聖書読みましょ♪ 第100回 毒麦は、あわてて抜いてはいけないって。なんでかな?
メシア・イエス・キリストの生涯70回 「種のたとえ、毒麦のたとえ」後半
マルコの福音書第4章26節~29節 マタイの福音書第13章24節~30節
マタイの福音書第13章36節~43節
こんにちは!まいむまむと申します。
イエス・キリストを知るために聖書を読んでいます。
イエス様のことを書いた聖書、すなわち福音書は、
マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書と、4つもあります。( ゚Д゚)
それぞれ、読めばいいのだけれど、同じイエス様の一生を4回読むのもな・・・と思ってしまいます。(中身はそれぞれ違いはありますが)
おまけに、イエス様のことばって、それ自体は難しくないのだけれど、
結局何が言いたいの?みたいな謎に満ちた発言も結構多いのです。
そんなこんなで、福音書をきちんと読んだことがありませんでした。
そんなとき、わたくしは、「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」というyoutubeチャンネルの
中川健一先生の講義「メシアの生涯」に出会いました。
この配信は、ユダヤ人として生まれたイエス・キリストを
真に理解するために、ユダヤ的視点で、福音書を読んでいくものです。
このnoteは、その講義をもとに、4福音書を絨毯爆撃で、
端から読んでいこうというチャレンジです。
興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってください!
引用している聖書は「新改訳2017」版です。
また、参考文献は「新実用聖書注解」になります。
聖書と一緒にステキな音楽もご紹介させてください。
本日の音楽は
【ジョンレノン / イマジン】ピアノソロアレンジで弾いてみた (ウクライナ支援)
ほんとに美しいイマジンです。
ピアニストの中村天平さんは、これからなんとウクライナでコンサートツアーをされます。
すごくないですか!!!
天平さんのツイッターより
お菓子を配りにっていいですよね。🍩🍰🍭
子どもたちには、なによりの慰めになります。
神様が、天平さんのツアーを守ってくださるよう
お祈りします。
🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊
さて、イエス様の教え方が変わり、ふしぎなたとえ話が次々と語られます。
これをときあかすのは、なかなかに大変です。
ぜひ、ご一緒にどうぞ。
Ⅱ毒麦のたとえ マタイの福音書第13章24節~30節
イエス様は、奥義としての王国、
これからこの世界が突入する王国について、
こんな世界だよと表現してくださっています。
・「ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。」
この人は、収穫を期待して種を蒔きました。
ところが敵がやって来て、夜中にこっそり、
良い麦の中に毒麦を蒔いていってしまします。
さて、毒麦とはどんなものでしょう。
確かに一緒に生えていたら、区別をつけるのは難しそうですね。
毒麦は、これ自体には毒はないそうですが、
麦に混入すると苦い味がするそうです。
せっかくの小麦が食べられなくなってしまいますね。
売り物にはなりません。
毒麦と麦は一緒に育っています。
しもべたちは、自分たちで早めに抜いてしまおうと提案します。
もっともな提案です。
ところが、ご主人は違う判断をいたします。
・マタイの福音書13章29節~30節
29 しかし、主人は言った。『いや、毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。
30 だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。』」
確かに収穫の時期になれば、区別は容易になります。
そして、ちょっと気になるのが、
まず、毒麦が先に集められ、束にして焼かれるということです。
そして、毒麦がなくなった畑で、収穫が行われて、倉に納められるのです。
順番が微妙ですよね。
これはなんでしょう。
Ⅲ毒麦のたとえの解説 マタイの福音書第13章36節~43節
さて、イエス様はほかにもいくつかたとえ話をして、解散されました。
多分人々は???と言う感じで、
不完全燃焼で立ち去ったのではと想像できます。
案の定、一番近くの弟子たちもさっぱりわからなかったようです。
ほかにもいろいろ謎めいたたとえが登場しますが、詳細な説明が書かれているのは、種蒔く人のたとえとこの毒麦のたとえの2つだけのようです。
良い種を蒔く人は、メシアご自身です。
メシアが地上からいなくなると、弟子たちやそれ以降の信者たちが種蒔きを行います。
畑はこの世界です。
世界に出て行ってみことばの種を蒔くということです。
さて良い麦とは、イエス様をメシアとして信じた信者たち、
毒麦とは、偽の信者たちという意味です。
真の信者とそうでない信者も
ともに育っていくという意味なのです。
ここで、注意すべきは、
毒麦とはイエス様を信じていない人々すなわち未信者の人々ではないというところです。
未信者の人は、見わけがすぐにつくからです。
この真理は、旧約聖書にはないものです。
旧約聖書の預言にある神の国は、
毒麦は存在しない、信者だけの世界であったからです。
ユダヤの人々がイエス様を拒否して以降、
現代まで続く「奥義としての王国」においては、
良い麦と毒麦が一緒に育つという世界なのです。
毒麦を蒔いたのは、悪魔(サタン)です。
悪魔は、こっそりと種を蒔き、偽の信者を育てていきます。
収穫とは、この世の終わりを意味しています。
御使いたちが、毒麦を集めて、火で焼くということは、
終末の裁きを意味しています。
再度確認ですが、毒麦とは、罪人一般を指すのではなく、
信者のようで信者ではない人のことです。
この解釈は、正直びっくりです。
「奥義としての王国」は、イエス様が拒否されてから、
再度この世界においでになる(再臨)までの期間です。
現代もその真っ最中です。
この時代は、本物の信者と偽物の信者、
本物の教会と偽物の教会がともに存在し、
その区別をつけるのは、非常に難しい時代なのだよとイエス様は仰います、
ですから、自分たちで、あれは偽物だと裁いて、
追い出すとか抹殺するとかしてはならないと、
命じておられるのです。
人にはなかなか判断がつきづらいからです。
良い麦を毒麦と思い込んで抜いてしまう可能性が高いからです。
良い麦ばかりの世界は、今は作ろうとしてはならないということです。
人が人を裁いてはならないというのは、
こういう理由があるからなのですね。
中川先生は、現状を見て、イライラしないこと!
本物と偽物が混じるのは普通のことだからと励ましてくださいました。
どうぞ、皆様、良い種である聖書のことば、
イエス様のことばを読んで、そこからそれませんように。
お祈りします。
愛する天のお父様
毒麦のたとえを理解することができ、感謝します。
どうぞ、人を見て裁くことのないように
イエス様だけを見つめていることができるように
わたしたちの心を整えてください。
主に信頼します。
主イエス様のお名前でお祈りいたしいます。
アーメン
イエス様のたとえ話をもっと読んでまいりましょう!
「メシア・イエス・キリストの生涯」第71回
「からし種のたとえ、パン種のたとえ」
マルコの福音書第4章30節~32節
マタイの福音書第13章33節~35節
シャローム!!!
なんだか「聖書読みましょ♪」も100回目になりました。
長いっすね。
でも、こんなにきちんきちんと福音書を読んでこられて
本当に感謝です。
ハレルヤ!!!