21歳は若いのか
昨日バスに乗ったんですが、たまたま僕の目の前が優先座席でした。
平日の昼間だからか車内は程よく空いていてその優先座席もしばらくは無人だったのですが、途中で1組の夫婦が乗ってきてそのままそこに座りました。どちらも70歳は超えてるんじゃなかろうかといった印象でしたね。
この一連の流れをぼーっと見ていたんですが、ふと「自分は何歳になったら自分を優先座席の対象にするんだろう」と感じました。
だって他にも空いてる席はいっぱいあったんですよ。でも二人はそれらには目もくれずすーっとその優先座席に吸い込まれていきました。
つまりこの人たちは自分を「優先座席の対象」と考えて生きている可能性があるわけですよ。そらまあなんも考えずにたまたま座った可能性も全然あるんですけどね。とにかくこの事がすごく面白いなと思えたんですよ。
優先座席という場所が設けられている以上その対象となる人がそこを利用して、そうじゃない人が普通の座席を利用した方がみんなが座れるようになります。
そしてその対象というのは、妊婦さんや障害をもっている人や体が不自由な人、それから高齢者や小さい子供です。まあ最初の三つは自分で自分の事をそうだと認識できると思うんですが、高齢とか小さいってその人にすごく委ねられた基準やなって急に感じたんですよね。
まあそんなこんなでもう小さくもない僕は何歳になったら「あ~自分も年取ったな、ほなもう優先座席対象者やな!」てなるんかなと疑問を抱いたわけです。いや優先座席座ってる人がそんな事考えながら座ってるわけないんですけどね。
そういえば、最近周りの人から「21歳なんて若いしまだ子供だよ~」みたいな話をされる事が何回かありました。バスに乗った老夫婦が優先座席に座る、なんてありふれた光景に昨日だけ気が惹かれたのはこの影響ですかね。
彼らが自分の21歳の頃を思い返しながらそう言ってるのか一般論として言ってるのかは分からなかったですが、共通して「これから君はまだまだ色んな経験をするよ~、だからそんな先の事を今から決めようとしてもどうなるかなんて分からないよ~」て意味なはずです多分。ちなみにこの話になったのは僕が将来の話ばっかするからです。
経験は本当に財産だし、知識と経験の間にはとてつもない差があるなと思います。そして何においても初めての経験というのは特に貴重で大切な気がします。
1回目と2回目はもちろんですが、2回目と3回目も絶対にどこかしらが違います。たとえ同じに思えても絶対です。だからこそ生きている中で「その時にしか残せないもの」というのがその瞬間ごとに確実にあると僕は思います。諸行無常とはよく言ったもんです。
きのこ帝国のどれかしらのアルバムリリース記念インタビュー記事の中で佐藤千亜妃さんも「これは今しか残せないものだと思ったから録った」と話していた気がしますし、川谷絵音も「歌詞が思いついたらすぐさまスマホのメモに残す」みたいなツイートをしていた気がします。僕はこの川谷絵音のツイートを見た日から、なにかアイデアを思いついたらとりあえずメモに残す癖をつけるようになったのでひじょーに感謝してます。
まあそれくらい感情というか記憶というのは脆いものなんですよね。覚えておきたい事ほど覚えられないし、どうでもいい事ほど脳内に居座ってます。そしてこの「覚えておきたい」と「どうでもいい」の境界がすごく曖昧なのが脳の厄介なところです。
だからこそ、忘れる前に自分の覚えておきたい事もどうでもいい事もどんな形でもいいから残しておきたいなとつくづく感じます。その時の自分のことはその時の自分が一番理解していますし、形なしの脳内だけで昔の事を思い出すとどうしても美化されたり今の考え方が混じってしまいますからね。
過去の自分を後で振り返るのは面白いですし、時には救われたりもします。他人事のように俯瞰して見れるけど、まぎれもなく今の自分と繋がっている世界で唯一の存在だからです。
飽き性の僕がnoteを続けられている理由はこれですね。インスタの音楽垢にその時良いと感じた曲を載せてハイライトにまとめたり、知り合いがほぼ誰も呟かなくなったTwitterで今でもたまにツイートしてる理由も全部同じです。今の自分の自己満のためであり、未来の自分のためでもあるんです。
今の僕が大事にしている考え方なんかはもちろんですが、ありふれたどうでもいい光景や感情ですらも将来の自分には決して手の届かない、場合によっては羨ましいものになっているのかと思うと不思議です。でも、確信はあります。だから今しか残せないものをちゃんと大事にしたいなと思います。
ほんでこんな思いつきの内容を朝の5時半までぶっ通しで書けているので、とりあえず体力的にはまだまだ21歳は若いんだなと感じました。