「今年のわたし、どうだった?」を占う
光陰矢のごとし。
今年も気づけばもう年の瀬。
「一年なんて、あっという間ですね」。
大人がこの時期になると決まって交わす、この挨拶の意味が分からなかった子供も今では立派な大人になり、言葉の継承者となっている。
この言葉はきっと、人間の感覚が変わらないかぎり継承され続ける、消えてなくならない言葉。
今さら今年を振り返ったものを占ったところで、なんになる。
やるなら来年のことでしょ。
そりゃ、そうだ。
でも、書きたくなってしまった。
占いたくなってしまった。
久しぶりにテーマを決めてのリーディングだったので少々手こずりましたが、なんとかかんとか。
ご高覧いただけますと幸いです。
A~Cからお選びください。
A
信じた人が実は一番信じてはいけない人だったり、迷惑な人にしつこくつきまとわれて精神的に参ってしまったり。
とかく人間関係で問題を抱えた一年だったよう。
そのことで余計な出費もあったやもしれない。
人の心は見えないから分かり合うために言葉を尽くすわけだけれども、人の言葉を異次元に翻訳して受け取る人との対話は成立しない。
まだ、話せば分かるはず。
そんな思いが、わたしの中にあるのかもしれない。
でもその人に期待しても、わたしの言葉は届かず、疲労感が増すばかり。
理解しよう、分かってもらおうと努める時間は終わった。
そう気持ちを切り替えよう。
自分の理解の及ばない人がいる、それを知るための一年だったのかもしれない。
人生における暗闇を経験した一年だったけれど、そろそろ薄日もさしてくる頃合い。単に離れてゆくタイミングだったとしても、ようやく安堵できる。
これを教訓として、これからは関わる人には慎重になろう。
B
様々な感情に翻弄されながらも、なんとか踏ん張り続けた一年。
心が求める何かを探して追い続けてきたけれど、それは広大な海の中から、かつて釣り上げてリリースした魚を再び釣り上げるような大変な作業。
だから、まだ手にしていない、と思っているのかもしれない。
不安は迷いを生み、迷いは決断力を鈍らせる。
なにかが違うと思わせてしまう。
でももう、わたしが求めていたものは見つけているのかもしれない。
ただ大きい世界ばかりを見つめているから、目の前のことに気づけないでいるだけ。
わたしが大切にしたいと思えるものは、遠くではなく近くにある。
だから目をすぐ隣りに転じてみよう。
そこにあるものが、わたしがこの一年探し求めてきたもの。
今のところ、それ以上のものはない。
隣人を愛しなさいとマザーテレサが説くように、身近な人を大切にするところからすべてが始まってゆく。
「ここではないどこか」、「この人じゃない誰か」、ではなく、「ここ」のよさに気づこう。
C
勉強に明け暮れて、充実した一年だったよう。
学ぶ過程で仲間ができたり、この人についていこうと思えるほど信頼できる人と出会えたりと、得るものが多く、精神的にもかなりタフになったよう。
これまで縁のなかった世界への挑戦。
それによって見たことのない自分を発見して、こんな才能があったのか、子供の頃からの趣味ががここで活かされるのか、とたまたま選んだにすぎない道がもたらしたものの大きさに驚きが隠せないでいるかもしれない。
見るものすべてが新しい世界においては、わたしの器は変幻自在。
自分でここまでと決めないかぎり、いくらでも大きく育てることが出来る。
結果を出せるようになるまで、今しばらく修行の身が続くけれど、その時間を楽しもう。
もしも途中で挫折したとしても、土が乾燥していなければ何度でも作り直せるように、わたしも何度だって立ち上がることができる。
だから器が乾いて固まってしまわないよう、向上心を持ち続けよう。