のブログ「放課後はなやまスクール」が発足するきっかけの1つとなる人の話だ。

彼女は私の教え子で、現在中学2年生。歌い手が大好きで、暇があっては好きな歌い手の歌を聴いていた。
勉強はお世辞にもできたものではなく、自主学習するにもすぐにスマホを開いてしまう。テストの点数は回を重ねるごとに落ちていき、学校も休みがちになってしまった。
私も勉強することは強制したくないし、あれこれ言わずともいつか「目覚める」日が来るだろうと思い、あえて様子を見ていた。そして私は、「目覚めた」ときのために、そのような人のためのブログを作りたいと考えていたのだった。

そんな彼女だが、先日、私のもとへ来てこう言ったのだ。
「先生、私勉強始めたんですよ」
なんとっ。私は驚いた。どうやら高校受験が迫っていることに、危機感を覚えたらしい。
「この前のテスト、理科と技術頑張りました!」
なんて堂々と報告してくれた。
そう、彼女は「目覚めた」のである。実は私、彼女が目覚めるのはもっと先の話だと思っていた(少なくとも高校を卒業してからかな? なんて…)。
まだまだ成績は良くないが、威勢があっていい。心なしか背も伸びたような気がする。彼女が無事、志望校に行けるよう、全力でサポートするつもりだ。

友達付き合いというものは難しい。
私もいままで、人付き合いというものに難儀させられてきた。友達関係はなおさらである。
グループに入ってみんな一緒、というのも嫌いだし、かといって一人というのも心細い。相手のことを気遣えるタイプでもないので、結果的に、付き合いたい人を厳選し、数少ない友人を大切にすることにしている。

友達付き合いの方法は人それぞれある。別に八方美人に振る舞わなくていいのだ。ときには縁を切ってしまうのも、悪いことではない。特に、相手に付き合う時間が不快なものだったら、切ったほうがいいだろう。
別れの3月。もしあなたの周りにそのような人間関係があれば、断捨離するチャンスかもしれない。

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