おいおい、オードリーのリスナー落ち着けよ 2024年
「オードリーから気持ちが離れていった2023年」というnoteが、リスナー界隈で話題のようです。
詳しくは無料公開から200円課金になった記事を買って読んでほしいのですが、200円払えない貧困リスナーのために、こちらを書きます。太文字は上記noteの引用となります。
ざっくりいえば、『オードリーのオールナイトニッポン』を第1回から聴いていた古参ファンが、『あちこちオードリー』でオードリー・若林さんが興味のある「芸能界を生き抜く術」「タレント処世術」みたいなトークを毎週のように繰り返すことに、
「面白いけど、これ、毎週毎週、何を見させられているんだろう。」
「ある日、『私は今一体何を聞かされているんだろう?』って気持ちになってしまったのだ」
と気づく。
そして、快進撃を続けるオードリーを見て、
「annkwはファッションになったのだ」
「我々オードリーチョイ下世代のおじさんは、もうターゲットではないのだ」
となって、気落ちしてしまった、とのことです。
はっきりいって、
「申し訳ないが、心底どうでもいい…!」
話としか言いようがありません。
ラジオでいえば、たとえばその若林さんの相方・春日さんが憧れている伊集院光さんの「深夜の馬鹿力」。
たしかに面白いのですが、伊集院さんが近年、急速に「ラジオ哲学」を語るようになりました。それを聴いた私は、
「申し訳ないが、心底どうでもいい…!」
という気持ちになったのです。
しかし、50歳を過ぎた伊集院さんの中で、「深夜ラジオの閉め方」みたいなことを真剣に考えていたのでしょう。伊集院さんがそれに興味があるとしたら、それはラジオという媒体の特性上、その話が繰り返されるのは仕方がないことです。
一方、聴くも聴かぬもフリー(自由)のリスナーが、それに付き合う必要はありません。
そして、課金もしなければグッズも買わないフリー(無料)のリスナーのために、ラジオパーソナリティーのトークが左右される必要も、やはりないのです。
伊集院さんの古参とはまではいえない、中間管理職リスナーの私は、まずリアルタイムで聴くなくなり、続いて、何度かの回を飛ばすようになりました。ありていにいえば、気持ちが覚めていったのでしょう。
しかし、伊集院さんが、リスナーにお馴染みの、同級生・大野くんの影響からバイクに乗るようになり、それを楽しく語る伊集院さんの放送回をたまたま聴きます。
そして、私は再び、「深夜の馬鹿力」を毎晩リアルタイムで聴くようになりました。残念なことに、その後、あまり単車の話はされなくなっていくのですが、とりあえず、今も聴いています。
それで、ラジオにおいて、聴くようになる→聴かないようになる→また聴くようになる、みたいなことを繰り返すのは、よくある話です。
仰々しく、大層に語るようなことではなく、それは、
「申し訳ないが、心底どうでもいい…!」
話なのです。
そもそも芸人の番組を観たり聴いたりして、人生に役立つことが得られるなんてことは、皆無です。
「我々オードリーチョイ下世代のおじさん」でいえば、志村けん、とんねるず、ダウンタウン、ナイティナインとかが、人生のバチピン芸人でしょう。
彼らの番組は強烈に覚えていますが、人生の教訓になったことなど、一度もありません。
むしろ、害悪のほうが多いとさえいえます。
「申し訳ないが、心底どうでもいい…!」
しか詰まっていないのが、芸人の番組なのです。
教訓を求めるならば、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫あたりを繰り返し読んだほうが、全然得られるものが多いでしょう。
そして、これは芸人ラジオだけでなく、ほとんどの趣味にも当てはまります。
たとえば、釣り堀です。
うだつのあがらなそうなおじさんが、かこった区画で泳いでいる魚に対して、釣り糸を垂らして、楽しんでいる、あれです。
都内ですと、JR市ヶ谷駅から見える市ヶ谷フィッシュセンターが有名でしょうか。あれ、違法占領らしいですけど。
あんなもの、いつなんどき
「ある日、『私は今一体何をしているんだろう?』って気持ちになってしまったのだ」
と思うときが訪れるのか、わかりません。
爆発する時間がわからない、時限爆弾のようなものなのです。
しかし、それが訪れるまでの刹那、ただひたすら、生簀に釣り糸を垂らす。
たいていすぐに、「有休取ってまで、ここに来ている俺、ヤバいぞ」と気づき、人は釣り堀から去っていきます。
しかし、釣り堀は、一度去ってからこそ、始まる趣味、といわれています(いわれていない)。
人生の荒波に揉まれ、心がすさんだとき、波風立っていない生簀でゆらゆら泳ぐ魚が、ふと恋しくなる。
そして、人はまた、釣り堀に戻っていく。
その後は、よせては返す波のように(米米CLUB)、繰り返すのです。
さて、「オードリーのオールナイトニッポン」に話を戻します。
もし、今、「あぁ、私もオードリーから気持ちが離れてしまったなぁ」と思ったとしても、そんなことを気にする必要も、X(旧Twitter)に書き込む必要もない、ということだけは申し上げておきたいです。
もしannkwの番組がスポンサーのおかげで続いたとしたら、50を過ぎた若林さん・春日さんは、ラジオという媒体の特性上、老い・健康の話をし始めるでしょう。
そんな話は、若者にとって、
「申し訳ないが、心底どうでもいい…!」
話なのですが、彼らと一緒に年を重ねた中年リスナーには、興味深い話になるはずです。
そして、興味が持てば、また聴くようになる。
とてもシンプルな話なのです。
「我々オードリーチョイ下世代のおじさんは、もうターゲットではないのだ。」
などと、焦らないでください。
オードリーも40代半ば。そして我々同様、年を重ね続けます。
そして、そのオードリーが個人的な話をするannkwの主なターゲットは、
「我々オードリーチョイ下世代のおじさん」
であることは変わらないでしょう。他の司会番組とかは、わかりませんが。
「面白いけど、これ、毎週毎週、何を見させられているんだろう。」
そう思いながら、観る、聴くを再び惰性でするようになる近未来の訪れを、静かに待っていればいいのです。
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