出産予定日当日に産むワレ


痛みの感覚が10分きったので病院に電話したが、「もうちょっといきみたい感じになるまで待って」と言われ倒れ込みながら電話を切った。

既に陣痛カウンターを自分で押すのもしんどくて。夫に「来た、去った」と伝えて計測してもらっていた。

その後わりとすぐに痛みと共に勝手に腹圧がかかるようになる。いきみたいとはこれかとわかった。
深い呼吸を心がけるが、途中で息がぐっと止まる。同時に唸り声が出る。もう言語ではどうしようもない。自分の状態に痛いと銘打ってもなんにもならない。本陣痛の痛みは鼻からスイカとか象に腰を踏まれるとかいろんな比喩で説明されるが、これが適当と思えるものはなかった。
実感としては「これは何かの間違いではないか」だった。
いきんだときに液体が出たような気がした。確認してみると夜用ナプキンが真っ赤だった。出そう/出ようとしている運動の輪郭がはっきりと方向性を帯びた。それまでも痛かったが、もう少し宛先のない波のような痛みだった。

唸りながら病院に再度電話し、唸りながら夫が呼んでくれたタクシーに乗る。夫はすばやく座席にビニールとタオルをセットしてくれた。私はもはや自分の入院用キャリーバッグを運ぶ余裕もなく、この時点で3分間隔。ひとりで移動は困難だったと思う。

病院はタクシーに乗れば10分以内。車内で唸り、降りて産院の入口で唸りながらうずくまり、唸りながら先生の到着を待って、看護師さんに息を吐いてーと言われながら耐える。
院長先生到着。白い髪と白髭。マスクはたいがいずり落ちているが、顔が見える方が安心する。

「これ以上痛くなることはない。子宮口もほぼ全開。お産の進みが早い、ここまでよく頑張った」というのを聞き、だったらなんとか保つと思った。陣痛室を通過し、分娩室へ車椅子で運ばれる。

分娩台に寝かされ、止血剤だったかの点滴の針が刺される。
それがある程度落ちるの待ちと、先生たちの準備待ち、夫の抗体検査結果待ち。いろんなものに待たされて限界の私の唸り声。

諸々準備が整い、夫が枕元にやってきた。いよいよ産んでいいムードに。会陰は鋭い刃で切られた感じがしたが、外傷的な痛みはむしろ既視感があって、この後に及んではそれは知ってるから特に大丈夫ですという程度にしか思えない。

痛みに合わせて唸って力を入れてしまう。出来るだけ声にしないで力を抜く!赤ちゃんに酸素を送る!と言われるが難しい。声を出さないと耐えられない。それをしばらく繰り返しているうちに、もう頭が見えてる、頭出たよと言われたが、そんな塊が出た自覚はあまりなかった。

唸り声の隙間にあとは短く吐くだけでいい、勝手に出てくるよと言われた。
するとそれまでの下腹部から強烈に押し出そうとする力が引いていき、ふと凪のような感覚が訪れた。ありえない軋みのノイズに占領されていた体が嘘のように静かになり、お湯のような液体のしたたる音と共に頭以降の身体がにょろんと出たのはわかった。なぜかああ、海から来たんだねと思った。その瞬間はなんとも言えずやさしかった。すべては理に適っていたのですよと一気に諭されるようだった。

先生が持ち上げて顔を見せてくれる。
赤紫の小さな顔がのぞいた。思ったより髪がふさふさしている。いろんな液体にまみれてぷぇっぷえっと声を出している。
涙が出る類いの感動というより、感情としては笑いが止まらなかった。無事だった。生きてる、やっと出てきたという安堵で。
胎児はまるで黄泉の国から這い出して来たようで、出産という終わりと始まりの瞬間は壮絶な状況でありつつ朗らかだった。

ざっと拭って先生にペシペシとお尻を叩かれていわゆる産声らしい産声が上がった。2時55分誕生。
先週まで産まれる兆しがまだないな、予定日過ぎるだろうと言われたが結局きっちり予定日に産まれたのだった。

臍の緒をつけたままお腹に乗せてもらう。出てきてすぐの人にとってはわけがわからないだろう。でも胸のあたりに乗せてもらうと鳴きやんだ。泣くというより鳴くだった。

しばらくそのままで、その間会陰は縫合されていた。麻酔されていて痛みはない。切るとか縫うとか、そこだけ聞くと恐怖に思うがお産一連の流れのなかでは大したことではなかった。

出産後は2時間分娩室で安静だった。あまり寝心地のよくない寝台の上で嵐のように過ぎ去ったハイライトを思い返した。
夫は隣室で「父のカンガルーケア」を体験していた。
今コロナの関係で立ち会いを禁止にしているところも多いし、仕方ないとは思うが、お産がどんなものかパートナーは一緒に体験できた方が絶対にいいと思う。

病室に行く前にトイレで尿がでるかチェックする。縫いたての傷口に染みるのではと恐る恐る出してみたが、染みなかった。

夫が病室で待っていてくれた。個室で壁紙は花柄だった。とりあえず無事に終わったと安堵を共有した。もうすぐ朝が来る。夫は今日は仕事を休むと言って帰っていった。
私は寝た方がいいと思いながらもしばらく寝付けずにいた。

うとうとして少し寝ると朝食が運ばれてきた。たまごトーストサンドとバナナ、ヨーグルト、オレンジジュース。
まずオレンジジュースを飲んだ。そしてバナナを食べ、たまごサンドをひとつ食べたが、胃がいっぱいな感じがしてもうひとつは残した。
37度ほどの微熱があった。耳から首にかけてのリンパがパンパンに張って痛い。いきんだせいなのか。

1日目は赤ちゃんは基本預かってもらって休んでよかった。1度授乳室に降りて授乳の仕方を教わる。はじめてちゃんと抱く我が子。触るのがこわいほどやわい。まだそれほど乳も出ていないが、初の授乳をなんとかやり終えた。
部屋に帰る。なんとなくさびしいが、今しっかり寝ておかないとこの先大変なのだろうと思った。忘れないうちにこの2日感覚のことを留めておこうと寝ながらiPhoneでこれを書いた。

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