ICO 感想
大好きなゲーム ICOをやった
トチ狂って3回くらいラスボス前のセーブデータを吹き飛ばしたりしている
一周のみでトータル6.5時間くらい
改めて触れて、これでもかというくらいICOの良さを実感したので、思ったことをいろいろ書いた
クリアから2ヶ月が経っている
以下、ネタバレ
感想 美しいゲーム
元がPS2向けのゲームなのを忘れるほど、グラフィックの作り込みが美しすぎるのだ。鎖に登る手を止めて、まじまじとその景色を堪能したほど。
そしてやはりカメラワークが独特である。見たい方向にスティックを傾けると視点がありえない速さで動くせいで、美しさをゆっくり見渡せるような余裕がまるでないので笑ってしまう。その代わり、カメラを動かさずともICOはどの場面を切り取っても美しい。
↑鎖云々について、普通に登っていたら突然これでもかというくらい引きのカメラで映すゾーンがある。周囲の塔や建物を一望することができ、その中で一際小さく、ちっぽけに映るイコにはっとする。予想外に今いる空間の奥行きや広さを見せられることで、プレイヤー(イコ)とヨルダはこの城の中でたった二人きりなのだということが、より強く表されていた、ような気がする。
グラフィックの美しさといえば、この物語の舞台である霧に包まれた古城も強い魅力の一つだ。「霧の城」という言葉に惹かれることは間違いない。
いかんせんだだっ広く、全体像はイマイチ掴めないが、シンメトリーな構造が多かったり同じところを行ったり来たりすることもあって(というか度々迷子になっている)、この道はここに繋がるんだろうなーみたいな予想が当たると、少し嬉しい。
今これをICOのサントラ聴きながら書いていて、you were thereは神曲
でもクリアまで駆け抜けた興奮冷めやらぬ今、最終戦と関連して、shadowの話をしたい
★倒さなければならない影、その数53体
不穏なBGMと共に、53体もの影──ニエが、イコを襲うでもなく、ただただ取り囲んでくるというイベントがある。
ヨルダと離れた時とは比べ物にならないほど、私はこれが一番心細くてたまらなかった。そして何度聴いても鳥肌が立つ。似た状況で、影が出現する時に流れるdarknessやdeja vuとはまた違う。これらの曲に関しては、早くヨルダを助けなければ、という焦燥感に駆られるし、それが影へ立ち向かい、剣を振り回す原動力となる。
対してshadowが流れている間は手にした剣の重さを直に感じていた。振りかざす剣が空ぶるたび、画面から影たちがいなくなるたび、どこか安心を覚える自分がいた。だけど安心と不安は紙一重。襲いかかってくるのは最早影のみではない。53体を前にして、そんな、ズッシリと重い気持ちにさせられる。
よりによって、影たちはこの剣で倒されると霧のように消えてしまうのだ。その感覚的な対比が、心に内なる影を差す。音の後ろで流れているキリキリとか細い音、風のようなざわめき、それらが、下手したら悲鳴や悲痛な嘆きのように聞こえてならない。これを流している今も少し頭痛がしている。
なんというか、最終局面に差し掛かった矢先のイベントとしてこれが待ち構えているのは、あまりに心が痛すぎる。
文字通り死にものぐるいであらゆる苦境から這い上がり、女王の剣を手にして、見覚えのある場所に出てきた!やっとヨルダに会いに行ける!…と思った矢先、そのヨルダを取り囲む無数の影を視界の端に見つけることになる。剣を構えて駆け寄ると、そこには確かに影が集まっている。しかし彼らはこれまでの道のりで襲ってきたような見た目とは違う、一回り小さい人型の、ツノの生えた影たち…。
そこから「このツノの生えた影ってもしかして…」と察した瞬間、胸中に重い鉛の塊を落とされる。ここだけは本当に「してやられた」気分にならざるを得ないのだ。
★恐怖の女王について
影の女王、ヨルダのお母様?もとても美しい。あの母にしてこの娘あり。彼女と対峙するイベントではEntityが流れるけど、これもなかなか私の不安を煽る音だった。雰囲気でいうとdarknessの方が怖いが女王の立ち居振る舞いもあってEntityでは畏怖のようなものを感じる。
結局のところ、あの二人は本当に母娘の関係だったのだろうか。女王はヨルダを「たったひとりの愛娘」または「あの子」と呼び、娘として扱っている。それに対してヨルダは、どうも母親と認識しているのかどうかはハッキリしない。
ヨルダのセリフに「あの人を怒らせてしまった」というものがある。仮に、自分の母に対して「あの人」という呼称を使っていたのなら、ヨルダが女王に対してどう思っていたのかは少しばかり察することができるものがあると思う。なんなら、イコと出会う前は籠の中に幽閉されていたのだし。
ただ他の考察などを見て思うに、ヨルダもまた生贄だったのではないかという話も無きにしも非ず。そもそも影の女王は影であって、ヨルダはイコと比べれば人間味が薄いものの、肉体がある。あるいは女王が女王となる前は人間であったかもしれないし、この二人の繋がりについてはバッサリこうだと決めつけるのは尚早な気もしている。ただ、もしヨルダがイコと同じくニエだったのなら、この後の話に少しの希望が見えてくる…かもしれない。
だからこそ、私はどちらの可能性も捨てたくはないのだ。
“ICO”の精神性
