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おっさんだけど、仕事辞めて北海道でチャリ旅するよ\(^o^)/ Vol,43 継承
2024 0908 Sun
南米アマゾンの奥深くに、ヤノマミという先住民族が生活しています。
文字を使わず貨幣を持たず、着るものは腰周りのみの最小限。茅葺きの家に住み、食べ物は狩猟・採集によって賄う。気の遠くなるほどの大昔からそんな生活を続けてきた彼らは、ブラジルやベネズエラといった近代国家が成立した後も、永く自分たちの伝統的生活スタイルを維持し続けてきました。
しかし…。20世紀の半ば過ぎまではそれでなんとかやり過ごせたのでしょうが…。情報という面において30年くらい前から世界は急激に縮小を始め、いまや多くの表面的情報は “指先ひとつで” 画面に表示されるようになりました。そんな世界情勢の影響もあり、近年ではやはりヤノマミの世界にもいろいろな問題が噴出しているそうです。
その最たるものの一つが、ヤノマミの若者の自殺が多発している問題です。
ラジオで聞きかじった情報なので、詳しいことはわかりませんが、おおよそのあらましはこうです。
文化交流なのか経済目的なのか、ヤノマミの若者がアマゾンを出て街で暮らす。最初は刺激的で楽しかった生活が、年月が経つにつれ、次第に孤独で無味乾燥したものへと変わってゆく。やがて、倦み疲れた若者は都会を諦めアマゾンに戻る。が、しかし、懐かしいはずの村は退屈な田舎に変貌している。居場所が無いと感じた彼らは、絶望のあまり、その若い命を自ら断ってしまう…。
悲しい話です。本当に悲しい話です。
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アマゾンの熱帯雨林に太古から生きる先住民族であるヤノマミ。文明社会において、彼らは弱者です。弱者は強者に取り込まれる…。歴史が示すように、これは厳然たる事実です。
資本主義的観点から、経済的観点から、人道的観点から、人類学的観点から…。さまざまな名目で、ヤノマミは文明社会から影響や干渉を受けてきたはずです。それらを歓迎し利用したヤノマミも居るでしょうし、拒絶し抗ったヤノマミも居るでしょう。
これはわたしの推測ですが、…大多数は上手いこと丸めこまれていいように利用されたんじゃないですかね。
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北海道には、先住民としてアイヌが存在します。
道東にある、とあるアイヌコタン。
計画を立てたり事前の情報収集が極端に苦手なわたしは、例によってそこがアイヌコタンだと知らないままに訪れました。
“なんかようわからんけど、えらいエスニックな感じの土産物屋が並んどるな”
そんな感想を抱きつつ、同時にこんなことも考えていました。
“でもオレっち、チャリ乗りのバックパッカーやから…”
バックパッカー、あるいはチャリ乗り。この2者に共通する望みは1つ。できるだけ荷物を軽くしたい…!
ただ歩くだけでもチャリを漕ぐだけでも疲れるのに、バックパッカーやチャリ乗りは、基本的にすべての荷物を背負って、あるいはチャリに括りつけているのです。これ以上の荷物など積み込む余裕は無いのですね、体力的に。それに、物理的にも土産物など積み込むスペースは無いのです。なぜって、必要な荷物を削って削って削りまくっても、バックパックってパンパンになっちゃうんですから…。
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そんな冷めた気持ちでブラブラ近づいていった最初の土産物屋。しかしながら、なかなかどうして…。なんとも魅力的な意匠の小物が置いてあるのです。しかも、チラリと見えたタグには「¥1000-」とあります。
その土産物屋は店頭に作業台を置き、美大あがりみたいな感じの若い店員が熱心に作業をしていました。慎重に距離をとりながら、土産物を眺めるわたし。…旅行中でオープンマインドとはいえ、基本的にわたしはそこそこ人見知りなのです。しかも、土産物を買うつもりなどさらさらありませんから。
そうこうしているうちに…。
「よかったら手にとって見てください」
なんともいえず自然なタイミングで、話し掛けられました。
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「はい。…なんかこれ、えらいええ感じですね」
なんと、わたしのほうから話を振ってしまったのです。土産物など買うわけないのに!
「そうでしょう。この作業台の周りのモノは、辞めた職人さんの作品なんですよ。…まあ言ってみれば在庫一掃セールみたいなもんなんですよね」
「なるほど。だから1000円均一なんてできるんですね」
これはかんざしあれは箸置き、こっちは手鏡であっちは額縁…。ふと気付くと、かんざしにブローチ、2点も土産を買っていたのです。全然まったく、マジで買う気なんて1つも無かったのに!
