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「逃した魚」は大きくない

急に仕事がなくなったり、予定が延びたりして突然ヒマな時間ができることがある。すると、断った仕事の記憶が頭をもたげてくる。

ほーら、だから言ったじゃん。独立したばかりなんだから、今後につながるかもしれないし、無理して受ければよかったのに。

確かに金額がとんでもなく安かったけど、経験を積めると割り切ってやればよかったのに。

芸能人の本だからリスケ連発で大変だったかもしれないけど、ダメもとでやってみればよかったのに。

のに、のに、のに──。
考え出したらきりがない。

そんなときは、たくさんの「のに」は、ええい! と振りはらって「逃した魚は大きくない」と思うようにしよう。もっと大きな魚といっしょに泳ぐために、あえてリリースしたのだ、と。

先日、3月に迷いつつもライティングをお断りした本が書店に並んでいるのを見かけて、そんなことを考えた。

受けておけばよかったかな、とほんの少しも思わなかったと言ったら嘘になる。しかし、もしこの仕事を引き受けていたら、来月かたちになる二つの仕事はできなかった。判断は間違っていなかったと確信している。

フリーランスは、こうした決断の繰り返しだ。
その積み重ねが、ライターのキャリアとカラーをつくっていく。