半分
仲の良い友達から結婚するという報告があった。
中学生の頃からの友達で、18年来の付き合いになる。
その子は面白くてキラキラしていて憧れの存在で、
昨年の6月頃に行われた同じグループの子の結婚式で会った時に「一緒にいられれば結婚なんてしなくて良いよね」という話をしてケタケタ笑っていた。
その子と私の18年を語るには、きっとその子の許可が必要だし、簡潔に説明は出来ないがその子は私にとってただの友達とは少し違くて、観察対象であり、もう1人の自分であり、時間そのものだと思っている。
時間という言葉がふさわしいのかわからないけれど。
だからかわからないけれど、嬉しい気持ちと、何も感じない心が交互にすごいスピードで入れ替わっているような感じがしていて、何も感じない(ようにしている?)心が前に出過ぎないように、大きな声で嬉しい!と言い続けていないといけない様な気がした。
わたしは大学で写真学科に属していた。
その頃からその友達のことを撮っていて、在学中の中間報告も、卒業制作も全部その子の写真だった。
私は友人に自分を重ねていたような気がした。
ただ全く違うのはその子は恋人が途切れない人だった。
かたや私は人を好きになることができない人間だった。
目の前に天使が現れるからさ、と言ったチャラ男発言を聞いた時はびっくりした。
死ぬ時にしか天使は見られなさそうな自分とは大違いだと思った。
結婚というものがどういうことなのか未だにわからないけれど、それをしたからといって写真を撮らせてもらえなくなるわけでもなく、会えなくなるわけでもない。
だったら自分達は今まで通り別々に歩いて、たまに会って忘れないように記録をしていく。
それだけでいいのではないか。
何かを成し遂げたり、何かを作り上げることはできなくても、何か(この場合は記録)を残すことは自分にでも出来る気がする。
それは、人生において最も尊い行為ではないかと最近思う。
書いていたら考えがまとまった。
挙式の日にはきっと、笑っておめでとうと言えそうな気がする。
心の底から君の幸せを願っています。
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