復刻版シリーズ
1959年ニューヨークのトイショーで華々しくデビューして以来、世界一有名なファッションドールとして、半世紀以上輝き続けるBarbie。
完璧なプロポーションの美女を、マテル社の創始者ハンドラー夫妻は、娘の名バーバラの名にちなんで命名したという。
それまで少女たちが遊んでいた抱き人形とは全く違う、大人っぽくて、最新流行を取り入れた着せ替えドレスを持った11.5㎝の美女には物語がいっぱい秘められている。
特にビンテージ・バービーと呼ばれる初期のドールやドレスは、いまではコレクターがたくさんいるほど芸術性が高く、こどもの玩具だったことが信じられないくらいである。
1959年から10年あまり、実はバービーは日本で作られていた。
マテル社は.50年代後半から、この新しい人形の生産拠点を物色しながらアジアを巡り、最終的に日本に決定し、試行錯誤を繰り返し、成功にこぎつけた。
最初はひとつひとつ、美大の学生が筆で眉や瞳を描くという、大量生産の人形でありながら、手作業の部分を残した作りであった。
昭和30年代の東京で、アメリカの大きな玩具会社と日本の小さな工場が力を合わせて生み出したのがバービーなのです。
コスチュームも重要だった。デザイナーとして、マテル社から派遣されたシャーロット・ジョンソン女史は、当時まだライト館だった帝国ホテルに1年暮らして、バービー立ち上げのための一連のドレスを準備した。
時には東京からパリにオートクチュールのショーを観に行くこともあったという。
誰も予想しなかった成功をおさめたバービーは、時代とともに歩み始めた。
60年代にはモッズルックに、70年代にはスーパースターを夢みてモデルチェンジをしながら、アフリカ系やヒスパニック系、アジア系など、アメリカのドールらしい展開も。世界中のプリンセスも仲間に入ったし、オードリーやビビアン・リーが映画のなかの衣装を纏ったバービーも登場する。
ディオールのニュールックをはじめ、モードの歴史を記録するようなデザイナーのドレスの縮小版も見逃せないシリーズであるし、宇宙飛行士や考古学者、歯科医など時代に応じたキャリアの夢を子供たちに考えることも忘れてはいない。
今この瞬間にも、どこかで誰かがバービーを買っている。新しいバービーたちは、新しい夢を抱いて生まれている。
セーター、ジャンパースカート、コートのセットです。
サマードレスを着たバービーです。
白と水色の爽やかなドレスは涼しげです。
白いつば広帽子は水色のリボンがエレガント。
日本では、オフィスレディが当時はビジネスガールBGと呼ばれていた。
五分袖のジャケットの裏側がブラウスの共布になっています。
サンバイザーの裏側も同じ布が使われています。
タイトスカートで全体にお洒落なオフィスレディの出来上がりです。
ウエディングマーチに合わせて歩むバービーは清楚で華やかな衣装です。
白いサテンのドレスに刺繍入りチュールレースが重ね合わされた可愛らしいデザインです。
頭にはパールをあしらったベールとパールのネックレスが清楚な花嫁さんの出来上がりです。
ドレスのあちこちに光るラメが散らばり輝きを放っています。
1960年、バービーは最も有名なビンテージファッションの一つ、Enchanted Eveningと毛皮のショール、白いロング手袋を身につけています。
とてもエレガントな彼女は私達の生活に特別なcollectionとして加わることになりました。
1997年製。
60年代クラシックファッションのひとつ、きらめきの渦と称された、赤いベルベッドフレアーコートとホワイトサテンスカートのアンサンブルです。
このdollは珍しく金髪のショートカットで、ベルベットのピルボックスハットが良く似合っています。
コートを脱いだスタイルです。
赤いベルベットのストラップレスドレスとホワイトサテンスカート。
ゴールドの太いベルトがアクセントです。
白いロング手袋はエレガントな表情を出してくれます。
赤いベルベットコートを羽織ると非常に良くマッチしたデザインになります。
肩の落ちたドルマンスリーブにギャザーの寄った七分丈の袖。
ハイネックにリボンが付いた可愛いデザインですが、全体に上品なエレガンスを感じます。
クラッチバッグもベルベット製です。
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