静寂の予感

2060年、五月のさわやかな一日

私の好きな新緑の美しい季節が今年もやってきた。5月のさわやかな風を感じながら、私はテラスでぼんやり庭を眺めている。サクランボはまだ青く硬くて鳥たちの訪れには早い。桜の花のような薄紅色のつるバラが咲き始めている。部屋に飾ったら、香りも楽しめそうだと思っていると、ユミの鼻歌が聞こえてきた。鼻歌を歌いながら、私のために遅い朝食を用意している。この香りは、きっとトーストにコーヒーに違いない。私は、いつものソファに移動して読みかけの小説を開いた。

娘のユミは中肉中背で、やや薄い唇をしている。黒目がちな瞳と日本人にしてはやや高めの鼻は私に似たのだろう。おおらかな性格のわりに細かいことに気が付くのは私の母に似ている。絶えず何かすることを見つけてよく働くのも私の母ゆずりだった。ユミは私が高齢になってできた子だった。

砂糖をつけて両面をこんがり焼いたフレンチトーストに、ミルクたっぷりのコーヒーと、胡桃と蜂蜜を添えたヨーグルト。それから、桃・オレンジ・バナナのミックスジュース。

私は母が朝食を作っていた時のことを思い出していた。ずいぶんと遠い昔のことだ。掃除、洗濯、様々な雑用を済ませて朝食作りに取り掛かるのだから、今のように家族の誰か一人のために、特別に違うメニューを用意する、そんな時間を取る余裕はとてもなかった。

こまごまとした雑用をこなすため、くるくるとあわただしく動き回る母の姿には、ちょっと声を掛けるのですら躊躇われたものだった。

今では様々なロボットたちが、煩わしかった家事をこなしている。

洗濯も食器洗いも全て自動になった。そして今、ユミは掃除もすべてロボットに任せている。

「ロボット、」

と私は思わず呟いていた。そして、はるか昔、若い頃を思い起こす。

かつて人は愛玩用として犬のロボットを作った。精巧に出来たそれは、十分に愛くるしく、世話も必要ない。病気になることもなく、死ぬこともなかった。

「けれど、やはり、ペットは生きている小動物でなければ。」

同様に、家事をするための人型のロボットも好まれなかった。「何か、得体のしれない、自分達と同じ者が存在している。」多くの人々がそんな気がして、どうしても家庭内に受け入れられなかった。床の掃除は大きなホットケーキのようなロボットが開発された。今、照明器具や棚の掃除は、大きな毛糸玉のようなロボットがコミカルな動きでこなす。カーテン、壁、窓ガラスの掃除にも、甲虫を大きくしたようなロボットが使われている。

生物と程遠い形状のロボットを好みながら、生物とは程遠い形状のロボットに愛称をつけたりするのだから、人というのは本当に不思議な生き物だ。

ユミに朝食の準備をしてもらい、ゆったりと朝のひとときを過ごせるのも、お掃除ロボットのおかげ。だから、ついつい愛称を付けたくなるのだ。

こうして、生活にゆとりが出来た。そのせいかもうじき70歳になろうとする私も半世紀ほど前と違って、若々しく40代といっても良いように見える。医療的技術にたよれば、外見は20代のままでいることも出来る時代になっていた。といっても、死は誰にでも平等に訪れた。いつの世も身内や知人の死は本当につらいものである。

祖父母、父母が亡くなって、私は寂しい毎日を過ごしてきた。けれど七年前、孫娘ひろみの誕生で私の生活にはりが出てきた。

子供の成長に伴って行われる数々の行事。これだけは何百年も続いたことを律儀に続けている。お正月、ひな祭り、お月見、大晦日それにバレンタインデー、ハロウィンとクリスマス。他にも、宮参りに始まって七五三と無事に過ごしたことを感謝しての行事が続いている。

ひろみの成長によって、自分の生活が確実に充実していくのに、我ながら驚かされてる。

孫娘の誕生が、再びゆったりと過ぎていく満ち足りた日々をもたらしてくれた。きらきらと透き通るような新緑の季節、五月のさわやかな風が、成長したばかりの若葉をさわさわ揺らしながら過ぎていった。 

