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ざっくり自己紹介



子ども時代

一番幼い時の記憶は、3歳くらいの保育園での記憶で、お昼寝中に先生がいない時に、こっそりタオルケットの糸をぬいて友達と糸交換をしていたこと。

もうひとつ保育園で「名前が変わるからね~」と保育園の先生に言われて "え?わたしの名前変わっちゃうの?どうして…?”と疑問符とびまくり、でしたがクラス名がパンダからさくらに替わる(例え、ですが)ということのようでした。(進級するから、とかではなく変更する、ということだったのだと思います)

小学校低学年までは割と夢の世界でいきてるような、ぼんやり、ふわふわとした記憶が多いです。住んでいたところも何となく覚えていますが、引っ越したので、今はいろいろ変わっているかなあ、と。

引っ越しとほぼ同時に妹が生まれて、このあたりからしゃっきりしなきゃ、と真面目モードな自分ができていったように思います。

鍵っ子で夕方は毎日アニメ見てすごしていました。あまりさみしいと思っていなかった、とは思うのですが、このくらいから今につながる自分が作られていったなと。

この頃、ピアノ・オルガンなど鍵盤の楽器にすごく憧れがあり、店で見たキーボードを「欲しい!!!!」と帰宅してからも主張して、「自分のお金で買う」とさらに主張して、やっと買えたことが大きな出来事でした。
暇さえあれば弾いて、両手で弾けるのはねこふんじゃったとか、簡単な和音での伴奏くらいでしたが、自分なりの拠り所だったと。
中学時代、合唱の伴奏をそのキーボードで弾けるようになりたいと練習してました。
ピアノを習いたいと親に伝えましたが、「キリよく高校からね」と言われてしまい、なんで粘らなかったんだ自分…と、のちのち後悔してます。

基本、家計に余裕のない家だったので、高校も当然公立で、という感じでした。「大学行きたいなら国公立ね」とも言われていて、センター試験等に向けて勉強してましたが、”無理だ、センターで点数取れないぞ”となり、国立4年間の学費とほぼ同額で行ける短大に行く、と進路変更しました。

就職

地元等いくつか試験を受け、内定の早く出たところが就職の意思確認みたいなものの提出期限があり、地元の結果が出る前でしたが、そこに就職しますと返答、そしてひとり暮らし…と急にバタバタします。
でも、”あ~~、早く家を出たい!親にあれこれ指図、指示されるのが嫌!”と思っていたころでラッキーでした。

研修etcなどありつつ、仕事開始。仕事そものものは大変でしたが、慣れていくにつれ、やりがいも感じていたように思います。が、職場内にあった常識、社会としてのこれ当然でしょ?みたいな空気がほんとに嫌でした。”いやいやいや、おかしいですよね?”と心の中で毎度つっこんでいましたが、言っても変わらないだろうし、と受け流して働いていました。何よりひどかったのが、昼休憩なしの9時間労働が当たり前だったことです。今思い返しても最悪です。お茶飲み休憩という名の5分くらいのコーヒータイムを交代でとっていたくらい。ブラック企業じゃーん!
(昼食はいつとるんだ、というつっこみはおいおい書いていきます)
打合せ、会議があるとそれすらもなくなる、ハードモード…。

子育て

そもそも、結婚なんてしたい、ともする、とも思っていませんでしたが、結婚・出産となり、子育て開始です。
あとで、詳しくかけたら。

もうすぐ子育て終了…?

子ども達もそれなりに大きくなり、そろそろ独り立ちかな?という所まで見えてきて、感慨深いというか、じゃあこれから私は何をしよう、と思ったひとつがこのnoteで何か書いてみる、でした。
自己紹介と言いつつバランスの悪い仕上がりで申し訳ない。

何かしら発信するなかで、こんな風に生きてきた、くぐりぬけてきた人間もいるんだ、というひとつの参考やこうはならない、なりたくない、という反面教師にでもしてもらえれば、と。…思います。


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