余計なことをしてないと、機能的に過ごしてしまう。
クルミドコーヒーのお手紙コーヒーの取り組みを新聞の記事で知った。
客が別の客のためにコーヒーをごちそうする仕組み。
コーヒー代金込みのメッセージカードを購入して、メッセージを店内にのこす。
次の客がメッセージカードを選んでコーヒーを注文して、その店での時間を楽しむ。
そんな場所が仙台にもほしい。
この間、友人が、
意識してないと無意識に機能的、効率的な行動をしてしまう
と話していた。なんとなくわかる気がした。
そして、色んなメディアで言われてるように今は、ひと手間かけたり、わざわざ訪れることへの関心の方が高い。
大衆を相手にするなら、それはそぐわないと判断されることもある。
でも、そうじゃないところに街の大切なことが詰まっている気がするんだ。
私がたくさん本を読むのも、部屋が狭くなったり、お金がかかる趣味だと言われるかもしれないし、いつそれが役に立つがどうかと言われれば非効率な行為かもしれない。
それでもわざわざ読むのは、その時の一瞬、一瞬で、言葉の感じ方や受け止め方が全然違っていて、それを体験したいからだと思う。
そして、その体験から生まれてくる新しい言葉に出会ったときの感動がなんとも言えない。
そう、余計なことは決して高価なものや生活にゆとりがある人のためのものじゃない。