耳年増と私の卑屈な原体験
若槻リカです。性経験はほとんどないのに性知識ばっかり豊富になってしまい、まあまあな大人になってしまいました。ところで、最近流行りの女性エッセイストや女性インフルエンサーは、性体験強者という私には眩しすぎる武器を振りかざしている人が多いと思うのです。そんな濃厚な性体験を背景として、恋愛とは何か、性とは何か、性体験の乏しい私たちに向けてご高説を垂れてくださるのです。そんな彼女たちの話を聞きながら、それは私のような人間では語れないものなのかと不思議に思ったりします。
それはそうと、耳年増という単語を初めて聞いた時、ああまさにこれは私のことだなと衝撃を受けたのを覚えています。
みみどしま【耳年増】
(性などについての)聞きかじりの知識が豊富な若い女。
<三省堂 大辞林>
なんて嫌味ったらしい言い方なのでしょう。私なんて、もうこじらせているから、「経験がないくせに(性などについての)聞きかじりの知識だけが豊富な若い女。」としか読むことができません。
でも実は、ネットの海を掻き分けて、海の奥底の大きな岩をひっくり返して裏にこびりついていたような情報を読むと、耳年増は萌えキャラの要素として考える人もいるようなのです。他人事ながらありがたいことですが、当事者からしてみると、そんな可愛いものではないぞって走り寄って耳打ちしてしまいたくなることもまた事実で。
なぜ可愛くないのかというのを私の実体験からお伝えしましょう。
高校2年生のときのことです。周りは片思いだ略奪だと若い身体と精神を存分に使って恋愛に興じていました。当の私はというと、いっちょまえに興味はあるけれど、お誘いもないし度胸もなく、言い訳をこぼしながら同じように何もお誘いのない友人と過ごしていました。ある時、クラスの6人の男女と仲良くお昼ご飯を食べていた時、ふと誰に恋人がいるのかということが気になったのです。右から数えて、いる、いる、いる、いる、いる、いる。しかもこことここはカップルだし、左から2番目の男の子は、彼女ができるまで片思いをしていた子だ。この中で恋人がいないのは私だけ。その事実に足の先から凍るように恐怖を感じました。何も経験していないのは私だけ。高校2年生にもなれば、きっとこの人たちは恋人としめった肌をこすりあわせるような性体験をしているのだろうし、この中で体験したことないのは私だけ…。自分が一段階下の層の人間のような、そもそも人間として失敗作のような、そんな気さえしていました。
高校2年生の私は、耳年増であることにひどくコンプレックスを感じていました。その事実だけで、私の価値すべてがひっくり返されるようなものだと本気で信じていました。それは可愛いなんてものでなく、どすんとのしかかってくるコンプレックスに涙が絞り出されるような感覚で。
それでも私は今、耳年増であることにひとつのアイデンティティすら見出せるようになったのです。
私は、このコラムを通じて「耳年増」という概念についてもっともっと理解をしてもっともっと知って欲しいのです。そしていつか、「耳年増」であることをコンプレックスに思う高校2年生の私のような女の子が、自らのたいせつなアイデンティティとして昇華できるようにしたいのです。