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この町の雨は海の匂いがする

雨が降っている。
激しい雨。
石つぶてをばらまいたかのような雨音。
風が鳴っている。
唇に力をこめて思い切り吹いた口笛みたいに。
ふしゅうひゅうう。

出掛けようとしたら、雨脚が強くなったのだった。
どうしよう、と、ひるむ。
でも、行かなくちゃ。
覚悟を決めて、
でも、なんとかなるだろうとほんの少し侮って、
傘を広げて、外に出た。

ばらばらと木の実が落ちてきたかと思う。
傘を打つ雨音。
めげずに歩く、が、辺りが妙にしんとしている。
車もヒトも、無声映画の映像のよう。
すべての音が雨音に負けている。
雨がこんなにうるさいものだとは知らなかった。
傘が、こんな音をたてるとは。

黒いスニーカーが、ぐしゅぐしゅと泣く。
ちょうどいいや、洗おうと思ってたし。
でも、そんな強がりは、すぐにくじける。
シャンプーしたての髪がメデューサのように、
蛇と化して風のなかで立ち上がる。
湿気を含んで、うなだれる。
ああ、もう。

雨は、横から下から降ってくる。
傘を持つ手も、顔もびしょ濡れ。
やけのように足を早める。
雨はもはや「粒」ではなく「液体」だ。
水となって押しよせてくる。

水は好きだ。
夏のあいだ中、あんなにも泳ぎたかったのだから、
濡れることは嫌じゃない。
でも、服を着ていることが嫌だった。

着ているのが水着であれば、どうということもない。
せめて短パンにタンクトップにビーサンという
いつもの恰好なら、まだ許せるものを。
外出用の半袖シャツが恨めしい。
丈の長いフレアパンツがまどろっこしい。

駅近くのビルの軒下に入ったときには、
すでに全身濡れていた。
水浸し。
まだ何もしていないのに。
用も済んでいないのに。

帰ろう、と思った。
帰るしかない、と。


ため息を吐いて、来た道を戻る。
これ以上濡れようがないのだから、
もう服を気にすることもない。
家に帰るだけなのだから、
髪がどうなろうと構うことはない。

そう思ったら、ふいに海の匂いがした。
強い潮の匂い。

そうだ、この町の雨は海の匂いがするのだった。
こんな台風の日には、より強く。
行きの道では、
そんなことにも気づかぬほど、
力を入れて歩いていた。
息をとめて歩いていた。

家に帰る、ということは、
肩の力がぬける、ということ。
からだ中が安心して、
自然に呼吸ができる、ということ。


アスファルトのでこぼこにできた水たまりを、
スニーカーで蹴散らしながら、
じゃばじゃば帰った。
強い風に背中を押されながら、
安心な我が家に向かって、ひょうひょうと帰った。
 
 
 
 
 
 


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