おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 55 極限
タジキスタン Pamir Highway Try 9日目
2023.0904 Mon
「さあ鶴田か? 鶴田が先に立ち上がる! さあ“胸突八丁”! ここからが“胸突八丁”だ! そして三沢の髪の毛をつかんで…。あーッと! 三沢のエルボ! 三沢のエルボが鶴田の側頭部を捉える! これは強烈、これは強烈だ! …しかし鶴田もやり返す! 下から突き上げるエルボ、そしてロープに振って…。ジャンボラリアット! 『オー』が入った! そしてバックに回って…。オーッと三沢がバックを取り返し、出るか? 出た! タイガースープレックス! そしてそのままフォールに入る! ワン! ツー! …カウント2.89! 鶴田返した! 鶴田返した! カウント2.89! さあ国技館は重低音ストンピング攻撃だ! お客さんの興奮もマックスといったところでしょうか? しかし三沢もここが正念場だ! さあ両者立ち上がれない! さあ“胸突八丁”だ! さきに立ち上がったのは! …三沢だ! 三沢がジャンボの髪の毛をつかんで…」
“胸突八丁”という初めて言葉を聞いたのは、高校生の頃に視ていた深夜の全日本プロレス中継でした。
当時はジャンボ鶴田が“怪物”と呼ばれ、脂が乗り切っていた頃。三沢光春を筆頭に、小橋建太、川田利明、田上明の後に四天王と呼ばれるレスラーが鶴田越えを果たそうと躍起になっていました。
そういう毎試合が最高にヒートアップしていた時代に、試合終盤の勘所でアナウンサーがよく叫んでいました。
「さあ胸突八丁だ!」
標高4600mオーバー。
それは、わたしの予想をはるかに超える、厳しい場所でした。
薄い酸素、吹き荒れる逆風、厳しい寒さ。これらが一気に襲い掛かってくるのです。しかも路面は固く締まった凸凹の土上に砂と石が混じる不整地です。自転車に乗って走ることなど不可能、降りて押すしかありません。
スクワットをしまくった後のように力の入らない太もも。10mチャリを押した後に立ち尽くし、逆風に耐えながら荒い息を整える。もちろん休憩などしていたら身体が冷え切ってしまいますから、進み続けねばなりません。
二週間以上もパミールハイウェイをチャリで走っていたら、肌で理解できます。ここが勘所だと。ここが正念場だと。ここが胸突八丁だと。
チャリを押しているのだから、パンクはまずありえません。しかし、もしよろけてチャリを倒してしまったら? その衝撃で、もし荷物が崩れてしまったら? この強風の中、積み直しはなかなかの作業です。もし負担を掛け続けたスチール製の荷台が折れてしまったら? 考えたくもありません。
もしここで酸素不足と寒さに負けて座り込んでしまったら? もう終わりです。後から続いてくるであろう50代のオランダ人夫婦チャリダーも、わたしと同年代の腹を壊したイギリス人チャリダーも、わたしを助ける余裕などあるはずがありません。車が通りかかるという幸運に賭けるしかないのです。
“胸突き八丁…”
呪文のように心の中で唱えながら、わたしはチャリを押し続けました。15m進んでは立ち止まり、10m進んでは息を整え…。本当に山岳小説のようでした。
たかが4600mやろ? そう思っていました。なぜなら、それまでに標高4200mの峠はそれなりの厳しさのみで通過していましたし、標高3900m超の空き家で暖房器具を使用せずに寝袋のみで一夜を過ごしたこともあったからです。
それにしてもパミール高原の自然は恐ろしい。8月いっぱいまでは標高3000m越えでも日中に暑さをもたらすのに、9月に入ったとたんに急激な冷え込みを見せるのです。
「なぜ今日に限ってこんなに寒いの? こんな逆風も吹いてなかったよね?」
わたしの問いに、たぶんベテランであろうイギリス人チャリダーはこう答えました。
「パミールに冬が来たのさ」
わたしの記憶が正しければ、パミール高原に冬が来るのは9月の15日からという説をネットで読んだことがあります。8月31日まではたしかに夏だったのです、わたしの走ってきたパミール高原は。ということは、パミールに秋は2週間しかない。そんなの、もう秋とは言えないんじゃ…?
胸突き八丁…。
午前10時半から約3時間。どうにか標高4600mの峠をクリアしました。
14時半くらいに標高4200m付近のユルトキャンプに到着し、そこで30時間ぶりの食事にありつきました。そう、わたしは昨日、地図アプリ上では在ったゲストハウスが現実に存在しないことを確認し、2km戻ったところにあった空き家で凍死という難を逃れていたのです。もちろん食事などあるはずがありません。
朝、起きた瞬間から腹は減っていました。
しかし、チャリに乗り始めてからは空腹を感じませんでした。感じている余裕などありませんでした。
胸突き八丁。
パミールハイウェイの核心部4655mの峠を登り切るまでは、そして凸凹だらけで急激な下り坂を安全に降り切るまでは、瞬間瞬間の状況に対応しながら前に進むことのみに集中しなければならなかったのです。
峠を降りた標高4200m付近のユルトにわたしとオランダ人夫婦、そしてイギリス人ソロチャリダー全員が泊まることになりました。15時半には全員が宿に揃いましたが、トイレ以外ほとんど誰も外に出ませんでした。真っ昼間にもかかわらず外はかなり寒かったですし、みんなヘトヘトに疲れていたからです。
パミールハイウェイ。チャリダーの聖地とも言われる場所です。
その核心部を走り切った安堵はありますが、自負などまったくありません。ここは準備に準備を重ね、リスクとその対策を考え尽くしたチャリダーのみが走ることを歓迎される場所だとわたしは痛感しました。
わたしは多くの人々に助けられ、そして多くの幸運が重なった結果、からくも難を逃れたというだけの話です。
なんというかホントに…。
とにかく最悪の事態にならなくてよかった、それだけです。