memo
兄は12歳上、別に複雑な家庭とかそういうわけではない。ちと考えたくァねぇですが両親が仲良かっただけです。考えたくァねぇですがね?
ひとりっ子全開で12年生きてきた兄、間もなく反抗期デビューだったはずのところに乳飲み子としての私がこの世に降臨したためにそのデビュー日を迎えることなく両親と一緒に蝶よ花よと私に接してくれていたらしい。
兄には申し訳ないけれども、正直私は姉がほしかったし、兄のいるところというかむしろ兄に直接「お姉ちゃんほしかった」などと言ったこともあったし、その時の兄の悲壮感に満ち溢れたあの目を見た私は、こりゃマズい事を言ってしまったものだとこっそり反省したものです。
そんな兄が長くお付き合いしていた彼女さんと結婚してそこそこ経つわけやけど、彼女さんから義姉へ、つまり「知ってる女性」から「家族」へ変わって、頭に「義理の」と付くにしろ私に姉を連れてきてくれた兄にはひっそりと感謝しているし、妹のいなかった義姉は突然変な妹ができてどうやら嬉しいらしい。
こんな私相手に嬉しいと思ってくれるのが誇らしいような恥ずかしいような申し訳ないような。
普段はあまり悩むことなどない所謂シアワセモノでノーテンキな私でも、生きてりゃ多少悩むこともあるし、まさか家族には相談できへんでコレはと思うような気持ちのモヤモヤを抱えることもごく稀にあるわけで。
そんな時に私の話を聞いてくれる義姉であったり、Twitterで心底良くしてくれているお姉様であったりにはすごく感謝しているし、ああやっぱり私まだまだ人生経験少ないねんなと(ポジティブな姿勢で)我が身を振り返ることもよくある。
義姉がまだ兄カノだった頃から、彼女はまるで我が妹であるかのごとく私と接してくれていたし、両親や兄にはできない話で誰かに聞いてほしいことがあれば聞くからねってずっと言ってくれてたし、もちろん今でもそのようにしてくれている。大変な感謝をしているわけです。
そう振り返ると私は人に恵まれていることにふと気付いたりするわけで。
本当に両親には申し訳ない限りではあるけれども、その昔の私は「妹がほしい」という気持ちも持ち合わせた両親に対して非情なるワガママっ子でもあり。
今、SNSで私に接してくれている同性の方は↑のお姉様の他にもたくさんいて、中には私よりも歳下の方もいたりするわけだけど、義姉やお姉様が私に接してくれているように、ちゃんと接してあげられているのか、それともそうでないのか。
慰めるばかりでなくて、本人が気付いていないようなよくないところはちゃんと教えてあげられているだろうか。お姉様たちがしてくれているように、相手を傷つけることなく、ちゃんと本人が気付くように言葉は選べているだろうか。言うて然るべきところはビシッと言えてるだろうか。
私が誰かに「姉御」と呼ばれる日はまだ遠そうだ。