イコは籠の中に囚われているヨルダを見つけて真っ先に助けようとする。女の子が一人で膝を抱えているのだから当たり前だ。私だってそうする。ヨルダを救出してからも、動き回るヨルダを何回も呼びつけたり、影が現れればまた助ける。なんというか、か弱いお転婆なお嬢様の面倒を見ているような気分になる。最初はひのきの棒だったのに、いつの間にか剣なんか手にしちゃって、それこそ自分が姫を救いにきた勇者なのだと錯覚してしまいそうになるほどに。
プレイ中、しばらく考えていたことがある。
イコとヨルダの間にある繋がりについて、昔からずっと覚えていた違和感があった。
それこそが、このゲームの肝とも言えるR1の手繋ぎシステム。背の低い少年イコが、背の高い少女ヨルダの手を引き連れて行くことになる。その時ヨルダは少し屈むような、あるいは半ば引きずられるような体勢になる。あれを「身長差がかわいい」だとか「イコの手を離さないという強い意志が伝わって良い」とかいう感想で締めるつもりは全くない。
私が今回ICOをもう一度プレイするに至った一番の理由は、二人の手を繋ぎ止めていたものが一体何だったのかを確かめるためだったのかもしれない。
ゲーム本編のシナリオの核は、少年イコがヨルダの手を引いて脱出しようとすることだ。逆に、ヨルダがイコの手を引いて先の道へ促すことはない。崖から引き上げようとするシーンはあるが、ヨルダ先導のシーンはなかったはずだ。
それなのに、こう思わずにはいられない。
このゲーム、本当に手を引かれていたのは誰だったのか?
例えば、手を引かれて慌てて走るヨルダの仕草や、発言の節々に見られるイコへの態度。あれらは一体どういうことだったのか。
「この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから。」
物言わぬヨルダはおしゃべりなイコの手に引かれ、行く先々で影に襲われながらも、光の力で封じられた扉を開けてくれるし、時には脱出のためのヒントもくれる。駆け出して次のエリアへ行ってしまったかと思えば、イコが先へ進む手筈を整えるまでその辺をウロウロしている。(肘を見つめたりもする)
やがて、物語の行き着く先として、イコはこの忌まわしい霧に包まれた城から、ヨルダの手によって一人で脱出することになる。
ヨルダは、急に手を握ってきたかと思えば、勢いよく駆け出す少年に着いていくのに、とても必死だったはずだ。それでもその手を振り払うことなく、少年と共に行動していたのはなぜか。それはたぶん、ツノの生えた少年があまりにも無謀だったから、ではないだろうか。
影の女王が少年の行動に苦言を呈しているように、後先考えず体が先に動いているような印象を受ける。きっとヨルダとは真逆の性格なのだ。
一方で、その少年はどんな苦難にも立ち向かい、先へ進もうとする勇敢さを持つ。そして大きな声でヨルダを呼び、さあ行こう、連れて行ってあげるよ、と手を取る。ヨルダには、そんな勇気はなかったかもしれない。どこにも行けない自分を、どこにでも行ける人が連れ出そうとしてくれている。ヨルダは、そんな風に与えられる自由に慣れていない、一人の少女でもあったかもしれない。
人は自分にないものを欲しいと思ってしまう。永遠に続く無いものねだりというやつである。自分とはまるで違うイコを見て、ヨルダはなにを思ったのだろうか?
イコと出会う前はひとりぼっちで(これも推測でしかないことに留意が必要だ)、ロクに話し相手もいなかったヨルダは、そんなふうに自分を気にかけてくれるイコのことを、守ってあげたいと思ったのかもしれない。
それはまるで弟に振り回される姉のように。あるいは、息子を見守る母親のように。
そんなことにすぐ気付くべきだった。というか昔は気付けなかったのだ。
女王の剣を手に取る前、後に船が通る柵に近づくと、柵の向こうの風景のムービーが流れる。あの時一瞬でも「ここからヨルダと共に逃げられるのだ」と思ってしまうことは、やはり愚かだったのだろうか。
今の年齢になって、ようやくヨルダという少女の優しさ、そして少年イコの勇敢さについて、こうして考えることができた。プレイヤーとして精神性が成長したことの証かもしれない。
自語り総括
今も昔も変わらない私的超神ゲー、ICO
ICOとの出会いは学生時代で、はじめましては宮部みゆきが手がけたノベライズからだった。
気になったタイトルまたは装丁の上製本を片っ端から読むために朝も昼も放課後も日がな隙あらば図書館に入り浸る、という気狂いムーブを大回転させていた時期がある。そこで「ICO 霧の城」と出会った。
厚みのある、ハードカバーの表紙はソフトの本家パッケージと同じイラストだ。黄色い砂漠のような広い地面を手を繋いだ二つの影が走っていく──今となっては、ICOのイメージアートとしてこれほどゾクゾクするものはない。最初の数ページを読んでからこれがノベライズだということに気付いた。どうしても本家が気になったのでソフトを買ってもらい、プレイした後に本腰を入れて読んだのだった。ありがとう宮部みゆき。ありがとう当時の私の気狂いムーブ。
とはいえ、この本についてもだいぶ記憶から薄れている。いつか必ず再読したい。
やはり人生で出会えてよかったゲームの一つ。
公式ガイドブックを手に入れたらまた何か書くかもしれない。
終わり