修一郎が泣いている
8月10日(木)のこと。
今日も朝起きたらまずウーちゃんにエサをあげて水を換える。ずいぶん大きくなった。もう13cmくらいある。そろそろ水槽を大きいのに替えた方がいいかもしれないと思う。めずらしく朝からカカオもいるのでカカオにもご飯をあげる。ウーちゃんもカカオも もぐもぐ食べる。
カカオが私の仕事用の椅子で寝ているので、小さな折り畳みの椅子を持ってきてそれに座って今年の絵本deえがおの募集案内チラシのレイアウトをする。
まりこりんに「絵本deえがおだよりVol.06」の校正をしてもらう。
「今回もカラフルで絵がたくさん、かわいくっていいですね。」とメールに書かれている。そして、
「気になったのは新コーナーのところのリボンにタイトルが入ってなかったことくらいです。」と。
え。と思って確認すると、新コーナーなのに、タイトルがすっぽり抜けている…。あぶないあぶない…。また助けられた。すぐにタイトルを入れ直す。
そして、まりこりんと近況報告をしあう。
夕方お散歩に出かけてひとりでコイにエサをあげる。プリンさんはつわりが大変で安静にしていて、ごはんさんは仕事が忙しい。みんなでエサをあげるのもひとりでエサをあげるのもどっちも楽しい。コイにエサをあげながらカフェをする楽しさってこういうことなのかなと思ったりする。
家に戻って庭仕事。クローバー畑がずいぶん枯れてきている。去年の夏はぎゅうぎゅうで青々していたのでちょっと心配になる。手入れをしながら多分こういうサイクルなんだろうと思い直す。
クローバー畑を何往復もしながらジョウロで水をあげていたら、ごはんさんと反対側のお隣の きゅうりさんが
「みるちゃん、ホースでやった方がええよ。」と言ってくれた。
「うん、ホース持ってないからお盆明けたら買おうと思う。」と応えた。
ホースとか網戸の網とか電球とかその気にならないとなかなか買う気がしない。
網戸の網も2ヶ月くらい前になんとか買ったのだけれどまだ張り替えていない。涼しくなってからにしよう。
夕食後の片付けが終わって明日焼くパンの下ごしらえをする。コーンとポテトのパンを焼こうと思っている。
その後、東京で暮らす修一郎の妹トッツィーとLINEでやりとりする。noteに日記を書きはじめたことを喜んでくれている。よかった。
トッツィーは炎天下の中、意を決して上野の美術館にマチス展を観に行ったそうだ。
「若い頃の作品は点描やセザンヌみたいなタッチなど色々試して晩年に自分らしさに辿り着いたみたい。」と書かれていた。そして、
「最晩年の写真があって、しゅうちゃんそっくりでびっくりしたよ!」と。
そういえば似てる…。と思って笑ってしまった。
その話をしようと、修一郎の方を見ると、泣いている。
また泣いてる…。と思った。修一郎はよく泣く。2日に1度は泣いている。映画を観て、YouTubeを観て、音楽を聴いて、本を読んで泣いている。
今日はなんで泣いているんだろうと思ってiMacの画面を見てみると、また知久寿焼さんの曲で泣いている。知久さんは元たまのヴォーカルだ。知久さんの曲のどこで泣けるのだろうと私は不思議で仕方がない。
ここに ごはんさんがいたら
「境さん、それで泣いとったら涙いくらあっても足りんですよ。」と言うだろう。以前私が多肉植物を枯らして泣いていたときにそう言われたのだ。
修一郎は外に出ないので汗をかかない。汗の代わりに涙を流しているのかもしれないとちょっと思ったけど言わなかった。
修一郎がここのところ毎日知久さんの曲を聴いているので、amazon musicで 私も聴いてみた。知久さんとmacaroomが一緒に出しているアルバムだ。意外と好きだった。でも、知久さんの書く歌詞にびっくりした。こんな歌詞は地球上で知久さんしか書けないだろうと思った。この歌詞の世界に住んでいないとこの歌詞は絶対に出てこないと思った。知久さんはこういう世界に住んでるんだ。なんかすごい。
夜、仕事部屋にいても外の虫の声が聞こえてくる。大好き。なんてきれいな音なんだろう。目を閉じてじっくり聴く。
そして、いつものように寝る前に庭に出る。今日もしっかりと夜だ。カカオがそばでくつろいでいる。
今日もいい一日だった。