【奈落の覗き窓】no.3 トリスタンの目覚め〜コンヴィチュニー演出
コンヴィチュニーの仕掛け
演出の妙
従前の通り、コンヴィチュニーはワーグナー が楽劇「トリスタンとイゾルデ」を作曲するにあたっての思想的な背景やテクストに込めた意味を意外なほどまでに再現していることである。
でも、
まだ訝しがる意見はあるだろう。。。
この演出、特に1幕は戸惑いの声も多い。
髭剃りの件はもちろん、1幕は背景、舞台造形どれも実に軽妙だ。
手書き風の青空に真っ白な船、デッキチェアがバカンス気分を醸し出すクルーズ船の印象。
誰もがイメージするこの楽劇の深刻さを逆撫でするような設定だ。
前項までをお読みになればわかるが、2幕以降は演出自体がシリアスな方向に向かっているので、それを考えれば1幕の軽薄さ・軽妙さはその対比として計算されているとも考えられる。それを指摘する批評もある。
髭剃りに関しては、コンヴィチュニーはトリスタンがマルケ王に見えるにあたっての身繕いとして、あるいはイゾルデへの照れ隠しの身振りとして設定しているのではないだろうか。
またイゾルデ自らの召喚にも関わらず髭剃りで出てくるという不遜さ、それがイゾルデの台詞にある彼の慇懃さに繋がっているよう視覚化しているとも考えられる。
そして髭剃りのシーンで最も重要なシーンがくる。
自分の態度を誤魔化した髭剃り姿のトリスタン。
しかし髭剃りの剃刀は凶器=剣でもある。
その剃刀を片手に現れたトリスタンは散々イゾルデから許嫁のモロルト殺害の件で詰られて、私が憎いならモロルトの仇と思って首を掻っ切れと言わんばかりに剃刀をイゾルデに渡すのである。
これは単に人を食った思いつきの振り付けではないのだ。
いざ夜の国へ
トリスタンの目覚め
さて、一挙にこの演出の核心である3幕第2場、つまりトリスタンの死の場に向かおう。
舞台はト書にあるトリスタン治めるカーレオールの居館の一室のように設えて瀕死のトリスタンが横たわっている。
2幕で明らかになった舞台の外枠に更に舞台があるという二重構造はそのままになっている。つまりカーレオールの居館は昼の世界、外枠の黒い舞台は永遠の死の世界。
トリスタンは瀕死ではあるが、上着(仮の姿)を羽織った「昼の住人」なのである。
生死さまようトリスタンはイゾルデの再会を待ち焦がれているが、もはや死期を悟ったのか上着も脱ぎ捨てて例の黒衣の姿になって最期を迎える。
イゾルデは何とか間に合ってやって来るが、それも束の間、トリスタンは「イゾルデ!」と言葉を放って死んでしまう。
残されたイゾルデはその悲しみと先に旅立ったことを強く詰るのだが、その最後に謎めいた台詞を語る。
通常の演出だと、ここはあまり注意されない台詞であり、
半ば錯乱したイゾルデの幻視のように扱われるものだ。
ところが、コンヴィチュニーではこの台詞の段で文字通りトリスタンが目を覚まし、起き上がるのだ!
そして彼はイゾルデの上着を脱がし、共に「死の国の住人」としての黒衣となり、例の外枠の黒い舞台へ向かうのである。
そのバックではあの「愛の死」の動機が優しく鳴っている。
皆さんはここでリアリズムに捉われてはならない。
死んだ人間が生き返るという見方を捨てなければならない。
コンヴィチュニーが果たした事は演劇や映画の世界では常套的な手法であり、
この場合「昼の世界」から「夜の世界・死の世界」への越境、
意識の越境、魂の《道行》を「愛の死の動機」と共に描いただけのことである。
この跳躍した身振りに狼狽えているならば、
それは貴方自身の演劇的読解が揺らいでいる表明だ。
動揺を捨てて、
貴方が感じる差異を見つめてみよう。
そして演劇としての豊かな創造の世界を見てみよう。
2幕で果たせなかったトリスタンとイゾルデでの《道行》が、
いよいよ叶う時が来たのだから。
夜の国へ
3幕第3場の「誰も彼も死んでしまう(マルケ王)」戦闘の場は、愛し合う二人は外枠の黒い舞台で成り行きを見ている。
そしていよいよ大詰めの「愛の死」に至って、二人は昼の舞台に緞帳を下ろしてしまう。
緞帳が下りた昼の世界を象徴する舞台の前で、
イゾルデは夜の世界・永遠の死の世界でついに実現できた愛の成就、
その喜びを全聴衆に向かって宣言する。
歌い終えたイゾルデはトリスタンと手を繋ぎ、
永遠の愛の世界へと去っていく。
エピローグ
このコンヴィチュニー演出がトリスタンの舞台の最高峰だとは思わないが、しかし根拠なく「悪しき読み替え」と呼ぶことには断固反対したい。
都合3号に渡って記した通り、コンヴィチュニーは台詞やその行間、そして付された音楽を注意深く読んで演出を施していたことがわかるはずだ。
そしてその注意深い「読み替え」が実に情感溢れる人間臭いものであるという点で、私は愛してやまないのである。
トリスタンではなく、
我々が目を覚ます時がきたのだ。
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