誤解されたまま放置すること
私は、最近2回誤解された。
「1回目は、私がちょっと悪い。でも、2回目はあいつが悪い。」
1回目のは、かわいいもの。
私が、A君の声が聞こえずに無視してしまった。A君はすかさず、隣の女の子に「○○とは違う人だからね」と嫌味を言った。そこで、初めて私は自分がもしかしたら無視したかもしれないと気づいた。ちらっと顔を上げたけど、2人とは目も合わず、何も声が出せず、また自分のやることを再開した。
でも、頭の中は「誤解されてしまった」でいっぱいになって、自分の日ごろの愛想笑いができないところは、私にとって「うまく生きていくこと」への障害になっていると感じる。
ああ、もっとうまく愛想笑いして、苦手な人とでも適度に雑談できる人間だったらなと思うが、そんなことを考えていてもしょうがないか、と猫かぶりモードに変更しようとしても、そんなことは許さないとばかりに素の自分に後戻りする。
さて、あいつが悪い方の誤解は、本当にあいつが悪いんだろうか。これは、現在進行形の出来事、つまり、未解決誤解だ。早く解決しなければ、私のこのもやもやは私の思考に支障をきたす。なんせ、明日の0時までの締め切りレポートがあるから。
2つ目の誤解の、大きな原因は、私の口癖
「私、説明ヘタなんだよね。だからうまく説明できないの!」このように私は、『逃げ道』あるいは『言いわけ』を作り出して、説明することから逃げているのだ!!
なんて、卑怯な奴だ!お前が悪い!
そうだ。私は、説明不足で誤解をされた。でも、そのあとのTの発言に対して、コノヤローと思ったのだ。私が今本気で一番力を入れてることに対して
「胡散臭い」と言われた。
私は、Tとは大学の部活の同期でまあまあ仲もいい。というのも、両者とも違う進路に向かうことを決めたからだ。飾らない性格でいいやつなんだよ。だからこそ、悩んでるTに私が今やっていることを紹介しようと思った。自分のやるべきこと終わってないけど、Tに早くこれを教えてあげなければ!私たちに残された時間は確実に減り続けていく。
それなのに、このありさまだ。なんだってんだ。純粋な気持ちで誘ったからこそ、「胡散臭い」なんかいわれたら、そりゃこっちだって腹立つ。
でも、私も悪いんだ。説明不足だった。そして、これを紹介した私にも責任ってもんがある。だから、Tにもう一度今、私がやっていることをちゃんと説明してみようと思う。
誤解を放置してしまうことは、危険なことだ。「誤解」だと気付いているのにそれを「解」こうとしないのは、ただの怠惰と人間関係の抹殺に過ぎない。
要するに、誤解を放置することは明らかにメリットがない。よーし、不器用でもいいからちゃんと説明するぞ!!
んじゃ、おやすみなさい。