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海外留学に帯同して私が身につけたスキルとは

渡航前の私たち

結婚前から夫は海外に行きたい、海外支店への転勤候補には手をあげたい、と話していた。ゆるキャリ道を進み始めた新社会人だった私は、願ってもないこと!と応援した。

この時の私の海外転勤に帯同する妻のイメージは、高いお給料、余裕のある時間、バイリンガルの子供たち。今思えばなんてお花畑な妄想かと呆れてしまう。

けど本当に心からそう思っていたし、そういう生活を彼が与えてくれるのだと勝手に信じていた。

時が経ち、ゆるキャリ志向だったはずの私は、仕事の楽しさとお金を稼ぐ自由に目覚め、産休育休2回を挟みながらも時短正社員として勤務を続けていた。

夫は元々休日出勤もある激務職。何度も衝突していたがなんとかやり過ごしていた。

そんなある日、夫が言った。「手を挙げていてもチャンスが巡ってこない。社費留学の候補に応募する」

あーそうでした、そうだったね、君はそういう志向だった。

「お、応援してる!」とりあえずそう答えた。だって海外いいね!って言って結婚したもんね、とか考えながら。新入社員の時とは明らかに違う、ついにきちゃったか、という心持ちだった。

あるお母さんの一言

夫はその後、留学に必要な資格スコアをとるため猛勉強。その甲斐あって無事に社費留学生の枠をゲットした。

私は「配偶者の海外転勤帯同に伴う休職制度」が無い会社に勤めていたので、新卒から7年お世話になった会社を辞めた。

子供たちの保育園の退園日が確定して、同じクラスのママさんにぽちぽち伝え始めていたころ。あるお母さんにこう言われたのだ。

「なんでついていくの?私だったら絶対行かない。キャリアも住む環境も選べないなんて」

ハッとした。ついていかないと考える人もいるのか。夫婦なら転勤にはついていくものと思い込んでいた自分に気付かされた。

何より返事に窮した。そのお母さんの、なんで?には明確に答えを返せなかった。

とはいえ、もう退職手続きも引っ越し準備も始まっている。引き返せない。やっと夢を叶えた夫にも伝えにくい。もやっとした言葉にならない気持ちを抱えたままアメリカへ渡航した。

衝突、そして紛れもない事実

ろくに海外旅行の経験もない私にとって、初めての海外生活は日々試練の連続。買い物ひとつとってもスムーズにはいかない。

頼りたい夫は朝6時に出て夜8時に帰ってくる生活。子供たちの幼稚園も現地で探すことになっていたので、預け先が見つかるまでは、私がワンオペでつきっきりで相手をしていた。

スマホという最強翻訳ツールと、近所にあったとても素敵な公園が救いだった。公園では得意の対人スキルで日本人ママ友の輪を広げながら、幼稚園情報を入手しつつ孤軍奮闘していた。

3ヶ月ほど経ったころ、ふとした些細なことがきっかけで大喧嘩になった。

私は「あなたには、全てを捨ててついてきた私の気持ちなんてわからない!あなたのためについてきたのに、私にはなんのメリットもない!」と夫に溜まった不満をぶつけた。

夫は答えた。「自分の将来と家族の将来を考えて、この選択がベストだと思ってこの留学を決めた。その理由は君にも話したし、そもそもついてきてほしいなんて強制した覚えはひとつもないよ?

黙るしかなかった。そうだ。彼は伝えてくれていた。

その上で私は自分自身の選択から逃げて、思考を止めて、自分の人生を彼に勝手に背負わせていたんだ。

2回目の海外渡航前、失敗を生かす

コロナが猛威をふるって、予定より早く私たちは日本へ帰国した。帰国後すぐに当時まだ感染状況が抑え込めていたアジアへの転勤が決まる。

そこで私がしたことは、思いつく限りの生活スタイルとそのメリットデメリットを書き出すことだった。

家族で帯同か、夫だけで単身赴任か。私は働くのか否か。その選択肢に子供たちの進学先や住む場所、渡航のタイミングを掛け合わせていく。わからない部分は各所に自ら問い合わせる。

そして書く。とにかく書く。問い合わせて判明したことも不安な気持ちも楽しみな気持ちも含めて、すべて書き出す。

アメリカ渡航前、保育園のあのお母さんから言われた一言に、こういう理由で私はこの選択をしたんだって笑顔でお話できるように。

そう考えながら書き切った。

手に入れた一生もののスキル

そして私は約1年ほどの日本でのワンオペ生活ののちに、来年春、夫がいるベトナムへ渡航することを選択した。

私は自分で選択する、というスキルを手に入れたのだ。

選択には責任が伴う。選んだのだから、覚悟もできる。

今の生活は目が回るように忙しい。疲れ果てて寝落ちすることも多々ある。

でも夫を恨む気持ちはない。今のワンオペ生活は私が決めたことだから。

自分の当たり前を疑ってみることを教えてくれたあのお母さんに、私の選択を尊重してくれた夫に、今はとても感謝しているし、自分の人生ですごく大切な気づきだったなと思う。

今は子供たちと一緒に、ベトナムに行くという選択の意味をたくさん、たくさん書き出している。

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