ベジタリアンからの卒業
お友達のパートナーが猟師さんでね
捕まえた鹿のお肉をくれたの。
以前、野生のお肉…まだ体温が残っているくらいのお肉を生で食べると
一口で、生命力が完璧に充電されると聞いていて。
でも、そんなお肉は手に入らないからね。
ちなみに私は毎日、ジビエを食べています。
体温までは残っていないけれど、生の お肉をいただいたから、食べてみたの。
一口も食べるのは勇気いったから…米粒くらい。
口に入れた瞬間に『氣』が巡って…オーガズ ムだった。
鹿のいのちは
私のいのちの元である性の『氣』になった。
生が性に影響を与え、それがまた生を産む。
当たり前の循環のように思えた。
こうやって、いのちはいのちを繋ぐ。
地球に住まう全てのいのちはこうやって、いのちを繋いでいる。
いのちに感謝するってことが初めて出来た。
私、昔はベジタリアン、ビーガンだったの。
その時はいのちに対する罪悪感で食べなかった。
…罪悪感だったんだよね。
罪悪感で食べないのと
感謝して食べるのと
この差は生き方が変わるほど大きい。
いのちの循環を體(からだ)で知れた。
今回、お友達のパートナーの猟師さんが鹿を捕まえて、
食べれる肉の塊にするまでのことを全部、聞いたの。
私がいただいた鹿はメスの子鹿。
そのいのちが人の口に入るまでのストーリー
これね、聞いただけだと
やっぱり、罪悪感が出てくる。
この罪悪感をゼロにするのは難しい。
頭の理解ではどうにもならない。
でもね、生の お肉を食べた瞬間に私の體(からだ)を巡った『氣』
その『氣』は子鹿の『氣』なんだ。
その子鹿の『氣』によって、私が生かされるんだという事実。
ここに罪悪感はなく
あなたのいのちを活かします
という腹の括りになった。
これね、飼育されている牛の生 のお肉だったら、
ここまで『氣』は感じれない。
野生で自力で生きている鹿の『氣』と
餌を与えられている牛の『氣』は違う。
質も量も違う。
生命力の差だね。
野生だから、分かること。
感じる側の人も
五感が鈍ってたり、
本来のまぐあいや
本来のオーガズ ムに関する知識がなかったり
男女のまぐあい時に『氣』の循環が出来ていないと
食べた瞬間にオーガズ ムって、訳わからないと思う。
五感を研ぎ澄まし、『氣』が循環するまぐあいをしてるからこそ分かること。
だから、
環境が必要なんだと思った。
鹿のいのちの『氣』が
私の『氣』とまぐあってる。
『氣』が循環してる。
私の體に確かに存在する鹿。
もうね、
自然に
当たり前に
感謝が湧き上がってくる🌈🌈🌈
例えば、アイヌの人たちが
どれほどの感謝の祈りを捧げて、狩りをするのか
話を聞いても、映像を見ても、分からない。
アイヌの人たちと同じ祈りができるのかと言えば、出来ない。
頭の理解ではどうにもならない。
自分の體(からだ)で知るしかない。
この地球に住まう全てのいのちは
いのちが持つ『氣』を食べることで
自らのいのちを繋ぐ。
食べた いのちの『氣』と
自分の『氣』がまぐあって、
オーガ ズムをえる。
これ、誰でもできるから✨
五感は誰でも持ってるし
『氣』はみんな完璧に把握してる✨
『氣』が散るのと、『氣』が落ち着いてるのと違いはわかるよね✨
『氣』が済む…とか。外国人に説明するのめちゃ難しいこと、普通にしてる🎉🎉🎉
意識的に『氣』を知覚する✨
それには「性」の場面が分かりやすい。
だから、性に関するいのちに沿った情報が必要だし、
オーガズ ムを得るための五感を研ぎ澄ます日常と
『氣』が巡る姿勢、體(からだ)の使い方が大事😊
いのちの循環を
頭の理解ではなく
體の感覚で知ること
その上での妊娠を目指したい🌈🌈🌈