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フリーランスの介護士としての私

お父さんが救急搬送された11月。
余命宣告を受けた12月。
そして1月、お父さんとの別れ。

自宅でお父さんを看取りたい。

在宅医療を選択し12月から約半月。
私達家族は訪問診療医の先生、
20代の頃からの信頼するケアマネジャー
在宅酸素、レンタル福祉用具、
訪問入浴、そして訪問看護師の方々に
大変お世話になった。

父の緩和ケアのためにチームで支えてくれた。どれだけの心の支えになったことか。
本当に感謝している。

父が旅立ち月日は過ぎて思うこと。

それは、私も早く社会に貢献する
恩返しがしたい。


つまり再び介護士として再出発したい。

そんな思いだった。

10年働いた介護施設を退職したのは
人と上手くいかなかったから。

善悪、白黒はっきりしたい性格が仇となり、コロナ禍の緊迫した施設内は完全な四面楚歌となりさらには娘の学校休校に伴う休職中の不安定で復帰できなくなり退職。

しかし私は…後悔していない。
最後まで自分の信念を曲げずに施設介護職員を全うしたと思っている。

そんな私の気持ちをSNSにて、スポットワークの「タイミー」の広報部の方が見つけてくださり取材を頂いた。

現在はフリーランスで施設介護士、
そして訪問介護士としての介護職復帰を果たすことができた。

更にはタイミー本社にてのシルバー産業新聞の取材も頂いた。

テーマは、
「スポットでも長く」も「正職員としての就職」もスキマバイトを活用した介護現場での働き方。

スポットワークにて勤務先の施設に引き抜きをされ現在は施設介護職員となった女性Oさん、そして、どこに属することもなくスポットワークのみで介護士を続ける私、タイミー事業開発部事業開発Gの Kさん。女性3人による座談会

こちらの記事は著作物のため掲載できないが
2024年1月10日のシルバー産業新聞第327号に載っている。スマホアプリからも見ることができる。

この記事の後タイミーは介護事業所の参入が増え、いろいろな施設で介護をできるようになった。そして4月。中学時代の友人の紹介で訪問介護事業所にてフリーランスで訪問介護士をはじめる。

現在はどこにも属さないフリーな介護士として、介護現場に復帰することができた。
本当にありがたいことだ。

私の願いはただ一つ。
関わった方々のその一瞬に少しでも安心感を持ってもらいたい。

その一つだけだ。

私が父の時に感じたような安心感を
私も誰かに返し続けたい。

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