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胸が甘くあたたかくなった

12月3日(日)
朝、ぱちりと早く目が覚める。
庭に出て、朝のぜんぶに「おはよう!」と、あいさつする。
りんごの幹を よしよしする。

修一郎が入れ替わりで寝た。二交代制のようだ。
カカオにご飯をあげる。
ウーちゃんとルーちゃんにエサをあげて水を換える。

仕事をする。
はかどる。昨日の休息が効いたみたい。

昨日、友人のミカリンからメッセージが来ていた。今日、気がついた。

「みるみる!(ネパールの)ピーコックゲストハウスで朝食を食べてるよ!」と書かれていた。

ミカリンは私のことを ”みるみる” と呼ぶ。
そしていま、ミカリンは4年ぶりにネパールにいる。

写真が添付されていた。元気そうにゲストハウスのカフェにいる写真だった。
ピーコックゲストハウスというのは、私がネパールで拠点にしていたゲストハウスだ。

ふっとネパールを思いだして胸が甘くあたたかくなった。
人との交流、動物たちとの近い距離、圧倒される雄大な景色、子供たちの笑顔、すべてが宝物だった。

ミカリンはネパールで17年間暮らし、歌手として活動していた。日本人なのだけれど、ネパールの人が「彼女はネパール人だ。」と言い切るくらい、ネパール人っぷりがすごい。

日本では1度しか会ったことないが、ネパールでは何度も会っている。私がネパールに滞在する3週間くらいの間に会う友人の中で、ミカリンだけ日本人だった。(中身はネパール人だが)あとは、ネパールの人ばかりだった。

合わせるわけではないのだが、滞在する時期がミカリンと重なることが多かった。そんなときは、3週間のうち2、3日いっしょに過ごした。どう過ごしたかというと、主に、ミカリンが関わっていた "TERAKOYA" という場所に集まる子供たちにメチャくん絵本を渡しに行っていた。

私はTERAKOYAの子供たちが大好きだった。毎回会えるのを楽しみにしていた。そこに集まる子供たちは、家庭が経済的にとても貧しい。ギリギリ学校に通えて、学校から帰るとすぐ家の仕事を手伝わなくてはいけない子供たちだった。学校に通えていない子もいた。TERAKOYAで宿題や読み書きなどをしていた。

TERAKOYAの子供たちは、小さな子から大きな子まで、みな、メチャくん絵本が初めて手にした絵本だった。

ある男の子は、最初に訪れたときに手渡したメチャくん絵本 "Namaste" を暗記するくらい読んでくれていた。次に訪れたとき、絵本を見ずに朗読してくれてとても感動した。胸がいっぱいになった。

行くたびに、その電気のないお部屋に入るたびに、みんなが口々に

「メチャ!メチャ!みる!みる!」と叫んで歓迎してくれた。

そして、キャラクターの名前をぜんぶ覚えてくれていた。
私はいつも胸がふるえた。

そして、ピーコックゲストハウスでは、いつもみんなが家族のように接してくれた。プライベートでもやりとりが続いた。

オーナーの子供たちを膝に乗せていっしょに遊んだり、オーナーのアルーンやインディラといろいろな話をしながら、遅くまで きゅうりを ぽりぽりかじったり、乾燥チーズをガジガジ食べたり、そこに友人たちが集まってきてくれて、民族衣装を着せてくれたり、歌ったり踊ったりした。

2015年から毎年1〜2回行っていた。2020年の春に行く予定だったが、コロナが流行りはじめ、国際線がすべてストップして渡航できなくなった。ミカリンもそうだった。

いまは、アレルギーがあるのでもう訪問することはないだろう。と思う。行けるときに勇気を出して行っておいてよかったな。と思う。

きっかけは、2015年に起こったネパール大地震だった。
メチャくん絵本は英語が併記されているので、「送ってほしい。」というのが始まりだった。その後、ネパール語に翻訳することになった。

メールやメッセージで数回やりとりしただけだったが、どうしても行きたくなった。外国はおろか日本国内だってほとんど旅行したことなかった。しかも ひとりで。英語も話せないし、わからないことだらけ。でも、心がとまらなかった。

そして、行ってみて、勇気を出して行ってよかったな。と思った。

ミカリンとやりとりをする。
「今日はTERAKOYAにいるよ。」ということだった。

「みるみるの分まで楽しんで!」と心から願った。

仕事に戻る。

早めの夕方、夕食の支度をする。
修一郎が起きてきた。夕食には少し早いので、ハッシュポテトと、おからパンと、洋梨を用意する。

仕事をする。
夕方、庭に出ると ごはんさんがバイクのエンジンをかけていた。ふと見ると、見慣れない車のアタマが見えている。
そうだ、今日、ごはんさんは車を車検に出して代車で帰ってきたんだった。
その車を見て、ときめいた。ラパン。

