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東金市・見廻り隊(正気村)

 御門(みかど)前の田舎道を進むと、直に隣の旧正気(まさき)村に入ります。旧正気村は今、東金市正気地区になっています。
 千葉の昔、平一族の平良茂(平真樹・まき・まさき?)の娘が平将門の妻となり、将門の子(良茂の孫娘)は平忠常の母となった。
 939年の将門と1029年の忠常の乱の後、結束を誓い千葉(小川)一族のシンボルは槇の樹となり槇、真木、牧、正木の姓が生まれました。
 そして約600年後、正木頼忠の娘が家康公の側室となり紀州藩主・頼宣と水戸藩主・頼房の母(養珠院)となります。家康公の母堂・於大の方は、水野(小川)、同じ一族の養珠院は、日蓮宗の熱心な信徒でした。養珠院は、宗教に関して浄土宗の家康公に対しても譲歩はせず引き下がることもありません、二人の対立した話は多く残っています。
 この正木姓は、松平から徳川へ姓が変わる際、避諱(ひき)の慣習から地元・三河では「小川」が「小河」に変わったように「正木村」も「正気村」に変わりました。

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