季節は変わって、秋

狭い庭に植えられた木々の葉も、昨夜の雨と風ですっかり落ちてしまった。わずかに数枚、真っ赤なもみじの葉がさびしげに揺れている。

日ごとにため息が多くなり、ふさぎがちになる私に対して、ユミは変わらず、

「おかあさん、お昼は何がいいかしら。」

と明るく声をかけてくれる。

お昼は炊き込みご飯、生姜を利かせた瓜の浅漬け、ごぼうと人参しいたけ、厚揚げの煮物、とろりとした里芋とフカネギの味噌汁。何も言わなくても私の好きな秋のメニューが用意されている。

「食べなければ。」そう思いながら、やっとのことで半分程食べる。そこまで食べて、後は口に運ぶのも面倒になってしまった。

私はきっと全てのことに興味を失っているように見えるだろう。

今日はわずかに生き残っている高校時代の同級生、友人である久子を招くことになっていた。

「おやつは何が用意できるの?」

「昨日フルーツケーキを焼いておいたから、フルーツケーキとミルクティーでいいかしら。」

といつものようにユミから弾んだ声が返ってくる。

今日招いた久子にも、ひろみと同じ年の孫娘がいる。

思えば、私と久子は長い歳月を二人で励ましあいながら過ごしてきた。

出生率が落ち、巷に子供達の声が響かなくなってたのはいつごろからだろうか。特に日本では、新しい生命の誕生が不自然なほどに減っていた。

極端に誕生する子供が減る現象は日本から始まった。やがて世界に先駆けて少子高齢化が進んでいた。その上、日本は度重なる地震や水害経済危機の対策に目をつぶり続けてきた。そして、パンデミック、第3次世界大戦で多くの人々が亡くなっていった。

晩婚化と結婚制度の崩壊、放射能による汚染、食物の供給形態の変化による食品添加物の増加。遺伝子組み換えした食料、医薬品の使用。一体どれが原因で子供が生まれなくなったのかわからない。いや、どうやらこれらの全てが複雑に影響して、子供たちは誕生しなくなったらしい。

いつの間にか、卵母細胞の欠如した女子が誕生し始めた。初めは都市部から、しだいに田舎でも同じことが起こり始める。

そして今、日本だけでなく、世界中にこの現象は広がっていった。

初めの頃は、原因の究明や遺伝子の操作など、優れた科学技術のどれかで問題は簡単に解決すると誰もが考えていた。

久子も私も楽観主義だったから、人類が絶滅することなど考えられなかった。両親を失い家庭に一人取り残された私達は「アンドロイドを家族にする」と二人で決めた。

やがて科学技術が進歩して卵母細胞を使わなくても体細胞からクローンを作ることができるようになった。そして15年程前から、クローンを作る人々も増えていたが、成功率は低かった。誕生しても無事成人を迎えるクローンは少ない。久子も私も成長の途中で多くの命が失われることに耐えられず自分たちのクローンを誕生させることが出来なかった。

二人が終にクローンの作製に同意したのは、七年前だった。二人の共通の友人である文子が亡くなってからだ。

文子の息子夫婦は、彼女の死と同時に廃棄された。そして、三人でよくおしゃべりをした文子の家も壊された。白い壁にこげ茶の柱、山荘風の文子の家は、ガーデニングが趣味だった彼女の手によって四季折々の草花に彩られていた。ちょうど今の季節、文子の庭には秋になるとみごとな金木犀の花が咲き乱れていた。その甘い香りに包まれて、玄関までのアプローチを歩く時には、何度も大きく深呼吸したくなるほどだった。そして、モスグリーンのソファにゆったり腰掛けて、シナモンの効いたお手製のパンプキンパイにバニラアイスを添えてもてなしてくれた文子。今はそんな思い出の家は跡形も無く、緑の芝生の平地が広がるだけになってしまった。