なぜ、ときめいたかというと、私は来年の3月で19年になるオレンジ色のマーチに乗っている。大好きなマーチ。
でも、3年前にエアコンが壊れ、今年修理した。次に調子が悪くなったら30万円かかると言われている。バックドアを開けて荷物を出したり入れたりしていると、何回かに一回、ドアが下がってきてアタマに ごつんと当たって「ぎゃ。」となり、頭を抱えてしゃがみ込む。

マーチの前に乗っていたのは中古で買ったパオだった。1年くらいでキャンバストップの屋根から雨漏りするようになり、レインコートを着て運転したり、屋根にガムテープを貼ったりしていた。道路や駐車場で突然止まってコワイ思いをしたこともある。車に詳しくない私は、来年の春頃、買い替えれるといいな。と、ぼんやり思っていた。

それまでは、特に好きな車が現れなかったので、エアコンが完全に壊れるまで乗るぞ。というきもちでいた。

そんなある日、ラパンを見た。ほんとに大好きだったパオに似ている。そして、軽自動車。買い換えるならラパンだ。と思っていた。

以前、ごはんさんにその話をした。
するとある午後、ごはんさんがカタログを何冊か貰ってきてくれた。その中にもちろんラパンのカタログもあった。

今回の代車は偶然ラパンになったようだ。

興奮する私。あちこち見せてもらった。すると、ごはんさんが

「乗ってみます?」と言ってくれた。

「え!」と、びっくりする私。うれしいけど、18年前の車と操作がずいぶんちがって見える。ひとりで乗るのはちょっとコワイ気がする。もじもじしていると、

「じゃぁ、これで買い物行きますか?みるさん運転して。オレ、横に乗ってるから大丈夫ですよ。」と言ってくれた。

アタマのまわりを天使がラッパを吹きながら くるくる回った。

「ぜひ。」と、私。唾をゴクリとのむ。

家に戻り、修一郎に話すと

「すごい偶然だね、よかったね。ごはんさんが横に乗っていたら安心だね。」と言った。

修一郎は免許を持っていない。東京で暮らしていたのが長かったので特に免許を取る必要がなかったのだ。

上着を着て、お財布とエコバッグを持って、

しゅっぱーつ!

なんか、全くわからなかった。本当に全然ちがった。
ごはんさんが丁寧に教えてくれた。車に乗り始めたころ、実家に帰って父に横に乗ってもらって運転したことを思い出す。ごはんさんは私より若いけど。

にりんさんが出ていたので、窓を開けてあいさつする。

「いってきま〜す!」

「いってらっしゃい。」

ごはんさんが横に乗ってくれているので安心して運転できた。難しい道も通った。
最初はドキドキしたけれど、だんだん慣れて楽しくなってきた。ハンドルも軽い。お店の駐車場にも止めることができた。2軒回った。

そして、2軒目のお店ですごいものを見つけた。
なんと、紫色のカリフラワーだった。ごはんさんと、わぁわぁ言いながら買った。どんな味なんだろう。ドキドキ、わくわく。明日食べるのが楽しみだ。

私が食べれないマッシュルームを買おうとしたら、ごはんさんが腕を引っ張って、ズルズルと修一郎の好きなお漬物売り場に連れて行った。腕を離した瞬間に さっとマッシュルーム売り場に走って1パック カゴに入れた。

そんなふうに遊びながら買い物をして家路に着く。
ラパンに乗って、ちょっと遠回りして帰った。

帰り着いて、修一郎に話すと「よかったね。」と言ってくれた。そして、寝た。

仕事をする。
あと一息だ。ずっと「あと一息だ」と書いているような気がするのは気のせいだろうか。

夜、庭に出る。
オリオン座が「ここにいるよ。」と言っているみたいに、屋根の上で光っている。「知ってるよ。」と空に向かって言う。

ネパールの子供たちもオリオン座を見ているだろうか?と思う。あの降ってくるような夜空の星たちの中では、オリオン座は見えないだろう。星が多すぎて。天の川もくっきりと見える、空のスペースより星の方が多いあの夜空。また胸が甘く軋んだ。

カカオはいつものように籐の椅子で眠っている。

今日もいい一日だった。

TERAKOYAに集まる小さな子から、
大きな子まで、みんなうれしそうな笑顔で受け取ってくれた。
この男の子が暗記して朗読してくれた。
2回目に渡している絵本は「チッティ(おてがみ)」
ぎゅうぎゅうになってメチャくんたちの絵を描いてくれている
青いクルタ(カジュアルな民族衣装)を着ているのがミカリン。
男性が学校経営をしているディパーソン。

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