靖国神社参拝問題~日本の教会に進言~
すでに世間は衆議院総選挙モードに突入ですが、
先日の自民党総裁選は盛り上がりましたね。
私は自民党員ではないので投票権はないのですが、
ニュースを見ながら高市氏を応援していました。
でも、彼女の靖国神社参拝の発言については、
キリスト教徒としては正直複雑な気持ちでした。
2013年に安倍首相が靖国神社を参拝したとき、
左翼メディアはこぞってこの件を批判しました。
私も当時はクリスチャンとして
はっきりと意思表示する必要があると考えて
SNSで安倍首相を非難する投稿をしました。
でも今になってよく考えてみると、
あの時の私の行動ははたして正しかったのだろうか、
と思うことがあります。
「靖国神社参拝反対!」と同じ言葉を発していても、
クリスチャンと左翼メディアでは、
その発言の根っこがまったく正反対だからです。
私は政治家でもジャーナリストでも評論家でもなく、
キリスト教の伝道者で宗教家です。
私の願いは私たちの信仰の自由と言論の自由が
守られることです。
私は今、私たちの信仰・言論の自由に対する一番の脅威は
世の中にただよう人間中心的で左翼的な雰囲気だと
思っています。
以前にも書きましたように左翼=共産主義者の本質は
人々に伝統的な信仰や文化を捨てさせて
人間中心的で自分本位な社会をつくろうとすることなのです。
( https://note.com/mimeguminoah/n/nac18ad57552b )
彼らは自分たちの目的を達成するために、遠回しで
宗教という宗教をすべて否定しようとしています。
ですのでこの考え方に乗ってしまうと、ゆくゆくは
私たちの信仰の自由も脅かされることになりかねません。
もちろん、私はすべての人が本当の神を礼拝することを
願っています。
なので人々が偶像を拝むことを私は受け入れません。
でもその一方で、私たちの信仰の自由も守られるように
偶像を拝む人たちの信仰の自由も守られるべきなのです。
(偶像を拝む人たちが世の終わりに白い御座で裁かれる
という真実は変わることはありませんが。)
どうやら左翼メディアは中国や韓国の意向を反映して
首相の靖国神社参拝に反対しているようですが、
そもそも外国の政府が日本のリーダーの信仰姿勢について
批判するなんてあってはならない話なのです。
まあ、それこそが共産主義者の真骨頂なのかも知れませんが。
私たちにできるのはこの国のリーダーが
偶像崇拝に染まっていることに心を痛めながら、
彼らが本当の神に立ち返るように、またこの問題について
神の御心がなされるように祈ることだと思っています。
この問題について多くの教会が左翼メディアと声を合わせて
非難の声をあげているのをよく目にします。
声をあげることは悪いことだとは決して思いません。
ただ、左翼メディアとキリスト教会の立場は全く異なることを
しっかりとおさえていないと、これからもますます
日本の教会が彼らの影響を受け左傾化していくことになります。
新約聖書の「ヨハネの黙示録」17章には
「大水の上に座している大淫婦」が登場します。
この大淫婦とは「背信の教会」の姿です。
背信の教会とは、今のこの世で時を過ごすうちに
サタンの誘惑に会い、人間中心的な教えを受け入れ、
正しい教えから離れて、もはやキリストを信じる者が
一人もいなくなってしまった教会です。
彼らは、世の終わりに教会を天に上げるはずの携挙からもれて
大患難時代を不信者とともに地上で過ごすことになります。
(「携挙」や「大患難時代」については過去の記事に
ありますのでご参照ください。
https://note.com/mimeguminoah/n/n2bb3b2c06824 )
背信の教会は大患難時代に偽の教えを奉じて世の権力や富と
手を結び、ついには反キリストまでも支配下におきます。
しかしやがて、
配下にいたはずの反キリストに裏切られて滅ぼされます。
もちろんこの後彼らが救われることはありません。
黙示録17章にはこれらのことが生々しく描かれています。
私は日本の教会が終末のときにそのような道を
たどることのないように願ってやみません。
どうか日本の教会の上に神の守りがありますように。
どうかすべての人が愚かしい偶像崇拝から立ち返り
本当の神を礼拝する、そんな世の中になりますように。
どうかみなさんに限りない神の祝福がありますように。