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2024年夏一人旅、オランダ(アムステルダム)アンネ・フランクの家🇳🇱
こんにちは、Miyuです。
忘れられないデンマークでの日々に終わりを告げて舞台はオランダ(アムステルダム)に移ります。
アムステルダムは本当にほぼ宿とフライトをとったこと以外何にも計画していない国。大丈夫か。
デンマークで力使い果たした感が否めない。
まだ3カ国も旅するのに。笑
雲行きが怪しすぎるぞ。
(あ、あとパンケーキ食べたい)(ダジャレじゃないよ)
ホステルは都会から電車で20分ほどの場所に位置していた。微熱気味+キャリー(重)とリュック(重)+慣れない土地+街から遠い、というトリプルコンボで私はもう疲労MAX。
そして追い討ちをかけるように、デンマークの治安の良さに完全に所持品管理力が低下していた私は、体力が限界な上にまたスリ対策もしないといけなく気が全く抜けない。
藁にもすがる思いでやっと辿り着いたホステル(女の子限定ホステルでWi-Fiは「ガールズパワー」と命名されているなんとも強気なホステル)で真っピンクの頼りなさそうな二段ベッドが一つの部屋に7つほど陳列されていました。(世界観だけはバービー)
そんな私でも一つ大切なことは忘れずしていました。
アンネ・フランクの家(Anne Frank House)の予約です。
アムステルダムに来たならば絶対に訪れたいと思っていた場所。
戦時中ドイツ占領下だったアムステルダムはナチスの迫害から逃れるためにフランク一家が隠れ家でひっそりと暮らしていた場所。現在はその家自体が博物館となって毎日様々な国から観光客が集っています。
(予約必須で、行きたい週の2週間前の火曜日に予約ページが開放されます。とても人気で団体客も多いためすぐに完売してしまいます、行きたい方は前もってカレンダーをしっかりチェックしておくことをお勧めします。)
そんな歴史的な場所で私が感じたことをここにつらつらと書き記していきます。(撮影禁止だったので写真はありません涙)
![](https://assets.st-note.com/img/1729844173-G1QTsyB8dSp9Y3ZIfLWeoMmr.jpg?width=1200)
アンネ・フランクという人物
みなさんもご存知だと思いますが、アンネ・フランクは第二次世界大戦中にナチスからのユダヤ人迫害から逃れるためにオランダのアムステルダムの本棚の裏に造られた隠れ家で住んでいたフランク一家の一員。
1929年、6月12日にドイツのフランクフルトで生まれる。
三つ上の姉マルゴットがいる。
第二次世界大戦中にナチスの迫害から逃れるために一家でアムステルダムにある隠れ家で約2年間生活をする。幼い頃から書くことが好きで作家になりたいと志していた。
幼い頃からものを書くことが好きだった彼女が誕生日に父から貰った日記に隠れ家で過ごしていた日々のことを書き記しています。
書くことで自分を見失わずに希望を抱いていたアンネ、そんな日記は世界中の言葉に翻訳され世界中で今日までたくさんの人々に読まれています。
※イギリスに亡命していたオランダ政府の教育大臣が、ラジオを通じてオランダの人々に戦時中の日記や書類を保存しておくよう呼びかけました。それを聞いたアンネは日記を「後ろの家」というタイトルの一つの物語としてまとめることを思いつきました。(出典)
彼女たちが隠れ家に引っ越してきてからもいつ見つかるかわからない状況下の中でひっそりと物音を立ててはいけない生活。
そんな生活も虚しく隠れ家に引っ越した2年後の1944年8月4日に警察に発見されアウシュビッツに連行されることになってしまいました。
アンネの家族の中では唯一、父のオットーが生き残りました。
彼の友人が彼女の日記を出版することを促したことで今日までアンネの日記は様々な人々、世界中で読まれることとなりました。
アンネの家
アンネの家に着くまで電車とトラムに揺られて合計40分くらいでした。
私は前日から引き続き体調が優れず微熱でしたが(はかっていないけど絶対に熱あった)アンネの家のチケットを予約していたため「途中で倒れてもこれだけは見せてくれ!」という走れメロス並みの情熱を持って街へ繰り出しました。
幸いにも倒れることなく展示を見て回ることができたのですが内容が内容なだけに途中から頭に全く入ってこず、目の前でアンネの身に起きたこと・これが実際に何十年か前の地球で実際に起こっていたことという精神的に重すぎる内容にただただ立ち尽くし情報をただ受け入れていくことしかできない状態でした。
中の展示にはアンネが実際に使っていたシンクや机、テーブル、トイレなど本当にその場の空気が生々しく残っていて、身体に染み込んできました。
頑張って見て、考えていたのですが正直本当につらかったです。
全階、全展示に説明が付いていて入館する際に言語を選べる音声ガイドマップ付きでした。(日本語もありました。)
感じたこと
何度も言いますがとても考えさせられる時間でした。現実に起こったことなんて平和ボケしている私には到底受け入れるのに時間と思考が必要でした。
ですがアンネから私なりに学んだことがあるので烏滸がましいですが少しだけ書き残していたいと思います。
好きなことを続けること
自分が本当に好きなことを続けること。時には手が動かなくなるくらい絶望に苛まれる時があるかもしれないが。続けること。
希望を持ち続けること
常に希望を持つことは難しいけれどそれでも理想を現実にするための手段はそれしかないと感じた。最良の現実の為に最良の思考を。
物音も立ててはいけない世界。じっと息を潜めていないといけない世界。
私にはとても想像できません。
そして簡単な言葉や綺麗な言葉でわかったふりをしたくもありません。
でもだからこそ起こった現実から目を背けずに「知る」ということは大切なんだなと感じました。自分ごとではないと興味を向けなかったらそこで終わってしまう、それではなんの解決にもなりません。
今回の経験は本当に貴重でした。
ましてやすぐ売り切れてしまう(しかも夏休み期間)にも関わらずチケットを購入することができたこと。
体調が悪かったのに倒れずに辿り着けたこと(体調管理しっかりしてほしい)。
全ての奇跡と偶然にありがたいなと噛み締めました。
アムステルダムでは少しゆっくりしようと思います。
(まだフランスとスイスの旅が残っているので。w)
パンケーキは食べたいな〜。と思っていたのでカフェへ。
![](https://assets.st-note.com/img/1729844229-XUh8jEYJemZo1Trz9WDw0Aly.png?width=1200)
次はフランスの記事です!
フランス人のお友達と南フランス「La Ciotat」という地で1週間フランスの日常を思いゆくまま楽しんだかけがえのない時間を書き綴ろうと思います🇫🇷
陽気で小さいことは気にしないフランス人。
異国の地からきた私を寛大に受け入れてくれて大量のチーズを食べさせてくれました。w
小さいものから大きいものまで様々なカルチャーショックに苛まれつつ学び合いながら、受け入れ合いながらとても学びがあった1週間でした🌷