アンドロイドであった文子の息子夫婦と同様に、私達の娘達も、私達がいなくなったら、やはり廃棄されてしまう。

私達はあれこれ話しながら、AIの助けを借りながら性格、容姿を選んで娘たちを発注した。彼女たちが届いてから、生活に潤いができ子供としてアンドロイドを選んだことに後悔することはなかった。実際本当に子供を持ったようだと久子と話したことが何度もあった。

アンドロイドであっても、私と久子は「娘が廃棄処分になるのは、かわいそうだ。たとえクローンでも、人がいれば廃棄処分にならずに済むだろう。」と考えた。久子の孫も、ひろみと同様にクローンだった。

自分達の幼い頃をなぞるように、そっくりの成長を遂げていく彼女達。

久子と私は何度も、自分達の選択が誤っていたのではないかと話し合ってきた。

そして今日、クローンに関する新しい法案が政府から発表される。

二人は以前から、必ず一緒に聞こうと決めていた。

政府は私達のような寂しい思いをする国民の心情を組んで、私達が思いもつかないような、すばらしい法案を発表するに違いない。そう信じていた。

けれど、その内容は絶望的なものだった。

政府の発表は、クローンを人間として認めないと決定しただけであった。

オリジナルが生きている間だけは、クローンもオリジナルと同様に人権を認める。しかし、オリジナルの死とともにクローンはクローンセンターに送られ、各々の能力に応じて労働に従事するか、科学の発展のために利用されることが決定された。

「愛情を持って接してきたアンドロイドの廃棄処分を避けるため、クローンの作製に同意したのに。」

「クローンにまで酷い運命を背わせることになったということね。」

「私達も、結局は文子たちのようになるのね。」

久子と私は呆然と手を取り合って嘆いた。

アール・グレイのミルクティーはすっかりさめていた。

白い冬

久子は窓際のお気に入りのペールピンクのいすに座ったまま、眠るように息を引き取っていた。それを知ったのは、あの秋の日から三年が経とうという頃だった。彼女は息を引き取る前に自分の生涯を思い返していたに違いない。娘や孫娘のことを思い、胸を痛めたことだろう。そして、孤独から開放される安堵と、とうとう一人きりになる私の孤独を思ってちょっと涙したのに違いない。本当の意味での新しい命の誕生はあるのだろうか。そして、私達が生まれてきた意味はあるのだろうか。政府は遺伝子のプログラムを換える技術を人に用いることで、新たな生命を生み出すことを決定したはずだったのに。体細胞からクローンを作る技術が安定してクローンの作製に希望を託すことができるといっても、保管している体細胞にも限りがある。クローンの作製はいつまで続けられるのだろうか。アルバムに写る子供達の笑顔は、ぞっとするほど自分達と変わらなかった。クローン達による、同じような世界がだらだら続く。変化に乏しく、進歩の無い世界が続くことになるのだろうか。久子は、薄れ行く意識の中で、クローン達の未来が明るいものであるように祈っていたと思う。クローン人間の作製で、しいばらくは子供たちの声が町にあふれるであろう。けれどそれは、人類誕生から何万年も続いた物と、同じものとなるのだろうか。私達の選択は正しかったのだろうか。「おばあちゃん、あのね。」そう言って屈託の無い笑顔で近づいてきたひろみを、ぎゅっと抱きしめ、「ごめんね。ごめんね。」と繰り返す。その様子にユミは驚いて駆け寄ってくる。私にとって、ユミの行動はもはやプログラムされたものではない。「かわいい娘と孫。私の決断によって生まれた二人は、確かに私の娘と孫だ。」「この二人のために一秒でも、長く生きなければ。」「本当の生命が誕生するその日まで、生き続けなければ。」窓の外には、今年初めての雪がちらちらと降り始めていた。やがて雪が降り積り、あたりは静けさに包まれていくだろう。このまま、時が過ぎてクローンも誕生しなくなった時、本当の静けさが訪れるのだろうか。


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