最後の一言を書いておけば丸くおさまると考えてるなら改めたほうが良いよ
唐突に本題だけど、好きでイラストを描いているし、好きでこうやってチラ裏に書くようなうだうだとした文章も書いている。
けど、会話の中でたまに「じゃあ得意なことはイラストなんですね」と言われたらものすごく困る。
胸を張って堂々としていられることを「得意」と指すのならば、そうではないし、むしろ私にはイラストを描く中で苦手なことが多いのだ。
完成に至らないことが多いし、色は塗らないし線画も稀にしか起こさない。もちろん背景なんてとんでもない。イラストだけでこんなにあるのに、文章なんかはちゃんと推敲しない(推敲そのものが苦手説もある)から滅茶苦茶だ。
でも、やりたい!と思ったものはやってみたくなる。
つまりは多分アレなのだ。「下手の横好き」なのだ。
勝手に恐縮して言っているわけではない。恐らく絶対に下手の横好きなのだ。たぶん。
その原因は、自身が左利きだからと理由をつけていた。
鉛筆の持ち方を正しく教えてくれる人がいない。鉛筆の持ち方を正しく導く便利ツール"もちかたくん"だけ渡されても分からない。
習字は右で書かなきゃいけないけど、握り方からして分からない。人のを見ても、右手は普段動かさないから指が動かない。
編み物は見本が右利きしかいないから、毛糸の通し方も持ち方さえも分からない。
左利きだから、みんな基準の「お箸を持つ方・お茶碗を持つ方」で混乱する。
文字にするとたいそう卑屈だが、実際にそれを感じたときはもっとポップなお気楽思考だった。
「お手本がいないから仕方ないじゃん」と。
(ここで余談なんだけど、左手でお箸を持つ人と社会人になってから出会い、おかげ様で持ちかたを矯正できたので出会いに感謝)
この途中で諦めてしまう癖が、本当になんでもかんでも伝播していったと思う。
結果、何事も中途半端に手を出しては壁にぶつかり、そのたびに「仕方ない」と理由をつけて放り出していた。
過去形で書いているのは、ある時から徐々にそれが「恥ずかしい」ことだと感じてきたからだった。逆をいえばそれまでは「恥ずかしい」と認識すらしていなかった。いやでも、もう左利きだからって理由はつけてなかったけど。
だとしたら輪をかけて恥ずかしい奴じゃん。
いつ頃だったか、担当の口から出る情報量の多さに「憧憬」ではなく「畏怖」するようになった。
いや、普通に考えて知識量エグくない?
彼は小説家でもあるから、と簡単に言ってしまってはいけないぐらいの知識と好奇心旺盛さだと感じた。興味に対するアンテナが電波塔並みに高く、いろいろなことを吸収しているんだろうなと思った。
アルバム「WORDISTA」内のメンバーへの質問に対する回答で「好奇心旺盛」というだけはある。偉そうないいかたでごめん。
誰にも真似の出来ない、知ることに対しての貪欲さはもはや恐怖だ。
近年史しか知らないけど、最近の担当は確固たる自信を持っているし表している(と、感じる)単純にうらやましいな、と思う。
でもそれは「前にでる責任」なんかや「アイドルとしての、小説家としての矜持」、あとはシンプルに生まれ持った性格なんだろうなあ。
って勝手に私は思ってるけど、こうでありたいという憧れを超えてくる担当、めちゃくちゃ恐ろしくてめちゃくちゃ段違いに格好いい。
そう思いながらタイピングしていて、「諦め癖」もそろそろ直さなくてはいけないなと反省する。
いい年してなに言ってんの…ほんと恥ずかしい奴。
オチは特に考えていないので、心に刻み込んでいる、色んな場面で思い出す"とある有名な一節"を置いておく。
「みんなちがって みんないい」
(ここは笑う箇所になります)
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