確かに年若い店員の接客は絶妙でした。商売っ気のない素振りに会話、それでいて豊富な商品知識とアイヌ伝統工芸への敬意。
しかし! 大前提として! 当たり前ですがモノが素晴らしいのです。どう見ても日本的な風土に根差した伝統工芸品でありながら、いままで見てきたものとはひと味もふた味も違う。そりゃそうですよ、アイヌの伝統工芸なのだから。
難しいうんちくや歴史的背景など置いておいて、単純に土産物としての魅力があったのですよ。
小物ですが2品も土産物を買ったわたし。そこからはもう自信満々です。
“いやいや、冷やかしとかじゃなくてオレっち客だから”
とばかりにそれから続く土産物屋をじっくりと物色しました。アイヌ語解説の小冊子を気の済むまで熟読し、壁に飾ったモノクロ写真も注視。アイヌ紋様が編み込まれた半纏の生地を触りながら “こんなもんで北海道の冬を越したのか?” と驚愕し、どう聞いても呪術のまじないにしか聞こえないアイヌ民謡を拝聴し…。
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時間的に(金銭的にも)アイヌ民謡と踊りのステージを観ることは叶いませんでしたが、それでも充分すぎるほどアイヌ文化を満喫し、アイヌコタンを後にしたのでした。
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そして…。
道央にある、とあるアイヌコタン。
なんでもこのアイヌコタンは、アイヌの精神的支柱として、他の地域よりも一段格上の存在なのだとか。旅で知り合った伝統工芸好きのライダーから勧められていたこともあり、否が応にも期待は高まりました。
勢い込んで行った博物館。手前の広場に幾つものチセ(アイヌの伝統的な居住建築)があり、なんと中に入ることもできるし、なんなら工芸品作りを生で視ることもできるのだとか。それならと早速チセの戸を開け、なかに足を踏み入れると…。
「…あっ」
小さく吐息をもらしたのはわたしです。3~4歩土間を歩いてなかを覗くと、入り口の戸からは見えない位置に作業台が置かれ、職人なのか作家なのか、とにかく工芸品を作っている方が作業をしていました。無音の空間におっさんが二人…。わたしは顔を引っ込めました。
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気を取り直して挑んだ博物館。しかしながら、率直に言うとわたしは落胆してしまいました。
…なんというか、わたしの求めていたものと違っていたのです。
“アイヌ文化の中心地” とデカく謳うのですから、それなりのものを期待していたのですが…。アイヌの信仰や暮らしの様子、往時の稲作の器具や装飾品などが展示されていたのですが、立派な建物とは裏腹に、どれもこれも内容が薄い(わたし個人の感想です)。
おじいと子供のQ&A方式で、アイヌの歴史や現状などをわかりやすく紹介するコーナー。そこで感じたのは、自然と調和する民族としての確固たる自尊心。その割に、博物館の入り口にはウンザリするほどのスペースを割いて映画『ゴールデンカムイ』のポスターや、それに出演している俳優のインタビュー記事の拡大ボード。なんなら各俳優のサイン色紙までご丁寧に展示していました。
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“いやいやいやいや…”
わたしは嘆息しました。
何世紀も前の北の大地。そこは、現在からは想像すらできないほどの厳しさがあったのではないでしょうか。その極寒の地で、彼らアイヌはどうやって寒さを凌いでいたのか。どんな服を着こんでいたのか? 手袋は? 帽子は? 沓は? 雪と氷の数か月間、どうやって飢えを凌いだのか? おそらく独自の保存食もあったはずです。そして、河沿いにアイヌコタンが形成されたのですから、鮭漁も盛んだったはず。その方法は? その食べ方は? その保存方法は?
そういうアイヌの往時を、実際の生活を、わたしは知りたかったのです。
ちなみに、わざわざ別館にある土産物屋には、品物自体がほとんど置いてありませんでした。
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文化の継承。これは非常に難しい問題です。
たとえば言葉。
かのアイヌコタンでは、子供会や小学校の授業でも、アイヌ語を教えていると聞きました。伝統の継承、それ自体は素晴らしいものです。しかし、個人的にはこう思います。
“消えゆく言葉を教えてなんになるのか?”
淘汰された。厳しい言い方をすればそういうことではないでしょうか。しかし、北海道の地名の多くがアイヌ語由来であるように、現在に必要なアイヌ語は、探せばいろんなところにあるような気がします。
だいたい文化というものは、時代時代に合わせて柔軟に変化していくものです。
「アイヌ固有の紋様はこれだ!」
という年寄りの意見があり、
「こんな感じでアレンジしたらアイヌの紋様がもっと格好良くなるじゃん!」
という若者の意見がある。そうしたぶつかり合いが、新たな文化を生み出すのです。
ですから、アイヌ語を継承したいのであれば、これからアイヌ文化自体をもっと発展させていく必要があるのです。アイヌ文化がクールと若者が認識すれば、そのうち放っておいてでもアイヌ語を習い始める若者が出てきますよ。
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その意味でも、最初に行ったアイヌコタンは良かったですね。アイヌ文化を柔軟に変化させ、観光地としてのニーズと上手に組み合わせていました。おそらくですが、かの地のアイヌ工芸品やその他諸々は、それなりに年月をかけてアイヌ文化や工芸を再構築してできたものでしょうし、これからも長い年月をかけて少しづつ変化していくのでしょう。そういうあれこれをひっくるめたものが文化のような気がします。
なんか偉そうなことをほざいてしまいましたが、アイヌの土産物はなかなかに魅力的でしたよ。
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