ある少女の記憶 ⑵
大正13年7月18日、
少女は4人兄弟の長女として、
横浜で産まれた。
3人の弟のお姉ちゃん。
彼女の父親は、
それはそれは彼女を大事にし、
娘の行動、食べるものなどにも細かく気を使った。
お友達と同じように駄菓子が買いたいが、
父親に怒られる。
駄菓子はサッカリンが入っているし身体に悪いから食べてはダメだという父親の教え。
結局もらった十円玉を握りしめ、
駄菓子を買う事なく下を向いてさみしく家にもどる。
十円玉を握りしめた手のひらは、
十円玉の緑色のドクショウがしっかりと染まっていた。
横浜で産まれ、山梨で育つ。
彼女の父親は厳格で、
厳しいしつけのもと育つ。
食事中のマナーが悪いと、オーダーメイドの黄楊の太い箸の枝で頭をぶたれた。
厳格で粋な父親はお酒もたばこもやらず、
食い道楽、着道楽。
穏やかな母親とやんちゃな3人の弟の姉として彼女はしっかりと立派に育っていった。
前髪をポンパドール風に後ろにふわりと留め、肩までのびた髪の毛は両側に縦ロールにして巻き、白い肌にぱちりとした目。
美しく育った少女は、
みんなの注目の的だった。
文学に長け、文学少女と呼ばれ、
友達も多い。
戦火の舞う時期、
彼女は挺身隊での読み聞かせをすることを楽しみにしていたが、
戦争が始まる前は、
何人かのグループで集まり、
外で輪になって座り、歌を歌うことが楽しみだった。
彼女たち家族は山梨県の石和に住んでいた。
昭和20年5月
山梨県甲府付近には無数の編隊が上空を飛び、住民は、いつB29の焼夷弾や爆撃に変わるか恐怖を抱えながら食料の貯蓄や防空壕の確保を備えていた。
燈火管制が下された甲府市内は、
真っ暗闇へと化した。
翌日に七夕を迎える7月6日、午後11時ごろ、ついに空襲警報がならされた。
空襲警報とともに爆撃が始まり、焼夷弾の雨に人々は逃げ惑う。
甲府を中心とした一体はたったの数十分足らずで、火の海になった。