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五つ子ゲームの終わりーー 映画『五等分の花嫁*』

画像:https://www.tbs.co.jp/anime/5hanayome/

何度目かの劇場版『五等分の花嫁』が公開された。見どころはついに「五つ子ゲーム(他の姉妹への変装)」が「終わる」ことだろう。さながら『五等分の花嫁/エンドゲーム』である。

そして「五つ子ゲーム」の終焉は、五つ子たちのようやくの「自立」を意味するだろう。

これまで何度も登場した「変装」だが、例によって今回の劇場版でも描かれていた。しかし最終場面、とある問題解決のためにまたもや「変装」を計画した五つ子たちだったが、ついに自らの意思で「変装」を拒否する。代役ではなく自分自身として問題に向き合うことを5人は決意したのだ。

そもそも作中での「変装」の目的は、「一人で解決できない」問題を解決するためとして描かれていた(原作最終場面での「父親」との決別など)。「5人で一人前」「5人で100点」なのが中野家の姉妹だ。

「五つ子ゲーム」は結婚式の場面においてもなお開催されたが、要するにこれはその気になれば姉妹たちはそれぞれ「入れ替え可能な存在」だったことを示している。

原作者の春場ねぎは『戦隊大失格』を描いているように、既存ジャンルへの批判的視点を作家性として抱いているが、各ヒロインを「入れ替え可能」として描いた『五等分の花嫁』は、既存の「ハーレムラブコメ」への皮肉であるかのようである。(「推し」をコロコロ変更できる視聴者、誰も選ばない(=誰でもいい)ことでハーレム状態を成り立たせる男主人公……)

そして「入れ替え可能」であることはそのキャラが「未成熟」であることを意味する。「5人で一人前」「他の誰かでも代わりがきく」からだ。

しかし今作において、ついに五つ子たちは「入れ替え不可能」な存在として成熟した。「変装」を拒否し、自身の名の下で問題に直面することを選んだ。

「メインヒロインと入れ替わることはできない」ことを全員が受け入れ、そして四葉も「花嫁」として上杉家の家族に迎えられたのである。

「ハーレム」批判の象徴であると同時に五つ子たちの未成熟を表してもいた「五つ子ゲーム」は終焉し、『五等分の花嫁』は完結したのだ。

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